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放課後、廊下。
教室の空気を抜けて出た瞬間、少しだけ息ができるような気がした。
遥は歩くでもなく立ち止まったまま、窓の外を見ていた。
夕方の陽が、ガラスに斜めに差し込んでいる。
──その背中に、気配が近づく。
「……なあ」
日下部の声だった。
遥は反応しない。
でも、日下部は立ち止まらない。
すぐ隣まで来て、ガラス越しに並んだ。
「……朝、おまえの机、ちょっと……変だった。誰も言わなかったけど」
遥はゆっくりまばたきした。
視線はまだ外を見ている。
「……見たの」
「……ああ。……それと……あれ。昼、後ろから……ごめん。止めらんなかった」
沈黙。
風の音が、窓をわずかに震わせる。
「……何が“ごめん”なの?」
遥の声は小さかった。
でも、それは明らかに、今までと“質”が違っていた。
「別に、おまえのせいじゃない。……見てたの、わかってたけど。……それだけだろ」
「……でも、俺は──」
「……見んなよ」
遥が初めて、顔を向けた。
目は合わない。
けれど、確かに“そこ”を向いていた。
「見てるくせに、何もしてこないって……そういうの、いちばん……わかんなくなる」
「……違う」
「じゃあ、何?」
「……見たから……動けなくなったんだよ」
日下部は、声を絞り出すように言った。
その拳が、ポケットの中で強く握られているのが見えた。
「おまえが、ああされてるの見て……俺、どうしたらいいかわかんなかった。怖かった。俺まで何かされたらとかじゃない。……おまえが、俺の顔を、あんなふうに見たら──って思って」
遥の目が、かすかに揺れた。
「俺は……前にも、おまえにそういうこと、してきたから。……だから、余計に」
沈黙。
遥はそれ以上、何も言わなかった。
ただ、少しだけ肩が落ちた。
「……もういいよ。別に、責めてない」
その言い方に、日下部はわずかに顔をしかめる。
「……責められた方が、マシなんだけど」
「おまえ、ほんとにバカだよな」
遥が呟いた。
皮肉でも、怒りでもない。
ただ、乾いたような声だった。
「俺、何されてもいいって思ってる。……ほんとに。もう慣れてるし。おまえまで、それ背負わなくていい」
「それ、ほんとに言ってる?」
「うん。言ってるよ。だから、やめろ。変な顔で、俺のこと見るの」
日下部は、一歩だけ近づいた。
でも、手は伸ばさなかった。
遥の言葉に、ひとつだけ返した。
「それでも、俺は……見てるからな」
「……勝手にすれば」
その言葉は、拒絶ではなかった。
ただ、自分を守るための、小さな境界線だった。
そしてその“曖昧な線”が、
次にまた、どこかへ引き裂かれていくことを──
どちらもまだ、知らなかった。