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「聞きたいと思わない。聞いたからって名乗る気はないからな」

本心だ。

母親にだって、会うつもりはなかった。

会いたければ、どうにでも探せたのに、俺はそうしなかったし、考えもしなかった。

「そ? けど、どっかでバッタリ会ったら面白いかもね」

なにがどう面白いのか。

「ま、いいや。じゃ、ね」

母親は真っ赤のマニキュアを塗った手をひらひらと振り、出て行った。

振り返ることなく。

ピシャっとドアが閉まり、ハッとした。

急いで追いかける。

「ちょっと待った!」

母親は足を止めた。が、振り向かない。

「俺、さっきの子と結婚した」

「そ。おめでと」

振り返らない。

「結婚とか家庭とか、全然興味なかったけど、椿とはずっと一緒にいたいって思った」

「ふ~……ん」

母親の声が揺れた気がした。

「恨むほどあんたのことを考えたこともなかったけど、今は感謝してる」

「……」

「俺を産んでくれてありがとう」

「…………」

なおも、振り返らない。

だから、俺も背を向けた。

「それだけ」

「同じ声の男に会ったら、父親だと思っていいよ」

「はあ?」

振り返ると、母親もこちらを向いていた。

「あと、あんたの名前、父親の名前から取った」

「……あ、そ」

「昔はすっごいいい男だったけど、今はデブでハゲかもね」

「は?」

母親は笑って、背を向けた。

コツコツとヒールを鳴らし、足早に遠ざかって行く。

笑顔だけど、泣いているように見えた。

気のせいだったかもしれない。

病室に戻ると、ベッドの傍らに椿が立っていた。

「幸子は?」

「帰った」

「そう」

「五十過ぎに見えなかったけど」

「そうね。あんなに厳しく育てたのに、全く身になっていなかったとは嘆かわしい」

「いや、見た目……」

「すっごい綺麗な女性《かた》でしたね!」

椿がテンション高めに言った。

どことなく室内の雰囲気が変わり、同時にどっと疲れが出た。

病院に着いてから三十分やそこらしか経っていないのに、ものすごく神経をすり減らした気がする。

コンコン、とドアがノックされ、部屋の主が「どうぞ」と返事をした。

入って来たのはそれこそ五十歳前後くらいの看護師で、カートを押していた。

「点滴のお時間ですが」

「お願いします」

そう言うと、看護師はゴロゴロとカートを押してベッド脇までやって来た。

「椿さん、無理を言いましたね」

「え? いえ」

「彪、ご苦労様」

「ああ……」

帰れと言いたいらしい。

なんとも分かりにくい人だ。

俺は妻の背中にそっと手を添えた。

「椿、そろそろ行こう」

「はい。お祖母様、また来ます」

「いいえ。もう来る必要はありません」

「え?」

即答でピシャリと言われ、椿が目を丸くした。

「もう、十分です」

「でも――」と、椿が俺を見る。

俺はじっと祖母さんの顔を見た。

祖母さんはじっとドアの方を見ている。

見覚えのある、横顔。

十年前に家を出た時も、同じ顔をしていた。

じっと玄関を見据えて、決して俺を見なかった。

あの時、祖母は何を思っていたのだろう。

そして、今は何を思っているのだろう。

ただ、祖母は『十分だ』と言った。

「穏やかに逝けそうか」

俺の問いに、祖母さんが首を回した。

「ええ」

無表情だった。

最後に笑ってくれるかもなんて、期待するだけ無駄だ。

だから、俺が笑った。

「じゃ、な」

『また』も『さよなら』も言わなかった。

十年前も、そうだった。

それでいい。

俺は妻の手を引き、病室を出た。

無言のまま、ずんずん歩いた。

椿も何も言わずについて来た。

車に乗り、エンジンをかけ、さあ走り出そうとした時、椿がシフトレバーを持つ俺の手に自身の手を添えた。

「彪は……愛されてたね」

「え?」

「ちゃんと、愛されてたね」

「そんなこと――」

全力で否定したいのに、言葉が続かない。

あんな育てられ方をして、愛されていたなんて思えない。思えるはずがない。

なのに、嬉しいと感じた自分がいた。

母親を見た瞬間、母親だとわかった。

父親に声が似ていると言われた。

結婚する時、母親は俺を連れて行こうとした。

俺の名前は、父親の名前から取ったものだった。

母親は父親を好きだったと言った。

祖母さんが、俺を引き取ると言った。

俺は愛されて生まれてきた。

押し付けられたのではなく、祖母さんの意思で俺を手元に置いていた。

「偉かったね、彪」

「……っ」

「恨み言、言わなかった」

「…………っ」

「お祖母様、嬉しかったろうね」

ハンドルにかけた手で、くしゃりと前髪を掴んだ。

そのまま、ハンドルにもたれ掛かるように顔を伏せた。

見られたくなかった。

格好悪い自分を、見られたくなかった。

歯を食いしばり、ゆっくり深呼吸をする。

そっと頭に重みを感じた。

「彪は、すごいね」

妻の細い指が俺の髪を撫でる。

ゆっくりと、優しく、何度も。

初めてだった。

人に、こんな風に頭を撫でられたのは。

テストでどんなにいい点数を取っても、生徒会に入って頑張っても、褒めてもらったことなどない。

頑張ったねと頭を撫でられたことも、偉かったねと抱き締められたことも。

だから、だ。

初めての経験で戸惑っているだけだ。

そうでなければ、頭を撫でられたくらいで泣いたりしない。

男のくせに、そんなことで泣いたりしない。

好きな女の前で、泣いたりしない。

「くそ――っ」

止まらない涙に悪態をついたところで、どうなることもない。

俺はじっと目を閉じ、深呼吸をして、顔を上げた。

ずずっと鼻をすすり、手の甲で涙を拭う。

「格好わる」

「全然! 彪は格好いいです」

椿の真剣な表情に、初めて言葉を交わした夜を思い出した。

真剣に手を合わせ、三つの願いを口にした椿を。

『是枝部長のように仕事に邁進できますように!』

『是枝部長のように大成できますように!!』

『是枝部長のような男性とご縁がありますように!!!』

「椿の三つの願い、叶ったな」

「え?」

「仕事に邁進して、大成して、俺と縁を繋いだ」

思い出したのか、彼女がふふっと笑った。


ホント、もう、堪らない。


俺は身を乗り出し、椿の後頭部をしっかり掴んで引き寄せた。

互いのシートベルトのロックがかかる。

それでも、首を伸ばして、唇を重ねた。

さすがに誰に見られているかわからない車内では、触れ合わせるだけにとどまった。

唇こそ離したが、離れがたくて、おでこ同士をくっつけて見つめ合う。

「あの時から、惚れてたんだな」

「え?」

「あの夜から、椿を好きになった」

「嘘……」

「椿が拝んだ相手が俺で、良かった」

椿がふふっと笑う。

「あの夜、チョコレート付きの社外秘資料を見つけられて、良かった」

悔しいが、基山に感謝だなと思った。

さあ、ふたりの未来を語ろう

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コメント

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彪さん、過去の色々な思いから自由になれましたね。隣に椿ちゃんがいてくれて、良かった!🥹これできちんと幸せに向かっていけますね。

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