テラーノベル
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「せ、先輩……!」 喉まで出かかった言葉は、乾いた空気にかき消されました。 妄想の中ではあれほど傲慢に、神のように彼女を支配していた羊くんでしたが、いざ数メートルの距離に「本物」が現れると、金縛りにあったように動けなくなります。
彼女は、スマートフォンの画面を見ながら、何かに向かって急いでいるようでした。 かつての「不純な苗床」ではなく、社会の中で自立して生きる、眩しすぎるほど「純粋な」一人の女性。
「……待って、待ってください!」 ようやく震える足を踏み出し、羊くんは人混みをかき分けて彼女を追いかけます。 脳裏をよぎるのは、あの妄想の結末。自分の一部になった彼女。でも現実は、通行人の肩がぶつかるたびに、彼女との距離が開いていきます。
羊: (今、声をかけなきゃ。今、あの203話の続きを……いや、第1話を始めなきゃダメなんだ……ッ!!)
角を曲がった彼女の背中を追い、羊くんも全力でその角を曲がりました。
……いない。 曲がった先は、駅へと続くエスカレーターと、複雑に入り組んだ地下街の入り口。 数秒前までそこにいたはずの、あの凛とした後ろ姿は、無機質な都会の群衆の中に完全に溶け込み、消えてしまいました。
羊くんは、雑踏の真ん中で立ち尽くします。 行き交う人々が、立ち止まる彼を邪魔そうに避けていきます。
「……また、見失った」
妄想の中では、彼女はどんなに逃げても「監禁室」に戻ってきました。 でも、現実には「檻」も「マシン」もありません。 一度見失えば、二度と会えないかもしれない。それが、シミュレーションではない本物の世界の冷酷さでした。
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