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喫茶店に入ると、二人は壁際の席に向かい合って座った。
店員が注文を取りにくると、国雄は紫野に尋ねた。
「コーヒーでいいですか? 紅茶やレモネードもありますが……」
「コーヒーをいただきます」
「では、コーヒーを二つ。それから……」
国雄はメニューを開いて紫野に見せた。
「甘いものも一緒にどうですか? シベリアやバウムクーヘンもありますよ?」
甘いものが好きな紫野は一瞬迷ったが、先ほど見たシュークリームのことが忘れられずにこう答えた。
「大丈夫です」
「そう? じゃあ、コーヒーを二つお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
店員はお辞儀をして戻っていった。
二人きりになると、紫野は急に緊張し始めた。その様子に気付いた国雄は、あえてざっくばらんに話を始めた。
「そういえば、まだ自己紹介をしていなかったね。僕は、村上国雄といいます。歳は34歳。仕事は、家業のセメント会社を……」
そこまで言いかけたところで、紫野が言葉を重ねた。
「村上セメント様のご子息でいらっしゃいますよね?」
「ご存知でしたか」
「もちろん。この町で一番大きな会社ですし、あの日、父がそう申しておりましたから」
「お父さんが?」
「申し遅れました、私は、大瀬崎紫野と申します。父は、大瀬崎蚕糸株式会社の前社長です」
「そうでしたか。お名前は、紫野さんと仰るんですね」
「はい」
「失礼ですが、お歳は?」
「二十歳です」
「お若いですね。ご両親の事故については伺いました。大変でしたね」
「はい。あまりにも突然のことだったので、今でもあまり実感が……」
「最近ご結婚されたとお聞きしましたが」
「はい。もしかして、すべてご存知ですか?」
「まあ、だいたいは……」
「小さな町ではすぐに噂が広まるので、困ってしまいます」
紫野は頬を赤らめてうつむいた。
「ということは、今は未亡人ということになりますか?」
「いえ、未亡人にはならずに済みました」
「え? それはどういう……?」
「嫁いだその日に、相手の方が急死したんです。その時、まだ籍には入っていなかったので……」
「なるほど。立ち入ったことをお聞きしてすみませんでした」
「いえ」
「では今はご実家に? あ、ご実家ではなく、伯父さんの家でしたね」
「いえ。父が建てた家にはもう戻れません」
「それは、帰ってくるな……と?」
「はい……」
「では、今はどこに?」
「小さい頃から私の世話をしてくれていた方のご実家でお世話になっています」
「それは、お手伝いさんのご実家ということですか?」
「はい……」
国雄は絶句した。両親を失った紫野が、家業を継ぐはずの家から完全に追い出されていたことに、驚きを隠せないでいた。
(彼女の伯父は、血も涙もない男なのだろうか?)
国雄には言いようのない怒りが押し寄せる。
しかし深呼吸をしてその怒りを鎮めると、紫野にこう尋ねた。
「だから、町役場の求人掲示板の前にいらっしゃったんですね?」
掲示板の前にいたのを見られていたと知った紫野は、恥ずかしそうにうつむき、小さく頷く。
「千代のところで、もう二週間も世話になっているんです。60を過ぎてようやく引退させたのに、私のことでまた苦労をかけてしまって……。だから早くお仕事を探して、あの家を出なければと思いまして」
「そういうことでしたか」
その時、コーヒーが運ばれてきた。
二人は会話を中断し、それぞれコーヒーを口にした。国雄はブラックで、紫野は砂糖を入れて味わう。
「まぁ、美味しい!」
初めての喫茶店で飲んだコーヒーは、こくのある味と芳醇な香りがしてとても美味だった。
「喫茶店は初めてですか?」
「はい。前を通ったことは何度かありましたが、入ったのは初めてです」
「そうですか。ちなみに、大瀬崎のお宅では、どんな暮らしを?」
国雄は、紫野がお手伝いのように扱われていたという噂を聞いてたが、あえて尋ねてみた。
その質問に、紫野は少し考えた後、こう答えた。
「花嫁修業のような毎日だったでしょうか? 伯父と伯母のおかげで、家のことは一通りできるようになりました。その点には感謝しています」
紫野はそう言って、淋しそうに微笑んだ。
その弱々しい笑顔を見て、国雄は胸の奥に今までに感じたことのない感情が込み上げてきた。
その時、国雄の背後から声がした。
「もしかして、紫野さん?」
声の方を見ると、そこに立っていたのは蘭子の取り巻きの一人、佐竹久子(さたけひさこ)だった。
久子は、女学校時代、一学年下の紫野に様々な嫌がらせを繰り返していた。
ありもしない噂を広めたり、持ち物を隠したりなど、その行為の裏には常に蘭子の指示があったと思われる。
だから、声をかけられた紫野は、一気に警戒心を強めた。
「久子さん、ご無沙汰しております」
「こんなところでお会いするなんて偶然ね! それよりも、聞いたわよ! あなた、大変だったみたいねぇ」
久子は、表面上は心配したふりをしていたが、どこか嬉しそうな表情で紫野に言葉を投げかける。
「お騒がせしてすみません。もうだいぶ落ち着きましたので」
「あらやだ、まだ二週間くらいしか経ってないじゃない! それに、結婚したその日に夫が亡くなるなんて、縁起が悪すぎるわ! 噂では、紫野さんが薬を盛ったんじゃないかって言われてるけど、私ちゃんと否定しておいたのよ。 紫野さんがそんなことをするはずないって!」
「お気遣いいただきありがとうございます」
「でも、本当のところはどうなの? ご主人が亡くなったのは、初夜の営み中に心臓麻痺を起こしたことが原因だって噂されているけれど、それって本当なの?」
好奇心を隠そうともしない久子の言葉を聞き、紫野は夫が亡くなった夜のことを思い出し吐き気を覚えた。
その時、向かいに座る国雄が大きな咳ばらいをした。
久子はその音にハッとし、国雄の方を振り返る。
そこにいたのが、村上財閥の御曹司である国雄だと気付いた久子は、かなり驚いている様子だった。
国雄が冷ややかに久子をじろりと睨むと、彼女は慌てて言った。
「あっ、お連れ様がいらっしゃったのね、失礼しました! あなた、村上様ですよね?」
「どうも」
「え? 今日はお二人でここへ? あら、なんだかお邪魔しちゃったみたいね、ホホホ……では、失礼します!」
久子はおどけた調子で言い終えると、そそくさとその場から立ち去った。
コメント
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紫野ちゃん本当に優しい子なのね伯父夫婦にお手伝いの様に扱われていても花嫁修行の様と答えるなんて😢なんて健気なのでしょう😢そこを国雄様も分かっていて話をしてくれるなんて 早く二人なんとかならないものなのかしら?それにしても久子さん❓大勢の前でする様な話ではないでしょ💢意地悪すぎる💢💢この人も蘭子さんと共に天罰をマリコ様にお願いしたいわ‼️
久子め💢再会デートの邪魔しやがってー😾😾 紫野ちゃんが国雄さんと一緒にいたところチクって絡んできそうですね💦 きっと国雄さんが紫野ちゃんを救ってくれるはず✨
久子、諸悪の根源だな‼️ 漢字間違えてない⁉️😅