テラーノベル
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――今泉さんにとって私は、性欲を満たすためだけの存在――
割り切った不倫関係に愛など存在しない。
一緒に歩む未来がないと知りながら続ける関係に、愛など存在しない。
愛しさと隣り合わせの切なさに思い悩み、恋焦がれる情熱も――
彼に抱かれているときの、満たされた幸福感も――
疑似恋愛の遊びに過ぎないの?
今泉さん……
あなたの本当の気持ちを聴かせて――。
耳もとに置いていた携帯が震えた。
眠りに落ちていた私は目を覚まし、ベッドから飛び起きるように携帯を掴み上げる。
突然、頭から水を浴びせられたように心臓が大きく脈打ち、全身には気持ちの悪い汗がびっしょりと滲んでいた。
「……そっか。いつの間にか寝ちゃってたんだ」
帰宅したままの服装で、私はベッドに横たわっていた。
一晩眠っていなかったのだから無理もない。
帰宅すると、そのままベッドへ倒れ込み、数分後には意識を失ってしまったのだろう。
「寝転んで……今泉さんに断りのメールをして……」
記憶を辿るように、携帯のメール画面へ視線を落とす。
【家で片付けたい仕事があるので今夜は行けません。ごめんなさい】
映し出されていたのは、今泉さんへ送ったメールだった。
「今頃、柳さんのオフィスで仕事を頑張ってるのかな……」
再び携帯を枕元へ置き、深いため息をつきながら寝返りを打った。
ドレッサーの上へふと視線を向けた。
――21時半。
ダウンライトの淡い灯りが、硝子製の置き時計を静かに照らしている。
心臓の鼓動さえ聞こえてきそうな、物音ひとつない静かな部屋。
「まだ遼は帰って来ないのかな……」
再び重いため息を落とし、ベッドの上で身体を丸める。
……あれ?
私って……
瞼を閉じようとした、その瞬間。
ある異変に気づき、私はパッと目を見開いた。
そうだっ。
電気が……。
私、ダウンライトになんてしてないのに!
天井を凝視し、息を飲む。
眠りに落ちる前は、確か天井中央のメインライトが点いていたはず。
遼が帰って来たんだっ。
帰宅して寝室を覗いて、それで私が眠っていたからダウンライトに切り替えて……
携帯を手にしたまま、ベッドから足を下ろす。
クローゼットの前へ置いていたバッグを持ち上げ、携帯をしまおうと手を滑り込ませた、その瞬間――
バッグの中で手が止まり、心臓がドクンッと大きく脈打った。
……えっ?
私は慌ててバッグの口を両手で大きく開き、中を覗き込む。
ない……
ないっ!
バッグの中を掻き回すように探す。
「あのディスクが無いっ!」
直江先生から半ば強引に押しつけられた茶封筒が、バッグの中から消えていた。
そんなはずない!
帰宅した時には、バッグの中に確かにあった。
……まさか、遼が!?
震える手で口を塞ぎ、息を呑む。
恐怖で一瞬にして血の気が引いた。
この部屋へ入って来た時に、私のバッグを探ったの?
それしか考えられない。
だって、確かにこのバッグの中に入っていたんだから!
私はバッグをその場へ放り投げ、寝室を飛び出した。
……あのDVDを遼に見られてしまったら?
恐怖で全身が震え上がる。
気味の悪い鼓動が、ドクドクと全身を駆け巡る。
目に飛び込んできたリビングの灯り。
私は足音を響かせながら駆け出し、扉を突き破る勢いでガラス戸を開け放った。
視界に飛び込んできたのは、ソファに座る夫の後ろ姿。
そして、その視線の先にあるテレビ画面――。
「まさか……そんな……」
映し出された光景を見つめたまま、絶望に呑まれた私は一歩も動けず立ち尽くした。
医療機器に囲まれた薄暗い部屋。
白衣から露わになった乳房を揉みしだき、荒々しく腰を打ちつける男。
その激しい律動に酔いしれ、腰を淫らにくねらせながら喘ぐ女。
「……遼……それは……」
小刻みに身体を震わせ、掠れた声が漏れる。
肌と肌が擦れ合い、体液が絡み合う卑猥な音だけが、静かな部屋へ響いていた。
「おはよう、亜紀。
面白い映像を隠し持ってるじゃないか」
夫は振り返ることなく、テレビ画面を見つめたまま静かに言った。
「……」
声も出ない。
息もできない。
私は目を見開いたまま、その場に立ち尽くす。
「なあ。これ、どこで手に入れた?」
冷え切った声でそう言うと、夫はゆっくりと首だけをこちらへ向けた。
私を真っ直ぐ見据え、口角をわずかに持ち上げる。
その笑みは、不敵だった。
「………」
冷然とした夫の視線に囚われ、声も出せないまま喉へ込み上げた唾を飲み込む。
「昼間、食堂で騒いでいた理由はこれだったのか」
夫はリモコンでテレビの電源を切ると、ゆっくりとソファから立ち上がった。
そして立ち尽くす私を見つめ、再び怯みのない笑みを向ける。
「言えよ。どこでそのDVDを手に入れたんだ?」
二人の間を隔てていたソファから離れ、夫がゆっくりと私へ歩み寄る。
……どうして?
どうしてこんな状況で、この人は平然と笑っていられるの?
さらなる恐怖に血の気が引き、鼻先から口元へ震えが走る。
「……そんなの、どこだっていいでしょ。
それより、浮気が知られたのにその態度は何? ……正気とは思えない。開き直るつもりなの?」
圧倒されながらも言い切り、強張る顔を歪めて身勝手な夫をキッと睨みつけた。
夫は私を探るように見据えたあと、再びククッと喉を鳴らし、この場に似つかわしくない笑みを浮かべる。
「ああ……
よく考えたら、この場を押さえられるのはオペ室のモニターを扱える外科医だけだよな。
――直江悠希。
あいつだろ?
……あいつに渡されたんだな」
「………」
「あいつ、亜紀に惚れ込んでるらしいからな。
おまえも年下の男に言い寄られて、満更でもないんだろう?」
夫は苦虫を噛み潰したような表情で、私を真っ直ぐ見据えた。
「馬鹿なこと言わないでっ! 私はあなたとは違う。妻のいる職場で……あんな場所で……
最低よ! 汚らわしい!」
恐怖を振り払うように、込み上げる怒りのまま声を荒らげた。
「……」
噛みつくように睨み続ける私の正面で、夫は冷静な表情を貼りつけたまま、ピタリと足を止めた。
握り締めた手のひらに、じっとりと汗が滲む。
夫は口を閉ざしたまま、何か言いたげな眼差しで私を見下ろしている。
まるで悪魔に囚われたような感覚に陥り、全身の血が冷え切って動悸だけが高まっていく。
重苦しい沈黙が、二人を包んだ。
「はぁ……」
不意に、夫は天井を仰ぎ深いため息を吐いた。
コメント
1件
亜紀さんの「あのディスクが無い!」からの一連の流れ、心臓が止まるかと思いました……。ダウンライトの異変に気づく小さな違和感から、夫の不敵な笑みまで、緊張が途切れずに続く描写が圧巻でした。特に「どうしてこの人は平然と笑っていられるの?」という亜紀さんの戸惑いが痛いほど伝わってきて、今後の展開が気になって仕方ないです。さくらさん、素晴らしい物語をありがとうございます🌸
瑠璃マリコ
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桃下結衣
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