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#ハッピーエンド
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三十階層——ボス部屋前。
巨大な扉が、黙りこくった城門のように四人の前にそびえていた。
黒鉄で組まれた板には鋲がいくつも打ち込まれ、擦り傷とくすみがこびりついている。近づくだけで、胸の奥がじわじわ重くなる。
「装備、もう一度確認しよう」
ダリウスが、程よい緊張をにじませながら言った。
「はーい」
ミラはその場にしゃがみ込み、抱えていた大きなカバンをがばっと開く。
包帯。ポーション。聖印。予備のローブ。干し肉。
指先で触れて、数を小声で数え、奥まで覗き込む。
「……大丈夫だよ。忘れ物なし!」
顔を上げて、ぱっと笑顔を咲かせた。
横で、エドガーは胸の前で魔導書をぎゅっと抱きしめていた。
革表紙には細かな傷が何本も刻まれ、角は擦り減って丸い。手の甲の白さが、力の入り具合を隠せない。
「……いきますか」
低く、けれどはっきりとした声。
「あぁ」
ダリウスが短くうなずく。
エドガーは唇の端を、わずかに片方だけ持ち上げた。
「さぁ、何が出るか……」
肩が一瞬だけ上がって、すぐ落ちた。
ダリウスが両手で取っ手を押し出す。重厚な扉がゆっくり動き、金属が軋む音が腹に響く。
暗闇の中へ、一歩踏み込む。
その瞬間、左右の壁の松明が、ぱっ、ぱっ、と順に灯った。
煉瓦造りの壁。高い天井。床に走る古い傷。火が走るたび、輪郭が浮き上がる。
そして正面。
炎の明かりの向こう、部屋の中央に——巨大な赤い影が、じっと彼らを待ち構えていた。
胴体は分厚い。四肢は太い。首の先、金属の鎌みたいな歯を並べた口から、熱気が薄く漏れている。背には黒く焼け焦げたような翼。尾は鞭のようにしなり、床を軽く叩くだけでひび割れが走った。
——ドラゴン。
魔物の頂点と謳われる種族。
ブレスは上級魔法にも匹敵し、爪は岩をやすやすと裂く。尾で軽くはたかれただけで致命傷を免れるのは難しい。鱗は厚く硬く、そこらの攻撃では傷ひとつつけられない。
松明の炎が、巨大な竜の輪郭を赤々と縁取る。
瞳が、じわりと四人を舐めるように見下ろした。
最前列にいたダリウスが、思わず一歩だけ後ずさった。
「……でたな」
喉の奥から漏れた声には、恐怖と驚愕が混ざる。
それでも、口の端をわずかに持ち上げて続けた。
「……しかし」
その一言で、膝が前へ出る。背骨が一本、真っ直ぐになる。
隣で、オットーが大盾をぐっと掲げた。
笑っているのか引きつっているのか、自分でも判別できない顔で、ぽつりと漏らす。
「……でけぇな……」
普通のドラゴンは、だいたい農村の民家ほどの大きさだ。
だが、目の前のそれは——その倍はある。頭ひとつでは済まない。身の丈も、胴の太さも、翼の広がりも、「常識」を踏み越えていた。
「ただのドラゴンではないですね」
エドガーが、震えをわずかににじませながらも冷静に言う。
魔導書を抱える腕が、ほんの少し強く締まった。
三人の視線が、同じ一点に吸い寄せられた。
「「「……エルダードラゴン……」」」
魔物の頂点の、そのさらに上。
長命と膨大な魔力を備えた“長老竜”。ベテラン冒険者たちは、その名を嫌というほど知っていた。
「超集中に入る!」
ダリウスが声を張る。さっきまでの震えはもうない。
「オットーは俺のバックアップ! エドガーは最大火力で頼む!」
返事はない。
けれどそれでいい。今この瞬間の言葉は、邪魔になる。
ダリウスの視界の端で、オットーが一歩前へ出て盾を構える。
エドガーは魔導書を開き、ページを押さえる指を整える。
噛み合っていく。最初から決めてあったみたいに。
——ただ一人、ミラだけが、半歩遅れた。
後方でエドガーの位置を確保しようとした、その瞬間。
エルダードラゴンの巨大な翼が、ぐわりと広がった。
空気が鳴る。
突風というより、圧縮された「壁」がミラめがけて叩きつけられた。
「きゃあああっ!」
ミラの身体が宙に浮き、そのまま背後の煉瓦壁へ吹き飛ぶ。鈍い音。床に崩れ、額から赤い筋がつうっと流れ落ちた。
エルダードラゴンの尾がしなり、唸る。
先端が、虫を払うみたいな軽さで、ミラを叩き潰しに振り下ろされる。
その前に、影が割り込んだ。
「《スラッシュ!!》」
ダリウスだった。
剣閃が尾の軌道を横から叩く。
