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酔っているからかもしれないが、そもそも女性をここまで酔わせる時点でろくな奴じゃない。
そう思った次の瞬間、昨夜の自分を思い出し、彼のことを言えたもんじゃないと反省した。
幼馴染……か。
どこかで見た覚えがあるようなないような、芸能人か何かに似ているような。
とにかく、顔は小さいし、身長は椿より少し高いだけで、俺とは十センチ以上差があるだろう。
身体の線も細く、椿と大差ない。
声も男にしては高い。
あいつが椿の初めての男……?
悶々としながら、俺は椿を俺のベッドに寝かせた。
彼女は俺の腕の中で、既に眠っていた。
「お邪魔してます」
そっと寝室を出ると、男がリビングに立っていた。
「トイレ貸してください」
「出て左だ」
男はへへっと笑ってトイレに駆け込んだ。
俺は冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを二本出し、ダイニングテーブルに置いた。
「ありがとうございました」
さっきまでの酔ってふざけた態度とは一変して、涼しい顔で男は戻って来た。
「初めまして。朱月倫太朗です」
「朱月……?」
少し変わった名字なのに聞き覚えがあり、呟いた。が、すぐに姿勢を正す。
「是枝彪です」
「椿から聞いています。上司で、拝みたくなるほどいい男だって」と言って、彼は笑った。
彼の方がよほどいい男だろう。
いや、中性的でいい男とは少し違うのかもしれない。
「あ、俺のことは倫太朗って呼び捨ててください。椿の弟も同然ですから」
俗に言うワンコ系というやつか。
人懐っこくて憎めない笑顔は、午前零時には眩しすぎる。
同時に、自分の年齢を思い知らされる。
彼は酒を飲んでいるにもかかわらず、草原の香りでも漂わせていそうだ。
そんな考えは微塵も見せず、俺は彼――倫太朗に座るように促した。
年を取ると、こうして感情を隠すことには長けていく。
「コーヒーの方が良かったかな」
「いえ、水がいいです。いただきます」
倫太朗はキャップを開け、一口飲んだ。それから、ボトルを置いて、深々と頭を下げる。
「椿を助けてくださり、ありがとうございます」
「いや、俺が勝手にしたことだから――」
「――それでも、椿には頼れる人がいないし、いたとしても自分から頼れる性格じゃないから、是枝さんが助けてくれなかったら、今頃ウィークリーマンションの支払いと借金返済が大変で、バイトを増やしてたと思います」
『弟』と言うだけあって、彼女のことをよく知っているようだ。
俺もミネラルウォーターのキャップを外し、口に運んだ。
「で、是枝さんは椿をどう思っているんですか?」
「――っ!」
唐突で単刀直入な問いに、喉を通ったばかりの冷えた水が戻ってくるところだった。実際、鼻の奥がツンとする。
「椿もいい大人ですし、家政婦だろうとセフレだろうと愛人だろうと、同意の上なら何をしてもいいんです。ただ、是枝さんも気づいてると思いますが、椿って思い込みが激しい上に自己評価が底辺なんで、椿から聞いたことだけでは判断できなくて」
いやいや、セフレや愛人はダメだろう。
俺は口を拭い、ふぅっと落ち着けた。
「彼女はなんて?」
「是枝さんのことですか? 拝みたくなるほどいい男で、真面目で努力家で優しくて、尊敬してるし憧れてるって」
「ふっ……」
思わず笑ってしまう。
「べた褒めだな」
以前から思っていたが、彼女は俺を美化しすぎている。
俺はそんなにいい人間ではない。
そんなにいい人間ならば、酔った女をひん剥いたりはしないだろう。
「あ! あと、蕩けるほどキスが上手いって」
「はっ――!??」
弟にそんなことまで話したのかと、耳を疑う。
「椿、酔うと本音むき出しで面白いんですよね。で、どうでした? 椿って胸おっきいですよね。ちゃんとサイズに合った下着をつけるように言ってるんですけど、動きやすいからスポーツブラでいいって言って聞かないんですよ」
口元は笑っているが、向けられた目が笑っていない。
明らかに、俺を挑発している。
姉を弄ぶなと言いたいのか、彼女の身体を知っているのはお前だけじゃないと牽制しているのか。
ここは、大人らしく受けて立とう。
「明日にでも椿のサイズに合った下着や服を揃えるよ」
「食事に行くんですもんね。そうですね、そうしてやってください。セフレとはいえ、スポーツブラじゃ萎えますよね」
「セフレ、ね」
彼女が言ったのか、彼が昨日のことを聞いてそう思ったのか。
ただわかるのは、彼が俺を挑発する理由は嫉妬じゃない。
嫉妬なら最初から、この部屋に送り届けたりしないだろう。
「何が言いたい? 椿が同意しているのならセフレでも愛人でも構わないんだろう?」
倫太朗がぐっと喉を鳴らした。
「俺が住まいを与え、衣服を与える理由が椿とのセックスだけだとしても、彼女が納得しているのなら問題ないだろう。お互いにいい大人だし」
若者をイジメる趣味はないが、少なからず椿の最も近くにいる男に嫉妬したのは俺の方。
だが、目の前の若者にそんな俺の気持ちがわかるはずもない。
明らかに苛立ちを見せる。
だが、すぐに噛みついてくるわけでもなく、じっと考えているように見えた。
ミネラルウォーターを一口飲み、意を決したように顔を上げた。
「椿ちゃんを泣かせることだけはしないでください」
「え?」
「椿ちゃんは、一人でも生きていけるとか言ってるけど、本当は人一倍家族に憧れてて、本当は人一倍寂しがりなんですっ! いつもは借金返済のために節約して、余程安売りしてる時以外酒なんか飲まないし、外食もしない。だけど、今日は……毎年自分の誕生日にだけは俺と飯食って酒飲んで、また一年頑張ろうって笑うんです。酔うと、日頃は絶対に言わないような愚痴とか自己嫌悪とか言って泣いたりするんですけど、今日はずっとあなたのことを話してました。気の迷いでも触れてもらえて嬉しかったとか、一番最初におめでとうを言ってもらえて嬉しかったとか、食事に行くのにどんな格好をしたらいいんだろうとか。こんな風に、楽しそうに話す椿ちゃん、初めて見ました」
さっきまでの、大人ぶったというか落ち着いた表情や物言いとは変わり、必死な、余裕のない表情と口調。
しかも、さっきまで『椿』と呼んでいたのに、『椿ちゃん』になっている。
「だけど、急に泣き出して。昨日、酔って誘うようなことをしちゃって、是枝さんに軽蔑されたんじゃないかって。誘っておきながら久し振り過ぎて幻滅されたんじゃないかって。その上、中途半端で寝落ちしちゃって、怒ってるんじゃないかって」
「ちょっと待った。なんでそんな話に?」
彼女に誘われてああなったわけじゃない。
椿のノンアルコールのはずの缶にアルコール度数の表記を見て、水を取りに行こうと立ち上がった俺がテーブルに躓いて、彼女を押し倒すような格好になった。
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