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教室に残ったのは、蓮司と遥だけだった。放課後のざわめきが廊下の奥で遠ざかっていく。
窓の外には夕日が差し込み、教室の床を斜めに切り取っていた。
椅子に座ったまま、蓮司はいつものように笑っていた。
まるで昨夜の出来事なんて、なにもなかったかのように。
「なに、そんな顔すんなよ。怒ってないって」
声は穏やかで、むしろ優しさすら混じっていた。
遥はうつむいたまま、口を閉ざしていた。
「叩かれるの、嫌いじゃないし。……いい反応だったよ」
机の上で指をすべらせながら、蓮司はちらと遥を見た。
遥の頬は赤く、目は乾ききらないまま瞬きも遅かった。
「ほら、おいで」
その声が、柔らかくて、ひどく優しいのが余計に痛い。
逃げられないと分かっていて、遥は立ち上がった。
ただ命令に従うように。
蓮司の前に立ったとき、手が、そっと遥の髪に触れた。
「昨日さ、ほんとに泣きそうだったね」
「今は、もっと……静かに泣くの?」
その一言に、遥の肩がわずかに震えた。
喉がつまる。声が出ない。
痛いわけでも、怖いわけでもない。
ただ、あまりにも、身体の奥が冷たくて──動けない。
蓮司の指が、遥の顎に添えられる。
無理やりではない。でも、逃げようとすれば逃げられるような距離でもない。
「ねえ、遥。おまえさ……ほんとはさ、俺のこと怖いって思ってんの? それとも、好き?」
その言葉に、遥は初めて小さく首を横に振った。
どちらでもない。答えようがない。
蓮司はくすっと笑った。
「……あーあ、そんなんだから、日下部に期待しちゃうんだよ。可哀想に」
遥の視線が揺れた。
「また泣く? それとも──今日は、黙って泣くの?」
そのとき、遥の目から音もなく涙がひとすじ落ちた。
蓮司の手が、それを指先で拭う。
「俺のせいじゃないよ。おまえが泣くの、いつも自分のせいじゃん」
その言葉に、遥の喉が微かに鳴った。
何かを言いたくて、でも声にならなくて。
「大丈夫。泣き疲れたら、ちゃんと……使ってあげるから」
囁きが耳元でほどけた瞬間、遥の目からまたひとしずくが零れ落ちた。