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セルマの手を離したあとも、ディアビレの胸の内では長いあいだ押し込めてきた言葉が暴れていた。いつもなら飲み込む。ルナ・マグのため、今日を回すため、次の朝を迎えるため。けれど今夜は、もう喉の奥へ戻っていかない。
「私、ずっと黙ってきました」
自分でも驚くほど、声はまっすぐ出た。
「母の店を守りたくて、働けと言われれば働いた。悪役をやれと言われればやった。見下されても、使われても、ここにいれば何か残せると思ったから」
セルマが何か言い返そうと口を開く。だがディアビレは止まらなかった。
「でもあなたは、残すどころか、全部踏みにじった。母の店も、私の時間も、言葉も、都合のいい時だけ使って、要らなくなったら捨てようとした」
声が震える。怒りだけではない。悔しさと、ずっと気づかないふりをしてきた痛みが、今さら一緒に浮かんでくる。
「私の人生まで、勝手に裏方で終わらせないで」
その一言が落ちた瞬間、セルマの顔から表情が消えた。周囲の誰も動かなかった。誰かのために我慢することしか許されなかった娘が、初めて自分のために怒っている。その事実が、会場の空気を変えていた。
ベジラが椅子の背をつかみ、うつむく。アネミークは唇を噛み、ラウールはマイクもないのに息を潜めている。
ディアビレはもう一度言った。
「この場所も、母の店も、あなたの都合で消えるものじゃない」
その時、窓の向こうで白い光が走った。続いて落雷の轟音が、海を割るように響く。
一拍遅れて、大広間の明かりがすべて落ちた。
暗闇が一瞬で人を無力にする。誰かの短い悲鳴、倒れたグラスの音、椅子のぶつかる音。さっきまで売却の話をしていた会場が、たちまち混乱の中心へ変わった。
ディアビレは反射的に動いた。怖がる暇はない。この闇の中では、泣くより先にやることがある。
どこか近くで、ジナウタスの声が飛ぶ。
「非常灯を回せ。宿泊客を窓から離せ!」
怒りの熱が、別の熱へ切り替わる。今夜はまだ終わらない。むしろ、ここからだった。