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「きみがどうしても俺の提案を受け入れられないというのなら、俺がよそに行くから、きみがこのマンションを使ってくれ」
「どうしてそうなるんでしょう? これは私の問題です。是枝部長にお世話になる理由がありません」
柳田さんはリビングの床に正座して、至極当然のことを言った。
座ってくつろぐようにと言ったら、床に座ったのだ。
それから、かれこれ三十分。
こうして、俺は柳田さんに俺のマンションで暮らそうと説得を続けている。
最初こそ、自分でもどうかしていると思った。
衝動的に、彼女をあのアパートに置いておけないからと俺の家に連れて来たが、セクハラで訴えられてもおかしくない状況だ。
同棲、もとい、同居は現実的ではないと考え直した。
だから、今夜はここに泊まってもらい、明日はアパート探しを手伝おうと思った。
が!
俺の話を全く聞かずに、ひたすら、全力で現状を全否定され、持って来た鞄を手放そうともしない彼女に、苛立った。
そこまで拒絶され、俺も意地になってしまい、気づけば同居の方向で説得していた。
「部下の心配をするのは上司として当然のことだろう?」
「ですが、これは行き過ぎています」
尤もだ。
俺は自分の衝動的な言動の理由を彼女が納得できるように、且つ、コンプライアンス違反にならないように説明すべく、彼女と向き合っている。
好きだから、は理由にならないよな……。
いい加減に疲れてきた俺は、切り札を出すことにした。
「失礼を承知で言うが、柳田さんは予定外の引っ越しをする金銭的余裕があるのか? そんなことに使うなら、借金返済に充てたいのではないか?」
「……っ! それは……そうですが、仕方がないことなので――」
「――この部屋で暮らすのなら、家賃も光熱費もいらない」
「え?」
足元を見るやり方は男らしくない。が、柳田さんに俗に言う『普通の女』に対する扱いは通用しない。
ここまできたら、押し通すほかない。
「代わりに、食事の支度をしてくれたらいい。俺は、毎日きみのおにぎりが食べたい」
「おに……ぎり……ですか?」
「そうだ。きみは俺とルームシェアをし、家賃と光熱費の代わりに食事を用意し、俺の部下として経営戦略企画部で働く。俺は美味い飯が食え、仕事が捗る。ウィンウィンの取引だ」
「取引……」
俺はわざと横柄に見えるよう、仁王立ちで腕を組み、柳田さんを見下ろした。
「そうだ。恋人でも夫でもない男と一緒に暮らすのは不本意だろうが、きみはそれを我慢さえすれば、金銭的に余裕ができる。俺は食生活が改善される。良いこと尽くしだろう」
ハッタリはお手の物だ。
伊達に営業畑で扱かれてきたわけじゃない。経営戦略企画部にしても、そうだ。
企画そのものもさることながら、いかにその企画が素晴らしいかを認めさせるには、八割はハッタリでごり押しする。
卑怯は承知の上だ。
そうまでしても、柳田さんをあのアパートに帰したくない。
柳田さんが尊敬してくれている俺のプレゼンが功を奏したのか、彼女は明らかに迷い出した。
ここでもう一押しだ!
「それに、だ。最近ではこう言った男女の同居は珍しいことでもないようだ」
「そう……なんですか?」
明らかに怪訝な表情で俺を見る。
俺は力強く頷いた。
「昨今、消費税を始めとする税金の増加、物価や学費の上昇、就職率の低下、入社後まもなくの退職率などから、学生を始めとする若者の貧困化が問題視されている中、高年齢化の影響によって増えた空き家をシェアハウスとして活用するのは、若者の金銭的事情やそれに伴う婚姻率、更には出生率にまで良い影響をもたらしているそうだ」
「……はぁ」
「『同居もの』として小説や漫画、ドラマや映画の題材となるまでに、社会現象となっていることを鑑みても、俺と柳田さんのルームシェアはさほど行き過ぎた提案ではない」
「そうでしょうか!? 確かに『同居もの』なる小説やドラマが人気であることは知っていますが、それはあくまでも――」
「――めぞん〇刻という漫画は知っている?」
「はい、何となくは」
「あれは下宿、という設定だったが、ルームシェアとなんら変わりはない。同じ建物に男女が暮らしている。トイレも風呂も共有。違うのは、管理人が食事や建物内の共有部分の清掃などを業務として行っていることだろう。あの漫画が流行った当時、実際に貧乏学生と呼ばれる親元を離れて高校や大学に通う学生は寮や下宿が当たり前だった。それを、異性と暮らしていると下品な色眼鏡で見る大人はいなかっただろう。その理由が、管理人の存在だというのならば、俺たちの場合は俺が管理人で柳田さんが下宿人とでも思ってくれたらいい。俺はきみを下宿させる対価として金銭ではなく労力をもらい受けるだけだ」
柳田さん張りにカッチカチにまくし立てる。
すると、彼女は首を傾げ、それから頷いた。
