テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
部屋の鍵が閉まる音が、遥の背を跳ねさせた。
「……やだ、って言えばよかったのに」
蓮司の声は、柔らかく低かった。
目の前の男は、怒ってもいなければ、笑ってもいなかった。
ただ、遥の中を覗いていた。
指先一本で、奥まで掘り下げてくるような視線だった。
「そういう顔、するんだな」
言いながら、蓮司が触れてくる。
指先が、喉元から鎖骨にかけてすべる。
優しさの皮をかぶった、支配の手だった。
遥は、反射的に身体をこわばらせた。
けれど逃げられなかった。
いつもそうだった。
逃げない自分がいちばん汚い。
「やめ──」
声を出そうとした。
でも、出る前に奪われた。
唇に触れた温度は、なまぬるくて、
そのまま感覚ごと心臓にまで溶け込んでいった。
反射するように、喉が震える。
(違う……望んでない、望んでないのに──)
「ほら、やっぱり……震えてんじゃん」
耳元で囁く蓮司の声は、
遥の恐怖を「知ってるくせに楽しんでる」響きをしていた。
触れられるたびに、皮膚の奥がざらついた。
汚されているのは身体じゃない。
もっと、奥。
──夢と同じだ、と思った。
夢の中で、蓮司の顔が、
日下部の声を持って近づいてきたあの夜。
(……やだ。……ちがう。オレが、汚してんだ)
舌が入り、喉を掻きまわされるような感覚の中で、
遥は無意識に目を閉じた。
痛みも、重さも、感触も、全部現実だった。
それなのに──
(声が、出ない)
自分の意思が、どこにあるのかわからなくなっていた。
「止めて、って言ったら、止めるよ?」
蓮司はそう言った。
でもそれは、「言えない」ことを前提にした言葉だった。
遥の手が、蓮司のシャツの裾を掴む。
拒む力ではない。
ただ、しがみついた。
──気持ち悪い。
──やめてほしい。
──でも……
──でも、止められなかったのは、自分だ。
(オレが……望んでるみたいだ)
吐き気がした。
蓮司の手が、ゆっくりと腰をなぞる。
「ほんと……かわいそうだよね。
自分のこと、“穢れてる”って思ってるくせに、
誰かに“汚してほしい”って、思っちゃうんだろ?」
もう、何も考えられなかった。
息が乱れ、目の奥が焼けつくようだった。
(違う。違う……)
(……違わなかったら、どうしよう)
そのまま、遥は蓮司に抱かれた。
痛みと、熱と、虚しさが、身体の中で同時に溢れた。
そして、終わった後──
ベッドの端に丸くなりながら、
遥は自分の指を噛み締めて、声を殺して泣いた。
蓮司は背後で、タバコを吸っていた。
何も言わず、何も求めず、
ただ、勝手にそこにいた。
沙耶香は、どこか別の部屋にいたのかもしれない。
それとも、全部わかっていて、あえて現れなかったのか。
(……こんなはずじゃ、なかった)
けれど、その“こんなはず”が、
そもそもどんなだったのかさえ、思い出せなかった。