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こうしてアルバイトが始まったけれども。
やっぱり、榊くんのわたしへの当たり方はすっごく厳しくて。
ドジだの、トロいだの、グズだのと言われ続けて、はや2週間―――今に至る…。
一緒に働けたら、きっと毎日ドキドキワクワクして楽しいだろうな、って思ってたのに、見当ちがいもいいところ…。
一番つらいのは、
「やめちまえ」
って言われること。
だって、そう言うってことは、わたしなんか『いなくてもいい』。『どうでもいい』って思ってるってことでしょ?
好きな人にそんな風に思われるなんて…つらすぎるよ…。
※
「だからちがうだろ。何回言ったら覚えるんだよっ」
本日2回目。
榊くんの雷。
うちのメニューにはそれぞれ決まったアピールセリフがあって…(そう、アイドルが自己紹介する時みたいなお決まりのセリフ)、お客さまにメニューのことを訊かれた時ににこやかに笑って言ったりする。
それをわたしはいまだに言えずにいた。
「っとバカだよなおまえ。頭ザルなのかよ。それとも、サル並みの記憶力しかないとか?」
と、わたしの頭を指で小突く。
榊くんにさわられるのはドキドキするけど…
「サルなの?ザル頭なのー?」
なんて乱暴につつかれては、トキメキなんか皆無。情けなくて胸が苦しくなる。
「ごめんなさい…。ちゃんと覚えていんだけど…お客さまを前にしたら混乱しちゃって…ごめんなさい…」
「ありえね。なんでそんな性格して接客業やろうと思ったんだか」
…あなたのことが、好きだからだよっ。
「おまえ、とっととやめろよ」
押し黙るわたしの頭を最後に強く小突くと、榊くんは冷やかな声で続けた。
「いい加減迷惑なんだよ。おまえみたいなのの指導係になった俺の身にもなってみろ」
「……」
「もっと向いてんのあるんじゃねぇの?人前に出ない裏方の仕事とかさー。てかバイト自体無理っぽ……って…おい」
がんばってこらえていたけれど。
ついに弾けてしまった。
「……泣くなよな」
「ったく」って、怒ったような困ったような舌打ちが聞こえる。
ごめんなさい…。
と謝ろうとしたけれど、そんな声すら出てこない。
くやしくて、ただ悲しくて。
「ああもういい、休憩いってこいよ」
ぐしゃ、と顔に紙ナプキンを押し当てられた。
「早くいけよ」
ちいさくうなづいて、わたしは逃げるようにお店の奥に向かった。
もう最悪だ…。
高校生にもなって、しかも好きな人の前で泣くなんて…。
「はぁ…」
歩きながら硬いナプキンでごしごし涙を拭いて休憩室に入るなり、わたしはテーブルにつっぷしてため息をついた。
気分は最低。
心も身体もクタクタ。
買ったばかりなのに、もうヨレヨレになっているメモ帳を開く。
中は真っ黒。
初めてのアルバイトは、なにからなにまで覚えることが一杯。
基本的な接客マナーから、配膳、下膳の仕方、ドリンクやデザートの作り方などなど…。
なかでも一番苦手なのは、メニューの説明の仕方。
もう頭の中には完璧に入っているんだけれど…お客さまの前に立つとどうしても忘れてしまう。緊張しちゃって。
そもそも、わたしは人前に立ったり話したりするのが苦手だ。
ましてや年上の人で、お金を払ってくれるお客さまって立場の人となら『ちゃんとやらなきゃ』ってなおさら緊張しちゃって、一生懸命覚えたことも真っ白になってしまう。
はぁ…わたしって本当にどんくさくてダメダメだ…。
憧れの榊くんには怒られてばかりだし…。
こんなんじゃ、告白どころか同じ店員仲間っても認めてももらえないよ…。
つん…とまた鼻が痛くなる。
わたし…榊くんのこと、あきらめた方がいいのかな…。
「日菜ちゃん」
「わっ」
突然後ろから肩を叩かれて振り返ると、ニコニコと人懐っこい笑顔がすぐ近くに…
「きゃっ!!」
真っ赤になって離れると、笑顔は気づかうような表情に変わって、見下ろしてきた。
「だいじょうぶ?今日も晴友にイヂめられてない?」
同じホールスタッフで先輩の、二科拓弥(にしなたくみ)くんだ。
拓弥くんもわたしや榊くんと同じ17歳。
榊くんに負けず劣らずきれいな顔をしていてスタイルもいいから、すっごい人気がある。
ハチミツ色の髪やくるくる回る表情が「ワンコみたいで可愛い!」って、年上の女のお客さまから特に評判がいい。
「う、うん、大丈夫だよっ。ちょっと疲れたから休ませてもらってるだけ」
「本当にぃ?晴友にまたきっつーいこと言われて落ち込んでいるかなって心配したんだけど。
何かあったらすぐに俺に言ってよね?しょーこさんに頼んで、すーぐに日菜ちゃんの指導係を俺に替えてもらうから!」
「う、うん…ありがとう、二科くん」
「だめだめ!俺のことは名前で呼んで、って言ったでしょ?」
「そ…そだったね…。えっと、た、拓弥くん…」
おずおず言うと、拓弥くんはうぅーんとうなって両手でガッツポーズをした。
「いいなぁ、日菜ちゃんのかわいい声で『拓弥くん』って!ドキドキしちゃう!
ね、も一回言って?」
「え…?」
「ね、言ってよ、『拓弥』って」
よ、呼び捨てになってますけど…。
って、言い返す余裕もあたえず、拓弥くんの大きな目が近づいて来る。
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