ガキン、と衝撃が骨を伝って腕まで響く。刃は鱗に弾かれ、肉には届かない。
尾はわずかに逸れ、ミラのすぐ横の壁に激突する。煉瓦が砕け、砂塵が舞い上がった。
竜の視線がミラから離れる。
ゆっくり、じり、と。遊び相手を選び直すみたいに、エルダードラゴンはダリウスへ顔を向けた。
(……ミラは、気を失っているだけか。命に別状は——ない)
思考が走る。胸は鳴っているのに、輪郭だけが妙にくっきりする。
(なら、前線に戻る)
ダリウスは躊躇なく駆け出した。
巨体の懐へ、一気に間合いを詰める。
(……《スラッシュ》じゃ、こいつには届かない。なら——)
腹や首に斬り込む映像が、頭の中で弾かれて消える。
狙うべきは、鱗に守られていない一点。
ダリウスは、ちらりとだけオットーに目配せする。
「オットー! シールドを——上に!」
短い指示。
それだけで、オットーには通じた。
「おぅ!」
オットーは盾を構え直し、地面を蹴って前へ出る。上体をぐっと反らし、大盾を天井に向けて押し上げた。
ダリウスがその上に飛び乗る。
次の瞬間、シールドが眩い光に包まれる。
衝撃が足の裏から背骨を叩き、ダリウスの身体が弾丸みたいに打ち上げられた。
視界が一瞬、暗闇と鱗の赤で埋まる。
次に見えたのは、頭上から見下ろす部屋の景色だった。
(狙うなら……目だ)
鱗の海にぽつりと穿たれた、露出した一点。
ダリウスは剣に力を集める。握りの皮が鳴る。
「——《グランドスラッシュ!!》」
踏み込みも溜めもない。
落下の勢いと全身の捻りを、刃にまとめて叩き込む。
轟、と肉と骨が砕ける感触。
次の瞬間、エルダードラゴンの右目が、鮮やかな緑の血とともに弾け飛んだ。
「ぎぉおおおおおおおお!!」
大気そのものが震えるような咆哮が、天井を揺らす。
ダリウスは剣を引き抜き、落下の角度を変えながら、もう次を見ていた。
潰された右目から血を噴き出し、エルダードラゴンが天を仰ぐ。
口腔の奥で、赤い渦が巻く。牙の隙間から灼熱の光が漏れ始めた。
(——ブレス!)
舌打ちが出るより早く、地上から怒鳴り声が飛ぶ。
「ダリウス、戻れ!!」
オットーの怒号だ。
ダリウスは足場の鱗を蹴り、身を翻す。落下の勢いを前転に変え、一直線にシールドへ走った。
後方では、エドガーが倒れたミラの身体を抱え上げていた。
「……っ!」
小柄な体重が意外なほど重い。痺れる腕に力を込め、肩に担ぐように抱えたまま、オットーの背後へ駆け込む。
オットーはすでに大盾を構え、シールドを地面に突き立てていた。
ダリウスが影に滑り込み、エドガーとミラが続く。
四人が背後に収まったのと、エルダードラゴンの顎が下がりきったのは、ほとんど同時だった。
「ブレス来るぞ!!」
オットーが振り返りざまに叫んだ。
次の瞬間——世界が炎に染まった。
太い光線のような、しかし確かな“質量”を感じさせる炎の塊が一直線に押し寄せてくる。
熱というより圧力。灼熱というより衝突だ。
「——《シールドバッシュ》!!!」
オットーの叫びと同時に、シールドが眩い光を帯びた。
エルダードラゴンのブレスと、シールドから迸る“防御の奔流”が正面からぶつかり合う。
衝撃が走り、オットーの全身に雷みたいな痛みが駆け抜けた。
「ぐぬぅうううううううっ……!」
足が、ぐずり、と地面にめり込む。膝から下が土に沈み、痛風の足首が悲鳴を上げる。それでも盾を押し返す腕は引かない。
シールド越しでも、息を吸うたび喉が焼ける。
口の中に血の味が広がり、唇の端から赤い筋が一滴こぼれた。
背後で、エドガーの詠唱が続いている。
「……ファイ、……エルン……キ……」
炎の轟音と、シールドが軋む音に掻き消されそうになりながらも、言葉は途切れない。
ただ、声がわずかに揺れていた。熱と圧力が、魔力の流れそのものを乱そうとしている。
(やめない、やめるわけにはいかない)
エドガーは唇を噛み、咳き込みそうになるのを奥歯で押し殺す。
ブレスの奔流が、シールドの表面を削っていく。
光の膜が薄くなり、ちらり、ちらりと点滅する。
(間に合え……!)
誰の祈りともつかない願いが、四人分、重なる。
やがて、ふっと押し続けていた圧力が消えた。
灼熱の壁が霧散し、焦げた石の匂いと白い蒸気が周囲を包み込む。
焼けただれた床では、ところどころ赤く熔けた石がじゅうじゅう音を立てていた。
「はぁっ……はぁっ……!」
オットーは肩で息をしながらも、まだシールドを下ろさない。
膝まで埋まった足を引き抜く余裕も、今はなかった。