凪子の乗ったタクシーが新居前に着くと、既に引越し業者のトラックが停まっていた。
凪子はタクシーを降りると、真っ先に部屋の鍵を開けに行く。
それから荷物の運び込みが始まった。
荷物を運び込むまでは一時間もかからなかった。
「ではこれで本日の作業を全て終了いたします」
引越し業者の若者達は、一斉に帽子を取ると凪子に一礼した。
彼らのお陰で引っ越しが滞りなく済んだ。
凪子は感謝の気持ちを込めて一人一人へ寸志を用意していたので、
まとめてリーダーの男性に渡した。
「本当に助かりました。ほんの少しですけれどお昼代の足しにして下さい」
「「「ありがとうございまーす」」」
若者達は爽やかな笑顔で言った。
凪子はトラックを見送ってからすぐに四階の部屋へ戻った。
ガラーンとした室内に、まだ家具は何もない。
とりあえずネットで注文していた布団セットが、今日の午後届く事になっている。
ベッドやテーブルなどは、これからゆっくり揃えていく予定だ。
朝から何も食べていない凪子はお腹が空いたので、近くのコンビニへでも行こうと財布を手にする。
その時、ちょうどスマホが鳴った。
信也からの電話だ。
「もしもし、信也?」
「引っ越し無事に終わったようだね」
「うん、今トラックが帰って行ったわ」
「じゃあ近くの美味い蕎麦屋で引っ越し蕎麦をおごってやる」
「やった、ラッキー! 今コンビニにでも行こうかと思っていたのよ」
「グッドタイミングだったな。じゃあ五分後にマンションの前で」
「うん」
凪子はそう返事をすると電話を切った。
「うーん…近くに親友がいると何かと便利ね」
凪子はクスッと笑いながら呟く。
そして積み上げられた段ボール箱の中からミニバックを取り出すと財布とスマホを入れて部屋を出た。
1階のエントランスへ行くと既に信也が待っていた。
信也はジーンズに黒のTシャツ姿だった。シンプルな服装なのに相変わらず格好良い。
「お疲れ」
「疲れたー! もうお腹がぺこぺこよ」
「その割に嬉しそうな笑顔だな」
「フフッ、だってやっと一人になれたのよ。これからは自分の城で自由を貪るのよ。最高じゃない?」
「まあ一区切りだな! でもこれからが大変だぞ」
「そんなの大したことないわ。この自由を守れるのなら私頑張る!」
「ハハッ、頼もしいな。じゃあ上手い蕎麦でも食いながらこれからの作戦でも聞かせてもらおうか!」
信也は笑いながらそう言って歩き始めた。
二人並んで数分歩くと、すぐにその蕎麦屋が見えた。
「この辺りで一番美味い蕎麦屋が近くにあるって、最高だろう?」
信也は蕎麦屋を指差しながら言う。
「うわっ、ほんと近っ!」
そして暖簾をくぐって店に入った。
「いらっしゃいませ、奥のお席へどうぞ!」
若女将が笑顔で二人に声をかけた。
店内には、既に何組かの客が座って蕎麦を食べている。
二人は奥の席へ座ると、早速メニューを開いた。
「俺はいつも天ざる」
「ん-、じゃあ私は冷やしたぬき蕎麦!」
「オッケー。すみません…」
信也が手を挙げて注文を伝えた。
それから若女将が冷たい緑茶を持って来てくれたので、凪子はゴクゴクと飲み干す。
「あーっ、そう言えば引っ越しの間、何も飲んでいなかったわ!」
「ちゃんと水分補給しないと、熱中症になるぞ」
「そうね…うっかりしてた」
「で、荷物は片付きそう?」
「うん。持って来た物は少ないから。家具や家電、食器なんかも全部置いて来たし」
「家具がないって…寝る時はどうするんだ?」
「とりあえず布団セットだけは買ったから大丈夫よ。ベッドとかテーブルはこれからゆっくり探して気に入った物を買うわ。
別に急ぐ必要もないし」
「そっか。家具選びは俺が連れていってやってもいいけれど、離婚まではあまり一緒に行動しない方がいいだろうなぁ…」
「え? どうして?」
「離婚前の女が男と一緒にいたら色々勘ぐられるだろう?」
「勘ぐられるって何を?」
「おいおい…頼むよ…それくらい想像しろよ! いきなり離婚を通告された夫が一番最初に思うのは、妻に何かあったのかも
しれないって事だろう? そんな時に俺が凪子の周りをウロウロしてみろよ。凪子と俺がいい関係なんじゃないかって勘ぐられ
るだろう? そうなると不利なのは凪子だ。もしかしたら慰謝料減額とか言われかねないし、最悪離婚しないって旦那が言い張
る可能性もあるからな」
信也の説明に凪子は頷きながら納得する。
そして信也は続けた。
「もっと最悪のはストーカーされて包丁でブスッ! なんて事にもなりかねない…なんか昔そういう事件あったよな?」
凪子は思わずゾッとする。
せっかく手に入れた平穏な生活を、あんなふしだらな夫に台無しにされてたまるか!
「あったかも。でもそういうのは絶対に避けたいわ」
「だろう? これからは離婚の話し合いをするんだから色々と気をつけなきゃいけない事がいっぱいあるぞ。向こうは少しでも
慰謝料を減額したいと思うだろうし、仕事だって左遷される可能性があるかもしれない。
男っていうのはさ、今までコツコツと築いて来た地位を奪われそうになると、何をしでかすか分からないからなぁ…だから充分
用心した方がいい」
信也の言葉を聞き、凪子は驚いていた。
まさか信也がそこまで考えてくれているとは思わなかったからだ。
「凄い的確なアドバイス! 信也凄いわね」
凪子が感心したように言うと、信也は言った。
「凄くなんてないぞ。俺が今言った事はあのブログにも書いてあったからな。」
その言葉を聞きさらに驚く。
信也は『なつみんブログ』を最後まで読んでくれたのだ。
「あのブログを全部読んだの?」
「ああ…リアル体験談は結構役に立ちそうだしな」
「凄い……」
古くからの友人がそこまでしてくれたと知り、凪子は素直に嬉しかった。
そして心から信也に感謝をする。
「ちょっと思ったんだけれど、信也からマンションを借りてるってバレたらまずいわよね?」
「ああ、まずいと思うよ。だから誰にも言うなよ。場所も知られないようにしろ」
「信也の事務所の人達はこの事は知らないの?」
「もちろん。俺があのマンションを買った事は誰も知らない」
「そっか! じゃあなんとか誤魔化せそうね」
凪子はホッとする。
その時、蕎麦が来たので二人は食べ始めた。
一口食べた凪子が、
「凄くおいしいっ! コシがあって好きだわ、このお蕎麦!」
凪子が大声で言ったので、
奥にいる若女将が嬉しそうに微笑んでいた。
コメント
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凪子さーん、なつみんブログ全部読んでない⁉️ 信也さんに注意されるってないと思いますよ‼️ 良輔は信也さんと凪子さんのこと疑ってるんだから、充分すぎるほどに用心してくださいよ🥵