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#シングルマザー
水羽凛
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また今日も、休憩時間に奏と陽は二人で過ごしている。もし『いつもと違う事を何か探せ』と誰かに訊かれたら、今回は二人がただ缶コーヒーを一緒に飲んでいるだけではなく、珍しくお茶受けのお菓子もあることを指摘するだろう。
「これ、本当に頂いてもいいんですか?」
カステラの入った箱を見て、奏が訊いた。流行りものには疎い彼女でも分かるほどの有名店の名前が箱には書かれており、中から漂う匂いだけでも小腹が空いてくる。
確かこのお店は最近特に人気で、平日でも何時間も並ばねば買えない人気商品があったりもすると聞いた記憶があり、彼女の中で期待が膨らむ。奏は箱から視線を上げ、『いつ食べる?ねぇねぇ』と言いたげな瞳を陽に向けた。
そんな彼女の顔を見られただけで、陽の顔がパッと明るくなる。普段無表情な奏の表情が変化してくれるのが嬉しくってたまらない。可愛くって愛らしくって愛おしくって、頭からかぶり付きたい気持ちでいっぱいだ。
「いいんだよ、食べて食べて。あ、でも他の人には内緒にね。私の立場では社員へ差し入れるとなると、お店の商品全部買い取ってこないとならなくなるから。これは社員さんへ、じゃなく、あくまでも私の大切な義兄さんへのお土産って事で」
それは店にとっては迷惑な話だ。売り上げ的にはありがたいだろうが、他の客の不満が爆発的に増えるだろう。やらないでくれて良かった……でも、美味しいものを独占してしまう申し訳なさを奏は感じた。
いつまでもじっと箱を見るだけで、手出ししない奏の姿にくすっと陽が笑うと、「開けてあげるね」と言って、彼が箱を開けて中身が見えるようにしてくれた。綺麗な透かしの入った半透明の袋の中に入った黄金色のカステラは、食べやすいように切り分けられている。だがお皿やフォークの類がここには無いのでこのまま食べると手が汚れそうだ。でもお手拭きも無いし、ハンカチを濡らして来た方がいいだろうか?
奏があれこれと悩んでいる横で、さっさと陽は箱を開けてカステラを取り出し、薄紙を剥いで一切れ手に持った。
「はい、あーん」
「……はい?」
楽しそうにカステラを差し出す陽と、彼とは温度差のあるキョトン顔をした奏の間に、少しの時間が流れた。彼が何をしたいのか、奏にはわからなかったのだ。
「ほら、食べて食べてー」
「あ、はい。ありがとうございます」と答え、奏が少し高い位置に差し出されているカステラを指で摘んで受け取ろうとする。だがカステラを摘んだその手は、スッとズラされてしまい、もらうことが出来なかった。
「食べさせてあげるよ。このままだと義兄さんの手、汚れちゃうだろう?」
「でも、そうなると陽さんの手が……」
「私はいいんだよ、汚れても。と言うか、もうほらすでにベトベトだから、今更でしょ。ね、食べて食べて」
うっと奏は喉を詰まらせたが、目の前の凶悪な匂いが鼻腔をくすぐる。
「でも、自分が貴方に食べさせてもらうわけには。やっぱり、自分で——」
「ダメ」
ハッキリと断られ、奏の体が軽く震えた。眼鏡の奥に見える陽の瞳の色が、普段とは違う冷たさを持っていたからだ。子犬みたいな普段の態度とは違い、抗いがたい視線が奏を縛る。
魅惑的な甘い香りと蠱惑的とも言える陽の視線に誘導され、奏がゆっくりと口を開く。真っ赤な舌が目の前に晒され、陽の瞳がとろんと溶けた。
(あぁ、この口に入れてみたい……)
ナニを、とは妄想の中でも伏せたまま、陽が奏の口へカステラを運ぶ。
小さな口ではとてもじゃないが一口でそれを食べ切る事など出来ず、「うくっ」と奏が声を上げる。その声があまりに色々な想像を掻き立てる色を持っていた為、陽の下っ腹が軽くずくんっと疼いた。
「無理しないで、少しずつでいいんだよ」
うっとりとした瞳で陽が告げる。奏はもぐもぐとカステラを食べると、頷きだけで返事をした。
(必死に真顔のままもぐもぐする顔が、可愛いぃぃぃ!)
声はエロいわ、食べ方は可愛いわ、もう陽の喜びが止まらない。お店に伝手のある知人に頼んで買っておいてもらった品だったのだが、ホントお願いしてみて良かった!と彼は心底思った。
「はい、どうぞ」
「すみません」
餌付けでもするみたいに次々と奏の口へ陽がカステラを運ぶ。美味しそうに食べてもらえてとっても嬉しいが、『出来れば私を喰べて欲しい!いや、むしろ私が兄さんを喰べたい!』そんな気持ちで胸がいっぱいだ。
「……陽さんは食べないんですか?」
「私はいいよ。義兄さんが食べて」
「甘い物は嫌いなんですか?」
「いいや、好きだよ。頭使うと、やっぱ食べたくなるよねー」
陽の言葉を聞いて『ふむ』と、奏が少し考える。
美味しいのだし、多分これは間違いなくレアな品だ。義弟にも是非食べてもらいたい。持ってきた本人が味を知らぬまま無くなってしまうというのもオカシイだろう。でも、『いいや食べて下さい』と言っても素直に食べてはくれる気がしない。奏が掴んで差し出す事も考えたが、今更手を汚す真似は彼がさせてくれないだろう。
(さてどうしようか……あ)
いい方法を思い付いた奏が、「じゃあ」と言いながら、カステラを掴んだままの陽の手を取り、その手を陽の口元へと運んだ。
「陽さんも、ぜひ食べて下さい。美味しいですよ」
いつも通りの無表情のまま、せめてもと口元だけでも笑みを作る努力をしつつ、カステラを陽の唇に押し当てる。
「わ、あぁ……」
奏との距離は近いわ、手を握られてるわ、『たべて』と言われるわで、陽の心臓は破裂寸前だ。
「ほら、早く食べないと、こっち側から食べちゃいますよ?」
パッと口を開けて、『無くなっちゃうぞ?』と言いたげに奏が首を少しだけ傾げる。ポッキーゲームをカステラでやろうとしているみたいな状態だ。
奏的には冗談のつもりで、未来の義弟相手のおふざけでしかないのだが、彼女を好きで好きで堪らない陽としては、誘惑されている以外の何物でもない。
「い、頂きます」
嬉し過ぎて泣きそうになり、眦に涙がたまる。口の中に入ったカステラはきっと美味しいのだろうが、ドキドキしているせいで味がよくわからない。
「美味しいですか?」
「お、美味しいですぅぅ」と陽は返事をしたが、『この状況が美味し過ぎる!』と叫びたいのが本心だった。
あーんと言って食べさせてあげて、ちょっとは奏に自分を意識してもらえないかと思っての差し入れだったのだが、結果的には陽の完敗なのであった。
コメント
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読ませていただきました!カステラを巡る攻防、甘酸っぱくて和みました……。陽さんの「あーん」に始まり、奏さんの「こっち側から食べちゃいますよ?」で完全にやられてしまう最後の構図が最高です。無表情な奏さんが冗談めかして迫るあの距離感、陽さんの心臓が破裂しそうになる気持ちが手に取るように伝わってきました。お互いに「食べさせたい/食べてもらいたい」という想いが交錯する、愛おしい幕間でした!