月曜の朝一で、俺は有田さんと会議室に籠った。
『和泉くんはなぜ、この十社と手を組もうと考えたんだろうね』
成瀬さんが言った。
『この十社はなぜ、和泉くんと手を組むことを了承したんだろうね』
何度も事業計画書を読むことで、和泉兄さんの目的が理解できるのではと思ったが、俺がしなければならないのはそんなことではなかった。
和泉兄さんの目的がわかったところで、俺にはどうすることも出来ない。俺が今すべきことは、和泉兄さんが復職するまでプロジェクトを存続させること。提携予定の十社を繋ぎ止めておくことだ。
「確かに、和泉社長はお一人で相手の担当者とお会いになることもありました」と、有田さんは言った。
「ならば、社長が独断で提携に関する条件を付加していた可能性もありますよね?」
「可能性は否定できませんが、それを確かめる方法がありませんし、わかったところで私たちにはどうすることも……」
先週から相手企業に門前払いされていた有田さんは、すっかり弱気になっていた。
「有田さん、僕の目的はプロジェクトの成功ではなく、プロジェクトの維持です。和泉社長が復職するまで持ち堪えられればいい」
「成功ではなく、維持……」
有田さんは不思議そうな顔で俺を見た。
「そうです。僕は和泉社長にとって代わる気はないんです。ふた月後、プロジェクトの総括として記者発表の席に座るのは和泉社長です。僕はそれを実現させたい」
俺は有田さんをよく知らない。和泉兄さんが営業部長としてプロジェクトを手伝わせているのだから、有能なのだろう。見た目には五十代前半の穏やかで腰の低い、お世辞にも営業向きとは言えない雰囲気だが、今は彼を頼るしかない。
「わかりました……。二日ください。明後日の朝一で提携予定の十社の資料を提出します」
一瞬、有田さんの目つきが変わった。
そして、彼は会議室を飛び出して行った。
二日後、有田さんは約束通りにプロジェクトに参加予定の十社について詳細な資料を提出した。過去数年の業績から社長や頭取の家族構成まで、一通り目を通すのに午前中いっぱいかかった。
十社共通して言えることは、このままの業績では五年後には名前を残していないだろうということ。想像はしていたが、やはり和泉兄さんは自力では生き残れない企業を束ねて、日本の金融を動かせるほどの共同体を作るつもりのようだ。
俺は有田さんと一社ずつ説得の材料を吟味し、対策を立てた。
昨日、副社長と昼食をとった時に有田さんについて聞いた。若い頃の有田さんは、狙いを定めるとどんな卑怯な手を使っても契約を結ぶ、悪評高いヤリ手の営業マンだったらしい。年齢と共に手段は変わり、昇格と共に手腕を振るう機会は失われたが、部長として部下からの信頼は絶対だという。
「では、明日からは交渉に入りましょう。僕の名前でアポイントを取ってください」
「わかりました」
「有田さん。一時的ではありますが、このプロジェクトの責任者は僕です。僕が責任を負いますから、有田さんはご自分のやり方で思う存分手腕を発揮してください」
「その言葉、後悔しないでくださいね」
有田さんは楽しそうに頷いた。
翌日、俺は有田さんの恐ろしさを知る。
十時、交渉一社目は最後に提携を断ってきたクレジットローン会社。信用第一で金利の設定も低く、三十年前が全盛期だった。十年前に父親から息子に代替わりして、店頭での貸付け審査をネットや電話に切り替えたが、時代の波に乗り遅れ、赤字の一途を辿っていた。
有田さんが言うには、この会社が今も何とか持ち堪えられているのは、店頭受付を続けているためで、ネットや電話での対応に不安のあるお年寄りの顧客に多いかららしい。
四十代半ばの現社長は、俺の顔を見るなり頭を下げ、謝罪を述べた。
事情を聞くと、昨年度末で業務を終了する予定だったのを、和泉兄さんが社員の雇用継続を申し出たことで、プロジェクトへの参加に踏み切ったとのことだった。和泉兄さんが社長職を離れていることを提携企業の一つから聞かされ、今なら社員に退職金を支払ってやれると、提携を断ってきたのだった。
人情味溢れる話に、俺は説得を迷った。けれど、有田さんは流されることなく社長にプロジェクトの参加継続を決断させた。
「金融庁への認可申請までに和泉社長が復職されなければ、御社の社員への退職金はT&Nフィナンシャルが無利子無担保無期限で出資させていただきます」と、言って。
『出資』なんてもっともらしい言い方をしたが、結局のところはプロジェクトが失敗しても社員の退職金はT&Nフィナンシャルが提供するから、時間をくれということだ。
略式の契約書を交わし、俺と有田さんは一社目の交渉を終えた。
「蒼さん、同情してはいけませんよ」
予想より早く交渉を終え、定食屋に入った俺に、有田さんが言った。
「食うか食われるか、勝つか負けるかです。あの社長に同情して説得を諦めていたら、我が社の社員が路頭に迷うかもしれないのです。それに、社員を思いやる気持ちには感服しますが、元はと言えば会社と社員を自力で守れない社長の不甲斐なさが招いたことです」
正論だ。
「今回はプロジェクトの維持が目的で、あなたが責任を負うとのことですから、こちらが低姿勢で挑みますが、本来であればあちらが頭を下げて助けを乞うて当然なのです」
「そうですね……」
「弱気な態度は足元をすくわれます。ハッタリでもあなたは不遜な態度を崩さないように。あとは私が交渉します」
「わかりました」
言葉通り、午後に訪れた証券会社では、俺は腕と足を組んで担当者を睨みつけているだけで、有田さんの交渉は成功した。一つ、条件を提示されたが。
俺と有田さんが気になったのは、この会社も先のローン会社と同様に、提携企業の一社から和泉兄さんの謹慎を知らされたということだった。そして、その会社は恐らく、条件として名前が挙がった企業だろう。
「こうなると、十社すべてが和泉社長の謹慎を知っている前提で挑むべきでしょう」
帰りのタクシーの中で、有田さんがため息交じりに言った。
「一番厄介な相手が、プロジャクトのキーパーソンになるとは……」
「そんなに厄介なんですか?」
「ええ……。和泉社長も手を焼いていましたから」
あの、和泉兄さんが……。
「けど、そこを落とせば十社の提携は成されますね?」
「提携が成されても、和泉社長が期限内に復職されなければすべて水の泡ですよ」
「それは大丈夫です。僕には幸運の女神がついていますから」
有田さんが、怪訝そうな表情で俺を見た。