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その後の話し合いで、優羽は一週間後から働くことになった。
勤務開始日までの一週間は、引っ越しや新しい環境に慣れるために使いなさいと、山岸夫妻は言ってくれた。
優羽の主な仕事はフロント業務とカフェの運営で、人手が足りないときには食堂の配膳にも入る。
食事は調理担当の男性と、その妻が配膳や皿洗いを担当し切り盛りしている。
掃除やベッドメイキングは、近所の主婦が数名パートで通ってくるそうだ。
優羽はこれまで飲食店のアルバイトやアパレルショップの店員を経験しており、接客には慣れていた。
また、妊娠中には小さな会社で事務をしていたため、事務作業や電話応対にも問題はない。
今まで細切れに積み重ねてきた経験が、思いかけずここで役に立つとは思ってもいなかった。
そのとき優羽は、どんな経験も決して無駄ではないのだと実感した。
帰る前に、紗子が優羽と流星の部屋を見せてくれた。
そこは一階の一番奥の部屋で、川に面した窓からはせせらぎの音が聞こえる。
部屋にはベッドが二つ、引き出し付きのクローゼット、そして備え付けのデスクがある。デスクは、流星が小学校に入るときに使えそうでありがたい。
窓際には小さなコーヒーテーブルと椅子が二つ置かれ、窓の外には絶景が広がっていた。
必要な家具はほとんど揃っており、新たに買い足すものはなさそうだ。
その後、紗子は山荘の中も案内してくれた。
一階のフロント横には小さなカフェがあり、その奥が食堂になっている。食堂も川に面していた。
二階へ上がり、吹き抜けの廊下を渡った先は山岸夫妻の自宅で、それ以外はすべて客室だ。
客室はツインの洋室が八部屋ある。
一階のフロント奥の廊下を進み階段を降りると、男女別の浴場がある。もちろん温泉だ。
規模は小さいが露天風呂も併設されており、仕事の後は従業員も入っていいらしい。
この風呂を見たら、流星はきっと大喜びだろう。
館内を一通り見学したあと、優羽は帰る前にもう一度山岸夫妻へお礼を伝えた。
「じゃあ、お待ちしていますよ」
笑顔で見送られ、優羽は山荘を後にした。
車を運転しながら、優羽の胸は高鳴っていた。
いよいよ新しい生活が始まる。これからは流星と一緒に、しっかりと地に足をつけて暮らしていける。
そう思うと、期待と興奮で胸がいっぱいだった。
それからの一週間、優羽は忙しく過ごした。
荷造りをしたり、必要な物を買い足したり、流星の保育園の準備をしたり――とにかく大忙しだった。
山神山荘で働くことを母と兄の裕樹にに告げると、二人は驚きつつも喜んでくれた。
裕樹は市役所の仕事でそのあたりをよく訪れており、山荘の評判にも詳しかった。
山神山荘は登山上級者に人気の宿で、オーナー夫妻の人柄が良いことでも知られているらしい。
実家から車で三十分以内という立地も、裕樹にとっては安心できる要因だった。
一方、母の恵子は流星と過ごすうちにすっかり情が移ってしまったようで、少し寂しそうだった。
それでも「何かあれば預かるからね」と言ってくれた。
優羽は、そんな家族の支えに胸がいっぱいになった。
引っ越し当日は、兄の裕樹が車で荷物を運んでくれた。
恵子が用意した菓子折りを持って山岸夫妻に挨拶もしてくれた。
そんな裕樹に向かって、山岸夫妻が言った。
「お仕事で近くまで来たら、いつでも寄ってくださいね」
二人の温かな人柄に触れた裕樹は、安心した様子で家へ帰っていった。
裕樹が帰ったあと、優羽はさっそく部屋の片づけを始めた。
衣類をクローゼットにしまい、流星のおもちゃの置き場所を決め、自分の私物を引き出しにしまう。
荷物の整理は思ったより早く終わった。
片づけの間おとなしくしていた流星に、優羽は声をかけた。
「流星、おうちの中を探検してみる?」
流星は目を輝かせて、
「うん!」
と嬉しそうに答えた。
山荘の中を見て回ったあと、二人は庭へ出た。
裏を流れる川沿いで、優羽は川の危険性を丁寧に説明し、その後山荘の周りを散策した。
豊かな自然を目にした流星は、
「かわもやまもちかくにあって、しゅごいねぇ」
と嬉しそうに声を上げた。
この自然あふれる環境は、きっと流星にとっても良い経験になるだろう――優羽はそう感じた。
その後、二人は山荘で働く人たちを紹介された。
食堂を担当する三橋夫妻は五十代半ばの気さくな夫婦で、三橋は東京のホテルでシェフをしていたという。
清掃担当の女性は三名で、田中と伊藤は六十前後の主婦、もう一人は三十歳くらいの中山舞子という優しそうな女性だった。
歳の近い舞子と優羽は、すぐに打ち解けた。
流星は従業員たちにも大人気だった。
物怖じしない性格が功を奏し、皆に話しかけては笑いを誘う。
山岸夫妻にもすっかり懐き、その可愛らしい様子に皆が目を細めた。
その夜、優羽のささやかな歓迎会が開かれた。
夏山登山の宿泊客が数名いたが、食堂で皆一緒に食事をした。
宿泊客は常連客が多いようで、新しく入った優羽と流星を、皆で温かく迎えてくれた。
優羽は、こんなにも温かい環境で働けることに、感謝の気持ちでいっぱいだった。
コメント
4件
何か有れば流星くん預かるよと言ってくれたお母さんになんだかほっとした…1人で育てる大変さ1番判ってるのお母さんだもんね。人柄が良いオーナーご夫妻だから働いてる人も温かみのある方々が集まって来るのね。私も一度「山神山荘」お泊まりしたい。😊😊😊
私も🤭「山神山荘」にお泊まりしたいです🎵🎵🎵 始まりますね✨優羽ちゃんと流星くんの新しい生活が✨ 今までの経験を活かし、2人とも伸び伸びとそして美しくたくましく頑張っていって欲しいです♡ 恵子さん寂しくて流星くんロスかしら?😊
はい👐私も「山神山荘」にお泊りしたいです(*´艸`*)✨これまでの経験を活かして優羽チャンの新しい生活を楽しんでね💪💪💪恵子さんもお兄さんも寂しくなるけど、車で30分ならいつでも会えるね😊🍀🍀🍀