テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
#海辺の町
澄江の家を出たあとの坂道は、行きより長く感じられた。啓介が少し前を歩き、芽生が間を空けてついてくる。莉々夏は団子の袋を持ったまま、さすがに今日は軽口を挟めずにいた。
「啓介さん」
芽生が声をかける。
「今のは、追わないほうがよかったかもしれません」
啓介は足を止めない。
「でも、あそこで何も言わずに帰るのも違うだろ」
「違います。でも、あの言い方だと追い詰めるだけです」
「じゃあ何て言えばよかったんだよ」
振り返った啓介の声は、自分でも驚くくらい尖っていた。
莉々夏が小さく「やば」と言って一歩下がる。
芽生は引かなかった。
「相手が開けるまで待つって決めたの、私たちです」
「待ってたら時間がなくなる」
「だからって、いちばん痛いところへ先に触っていい理由にはなりません」
啓介は返す言葉を探したが、うまく見つからない。港のほうから作業音がかすかに響く。沈船も、役場も、春休みの終わりも、全部が急いでいるように聞こえた。
「芽生は、いつも正しいよな」
口から出た瞬間、しまったと思った。
芽生の表情が強張る。
「正しいことを言ってるんじゃないです」
「でも俺にはそう聞こえる時がある」
「啓介さんが焦ってるのは分かります。でも、焦ってるのは私だって同じです」
その一言のあと、芽生は少しだけ黙った。
それから、もう隠せないという顔で息を吸う。
「……私は、ずっとここにいられないんです」
啓介の足が止まる。
「春が終わったら、町を離れるかもしれない。だから急いでるのは、啓介さんだけじゃない」
芽生はそれだけ言って、先に歩き出した。
莉々夏は二人を見比べたまま、何も言えない。
さっき聞いた戸の閉まる音は、あの家だけのものじゃなかった。
今、二人の間にも、別の戸が一枚、重たく降りた。