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亜紀の「闇の中じゃないと光は見えなくなっちゃう」って台詞、すごく刺さった……。今泉さんの存在が、彼女にとって矛盾だらけの現実の中で唯一の拠り所なんだね。楓や遼への憎しみを抱えながらも、その光を失いたくなくて、自分の闇ごと抱えて生きる覚悟みたいなものを感じた。言葉にできない感情の重さがひしひし伝わってきたよ。柏木さん、今回も本当に繊細で美しい世界をありがとうございます……!
楓の前では怒りを露わにせず、平静を装う――
ふと、昨夜の楓とのやり取りが脳裏をよぎる。
夫の浮気相手だと知りながら、自宅へ招こうと誘いをかけた私。
狼狽える楓の心中を探りながら、深い憎しみを隠して笑顔を浮かべていた私。
心の奥底から這い上がる、陰湿な感情。
「そうね……。
楓の前なら、きっとできるわ。
今までどおりの私を演じられる」
それであの娘が苦しむのなら、いくらでも平然と笑顔を向けてやる。
床に染みついた黒い汚れを見つめたまま、低い声が零れ落ちた。
「問題は旦那よね……」
麗香がため息混じりに呟く。
「……遼?」
「そう。あの手強い旦那。
さっき、あれだけ亜紀が攻撃を仕掛けたんだから、今夜は間違いなく銃撃戦になるでしょ?
楓の名前まで出したのよ。
向こうだって、今回ばかりはいつもの傲慢さで押し切れるとは思ってないはず」
「……そうね」
「まあ、簡単には浮気を認めないでしょうね。
証拠でもあれば別だけど……。
浮気現場を見たって言ってたけど、どこで見たの?
昨夜の急変とか、あの男に呼び出されたとか……。
話が繋がらなくて、私には状況が見えないの。一体、何があったの?」
麗香は眉間へ深い皺を寄せ、真っ直ぐ私を見つめる。
「……証拠ならあるわ。
ぐうの音も出ないくらいの決定的な証拠が。
今は、それを直江先生が持ってる」
「はあっ!? 浮気の証拠を悠希が持ってる!?
なんで!? どうしてっ!」
麗香は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、大きく声を上げた。
「……昨夜、直江先生が私を病院へ呼び出したの。患者が急変したって嘘をついて。
二人の浮気を教えてくれたのは彼よ。
ご丁寧に、現場まで見学させてくれたわ……」
「悠希が、その現場へ亜紀を呼びつけた!?
現場って病院のどこ?
見学って……あんた、一体何を見たのよ!」
麗香はベッドから勢いよく立ち上がると、床へ滑り込むようにしゃがみ込み、私の顔を覗き込んだ。
「それは……
言いたくない」
私は親友から目を逸らし、固く口を閉ざした。
「言いたくないって……
まさか!?」
「直江先生に聞けばいい。
私の口からは言いたくないの」
あんな映像……
あの娘の艶めいた声なんて、二度と思い出したくない。
私は両手で耳を塞ぎ、何度も首を横へ振った。
「……そう。分かった。
悠希に吐かせるわ。
……あっ! 私、もう行かなきゃ。検査が始まっちゃう!」
腕時計へ目を落とした麗香が、慌てて声を裏返した。
「迷惑かけてごめん。もう行って。
私も仕事に戻らなきゃ」
肩へ置かれた麗香の手をそっと取り、ゆっくりと下ろす。
「旦那のこと……
大丈夫?
何かあったら、いつでも連絡して」
「大丈夫。
……そうだね。もし私の居場所がなくなったら、しばらく麗香にお世話になるかも」
目尻を下げ、自嘲気味に笑う。
「なんで亜紀の居場所がなくなるのよ。
修羅場になったら出ていくのは旦那のほうでしょ?
それに……
亜紀の心の居場所は、いつだってあるじゃない。
じゃあ、行くね」
麗香は柔らかな笑みを残し、名残惜しそうに部屋を出ていった。
「私の……
心の居場所……」
抱えていた膝から、ゆっくりと手を離す。
「今泉さん……」
小さく彼の名を呟き、深く息を吐いた。
「話せるわけないよね……こんなこと」
苦笑いを浮かべ、壁へコツンと頭を預ける。
今泉さんには話せない。
夫婦の深刻な問題ほど、彼には話せない。
私たちの間へ現実を持ち込んでしまえば、きっとこの関係は崩れてしまう。
今泉さんに家庭のトラブルを打ち明けて、どうするというのか。
関係を続けていくためには、触れてはいけないことがある。
――それは、不倫関係の暗黙の約束。
『こんな一大事に俺と会ってていいの?』
『落ち着くまで、しばらく会わない方がいい』
……そんな、あまりにも当然の言葉を、今泉さんの口から聞かされるのが怖い。
たとえそれが、私を思っての言葉だったとしても。
その言葉は、私を遠ざけるものに違いない。
そして私は自己嫌悪に襲われ、打ち明けたことを後悔するに決まっている。
『おまえがしてることだって同じじゃないか!』
――分かってる。
『家庭が壊れそうな時に、他の男を想っている場合じゃないだろ!』
――分かってる。
私は、遼や楓を責められる立場じゃない。
それでも心に湧き上がる憎悪と、諦めきれない彼への想い。
私にとって今泉さんは、闇の中に浮かぶ温かな光。
誰にも理解してもらえるはずのない、秘かな光。
その光を失わないためには、この闇から抜け出してはいけない……。
私は、矛盾だらけだ。
たとえ矛盾だらけでも……
「……闇の中じゃないと、光は見えなくなっちゃう。
今泉さんは、決して手に入らない人なのだから……」
誰に聞かせるでもない消え入りそうな声を残し、私は麗香の後を追うように部屋を出た。