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「鋼の城の庭に、春は来ていなかった」——この一行で一気に引き込まれました。地下を調べるなと言われて、しっかり調べたくなるシュエルの気持ち、すごく分かります。特にラストの硝子片と母の声が、伏線として美しくてぞっとしました。「三度目なら、城を止めて」って、いったい何が三度目なのか…続きが気になって仕方ないです!
鋼の城の庭に、春は来ていなかった。
城門をくぐったシュエルが最初に目にしたのは、黒い鉄壁でも、空へ突き刺さる尖塔でもない。
石畳の脇に並ぶ、枯れた草花だった。
葉はまだ緑を残している。茎にも腐敗はない。それなのに根元だけが墨を流したように黒く、指で触れれば乾いた炭のように崩れた。
「……変ね」
シュエルは荷物を下ろし、その場にしゃがみ込んだ。
王都から届いた依頼書には、《鋼の城・北庭園の再生》とだけ書かれていた。長雨による根腐れ、寒波、害虫。そのあたりだろうと予想して、土壌検査用の小瓶や薬草用の刃物まで持ってきた。
だが、これはどれとも違う。
彼女は枯れた株の周囲から三か所、土を採った。匂いを確かめ、指先で粒を潰し、小瓶へ分ける。次に葉の裏を一枚ずつ見る。
虫食いはない。
斑点もない。
水分も足りている。
「到着してすぐ土遊びか?」
頭上から声が落ちてきた。
顔を上げると、城の制服を着た男が立っていた。肩章から警備兵らしい。栗色の髪は風に乱れ、堅い軍服のわりに表情は妙に親しみやすかった。
「土遊びではありません。観察です」
「同じようなものに見えるけどな」
「違います」
シュエルが即答すると、男は目を瞬いてから笑った。
「悪かった。俺はサンタナ。今日から庭園担当者の警備を任された」
「シュエルです。警備が必要だとは聞いていませんでした」
「俺も、庭師相手に必要なのかとは思った」
そこでサンタナの視線が、シュエルの手元の黒い根へ落ちた。
笑みがわずかに消える。
「……北庭園は、できるだけ地上だけ見てくれ」
「地上だけ?」
「地下の貯水路や旧通路には入らないこと。扉を見つけても開けるな」
シュエルは立ち上がった。
「植物の根が地下まで伸びているのに、地下を調べるなという意味ですか?」
「そういう意味だ」
「原因が下にあったら?」
「それでもだ」
あまりに即答だった。
シュエルはサンタナの顔を見た。冗談を言っていた先ほどとは違い、目だけが真剣だった。
「理由を教えてください」
「危険だから」
「何が?」
「それは――」
宙
133
宙
62
きゆう
39
え ー た ん !
5,148
サンタナは口を開いたまま、城壁のほうを見た。
見張り台を交代する兵の声がした。彼は一瞬そちらへ意識を向け、それから何を言おうとしていたのか忘れたように眉を寄せる。
「とにかく、地下には行くな」
「理由になっていません」
「警備担当としての命令だ」
シュエルの胸に、小さな反発が生まれた。
危険なら危険で構わない。だが、説明もなく判断する権利まで取り上げられるのは嫌だった。
「私は庭園を再生するために呼ばれました。原因を調べず、言われた場所だけ眺めて帰るつもりはありません」
「怪我をしてからじゃ遅い」
「怪我をするかどうかも、調べなければ分かりません」
二人の間に、冷たい風が通った。
やがてサンタナは困ったように頭を掻いた。
「……頑固だな」
「よく言われます」
「褒めてない」
「知っています」
その日は、それ以上話が進まなかった。
*
シュエルは北庭園の隅に小さな机を借り、日が暮れるまで記録を続けた。
一列目、十二株。
二列目、十五株。
枯死はすべて根の先端から始まっている。
水路に近い場所も遠い場所も同じだった。日照の差も関係がない。
さらに妙なのは、雑草まで枯れていることだった。
病気なら種類によって被害に差が出る。土壌の毒なら葉にも変色が出る。それなのに、この庭では植物という植物が、地面の下から何かに吸われたように弱っている。
シュエルは一冊の植物図鑑を開いた。
使い込まれた革の本カバーは、母が昔、手作りしてくれたものだ。端は擦れているが、丈夫な縫い目だけは今も崩れていない。
「母さんなら、どこから見るかな」
独り言を漏らし、今日の記録を余白へ書き足す。
――土壌、異常なし。
――病害、確認できず。
――根部のみ黒化。
――原因を決めつけず、明日も同条件で観察すること。
最後の一行を書いて、シュエルは一度ペンを止めた。
分からないことを恥じる必要はない。
間違えたなら、原因を見直せばいい。
昔から母にそう教えられてきた。
日没が近づき、城壁の影が庭を覆い始めたころだった。
帰り支度をしていたシュエルは、一本だけ色の違う草に気づいた。
月白草。
本来なら夜が近づくと葉の裏が淡く白くなる植物だ。城の北庭園ではほとんど枯れていたが、その株だけ根元にかすかな光が残っている。
「まだ生きてる……?」
シュエルは膝をつき、周囲の土を慎重に除いた。
根はやはり黒い。
だが、根の一本が何か硬いものへ絡みついている。
刃物を使わず指で土を払うと、夕陽を返して何かが光った。
薄い硝子片だった。
装飾品にしては平らで、窓硝子にしては小さい。表面には細かな銀色の筋が走っている。
「こんなものが、どうして根の下に……」
指先でつまんだ瞬間だった。
庭が消えた。
シュエルの目の前に、知らない劇場が現れた。
階段状に並ぶ古い座席。
赤い幕。
正面いっぱいに広がる白い壁。
夕焼けのような光の中で、誰かが立っている。
女だった。
顔はぼやけて見えない。
それでも、声だけは鮮明だった。
『三度目なら、城を止めて』
シュエルは息を呑んだ。
景色が砕け、気づけば再び北庭園に座り込んでいた。
手の中には硝子片がある。
心臓だけが激しく鳴っている。
「今の……」
聞き間違えるはずがなかった。
幼いころ、眠る前に何度も植物の話をしてくれた声。
叱るときも、笑うときも、少しだけ語尾が柔らかくなる声。
シュエルは硝子片を握りしめた。
「母さん……?」