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第97話 夢の次に残ったもの
旧雨国が崩れた日から、十年が経った。
国境線は地図から消え、
軍という言葉も制度から消えた。
解体ではなく、編入。
それが公式の言い方だった。
旧雨国軍は、
そのままの配置、
そのままの施設、
そのままの人員で、
サムライとニンジャに振り分けられた。
雨国にいた部隊は雨国の街に残り、
名札と端末表示だけが書き換えられた。
「今日から、ここは国軍じゃない。サムライ部局だ」
そう言われた日の空気を、まだ覚えている。
アキラはその頃、二十歳だった。
痩せ型で背は高くない。
短く整えた髪は、今も当時と同じ形をしている。
頬の線が少し硬くなったのは、
年齢のせいだけじゃない。
当時の雨国では、ニンジャは憧れだった。
端末一つで街を動かし、
命令は静かで、
表に立たない。
雨国軍に入った理由を聞かれれば、
みんな同じようなことを言った。
ニンジャになれるかもしれないから。
アキラもそうだった。
だが、同じ頃。
サムライに回された者たちもいた。
旧雨国市街の外周路。
昼でも人影の少ない通り。
アキラの端末越しに、
巡回ログが流れる。
サムライ部隊。
三人一組。
先頭を歩く男は、背が高く、肩幅が広い。
短く刈られた髪。
腕は太く、指の節が目立つ。
名はカズマ。
元雨国軍歩兵。
制服は同じく薄手だが、
肘と膝に補強が入っている。
端末は腰。
武装は軽量化され、
存在感だけが残った形だ。
「異常なし」
カズマが小さく言う。
声は低く、抑えられている。
彼の視線は、
人ではなく、
空間を見ていた。
立ち止まる影。
歩幅の乱れ。
視線の滞留。
判断はしない。
反応だけが求められる。
アキラは監視棟の席で、
そのログを受け取る。
旧雨国市街、通常。
隣の席に座るミナは、
少し丸顔で、
髪を後ろでまとめている。
彼女も元雨国軍だ。
当時は通信兵だった。
「サムライの巡回、今日も静かだね」
ミナが端末を見ながら言う。
「音がしないのが、普通になった」
アキラは答える。
通常とは、
何も起きていないという意味だ。
だがこの十年で、
アキラは知った。
通常とは、
サムライが黙って歩き、
ニンジャが黙って見て、
すべてが予定通りに処理されている状態だ。
雨国軍の頃は、
現場判断が許されていた。
サムライだった者は、
声を出し、
指示を飛ばし、
止めることができた。
ニンジャだった者は、
情報を集め、
決断を促す役だった。
今は違う。
判断は「揺らぎ」として扱われる。
止めるのは、
命令ではなく、
流れそのものだ。
端末に街区の状態が並ぶ。
人の流れ。
立ち止まり。
温度の偏り。
サムライの歩幅が揃っている限り、
異常はない。
ニンジャの画面が揺れない限り、
処理は終わっている。
ミナが言う。
「ねえ。
十年前さ、
本当にニンジャになりたかった?」
アキラは少し考える。
即答しないこと自体が、
今では珍しい。
「なりたかったよ。
かっこいいと思ってた」
「サムライは?」
「……正直、選択肢に入ってなかった」
画面の向こうで、
カズマが立ち止まる。
ほんの一瞬。
アキラの端末が反応する。
揺らぎ未満。
処理不要。
カズマは何も言わず、
歩行を再開する。
彼の顔には、
感情らしいものは出ていない。
ただ、
背中だけが、
昔より少し丸くなっていた。
「今は?」
ミナが聞く。
端末が一瞬、震える。
定期同期だ。
「今は……
職務だと思ってる」
それは嘘ではない。
サムライも、
ニンジャも、
憧れではなくなった。
窓の外では、
旧雨国の通りが続いている。
看板は書き換えられ、
制度は変わった。
サムライが歩き、
ニンジャが見ている。
それでも、
歩く人の姿勢は昔とあまり変わらない。
ただ、
立ち止まる時間が短くなった。
「雨国軍だった頃さ」
ミナが言う。
「未来がある気がしたよね」
アキラは、
モニターから目を離さずに答える。
「未来っていうより、
役割がまだ決まってなかっただけかも」
サムライとニンジャは、
解体された軍の受け皿だ。
新しい組織だが、
人は古いまま残っている。
カズマは歩き続け、
アキラは見続ける。
どちらも、
やめる選択肢はない。
端末に新しい表示が出る。
軽微な揺らぎ。
処理不要。
通常維持。
アキラは操作を閉じる。
カズマの巡回ログも、
静かに格納される。
十年前、
ニンジャに憧れて入った雨国軍。
十年前、
命令を信じて歩いていたサムライ。
今、
彼らは同じ制度の中にいる。
制服は変わっても、
役割は続く。
名前が変わっても、
人はその場所に留まり続ける。
アキラは背筋を伸ばし、
次の定期確認に備えた。
カズマは通りの角を曲がり、
次の区画へ進んだ。
それが、
今の大和社会で生き残る、
いちばん静かなやり方だった。