「なるほど……」
俺は表情はそのままに、心の中でガッツポーズをした。
会社での『はいかいいえ』での返事を求めたことといい、柳田さんの攻略法が掴めてきた。
が、ここで安心してはいけない。
「もちろん、きみが俺との同居がどうしても、生理的に不可能だと、社外でまで俺と同じ空気を吸うのが嫌だとまで思っているのならば、無理にとは言わない。俺はきみにそばにいて欲しいと――」
「――それはありません!」
理屈ばかり並べ立てるのではなく、俺個人が柳田さんに好意を持っていることもほのめかしておこうと思った矢先の、彼女の一言。
「生理的に不可能だなんて、有り得ません! 私は心から是枝部長を尊敬しています。むしろ、寝食を共にし、少しでも是枝部長に近づけたらと願ってやみません。ですが! 一部下である私にここまでの恩恵を施していただいても、私の労力では到底お返ししきれません。私の容姿や体型がせめて一・五倍増しか、是枝部長にご満足いただける技巧を習得していれば、御恩をお返しできると――」
「――ちょっと待ったぁ!」
俺は肘をぴんと伸ばして柳田さんの顔のすぐ前で掌を広げた。
「ちょっと、いやかなり! 話の流れが不健全な方向に向かっている気がするんだけど」
「不健全……」
キョトンとされると、彼女の言葉に過剰反応した俺の精神だけが不健全なのかと不安になる。
だが、あの言葉でそう思わない方がおかしいだろう。
「ルームシェアに容姿も体型も技巧も必要ないから。いや、俺個人としては、柳田さんの容姿も体型も技巧も申し分ないんだけど、それはあくまでも人柄があってというか!」
自分でも何を言っているのかわからなくなる。
「とにかく! そういう……気遣いは必要ないし。いや、そもそも、恩恵だなんて恐縮されるほどのことでもないから――」
「――わかりました! では、せめて部長のお邪魔にはなりませんよう、お客様がいらっしゃる際には遠慮なくお申し付けください」と、柳田さんは意気揚々と自分の手を胸に当てて言った。
「はいっ?」
「私の痕跡を髪の毛一本も残さず消して、一泊でも二泊でも――」
「――いやいや! なんか、ちょっと待って」
再度彼女の言葉を制止し、考える。
どう言ったらわかってくれるのか。
いくら直球で押すのが効果的だとしても、ルームシェアを提案しているこの状況で俺の好意を伝えるのは、下心しかないと言っているようなものだ。
かと言って、それこそ昨夜か一昨夜にちょっと見たドラマのように上司が部下を助ける構図で固めてしまっては、柳田さんは額面通りにしか受け取らないと思う。
ドラマの女の子は、『好きにならないように頑張らなきゃ! 自信ないけど……』なんて呟いていたけれど、彼女にそれは望めないだろう。
いや、それ以前に、色々と誤解というか思い込みがありそうだな……。
「柳田さん、聞いてくれ。まず、ルームシェアは俺から提案したことだ。迷惑だの邪魔だのと思うなら、そもそも提案しない。次に、この家に客は来ない。来たことがない。きみが初めての客だ」
「ですが――」
「――更に!」と、少し強い口調で柳田さんの言葉にストップをかける。
「きみが言う『お客様』というのが女性を示しているのなら、俺には恋人はいないから、考えなくていい。そもそも、恋人がいたら他の女性とのルームシェアなど提案しない」
「ですが――」
「――ついでに! 恋人以外にも親しい女性はいない。強いて言えば、今の俺の最も親しい女性は、柳田さんだ」
「……」
レンズの向こうの碧い瞳が大きく開かれる。
柳田さんと話していて、黙られることはあまりないから、どうしたのかと不安になる。
彼女の気分を害するようなことを言っただろうか。
「だけど……」と、柳田さんが目を伏せて呟いた。
「だけど?」
「……」
いつも必要以上にハッキリとものを言う彼女が口ごもるなんて珍しい。
「柳田さん。お互いに快適な同居生活を送るために、我慢はやめよう。たとえどちらかの我慢が必要だとしても、それはきちんと話し合って納得した上で、だ。だから、気になることがあるのなら言って欲しい」
名誉挽回だと、上司風を吹かせてキリッと決めてみた。
だが、やはり柳田さんはいつも俺の斜め上をゆく。
意を決したように眉に力を込めて顔を上げる。
「ではお聞きします!」
「え? あ、うん。どうぞ」
何を聞かれるのかと、ちょっと尻込みしてしまう。
「是枝部長がゲイ、もしくはEDだという噂は本当でしょうか!?」
ゲ――。
「はぁ?」
上司風もキリッも吹き飛ぶような間抜けな声がリビングに響く。
「え? 俺、そんな噂されてんの?」
「そのようです。社食で……女性社員が話しているのが聞こえたのですが」
あまりの衝撃に、肩の力が抜ける。
告白を断り続けたからだろうか。
だからといって、男性社員と必要以上親しく接しているつもりもないが。
ああ、だからED疑惑……。