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週末の朝、商店街の入口にある無料情報紙の棚が、妙に早く空になった。
ロヴィーサの連載「ランブリング」の新しい回が載った号だと知ったのは、ヌバーが十冊まとめて抱えてシェルターへ走り込んできたからだった。
「きたきたきた! 今回、だいぶ刺してる!」
「誰を」
ホレが受け取って広げる。
紙面の見出しは大きくない。いつも通り、少し控えめな字でこう書かれていた。
――噂は近道をしたがる。
記事は、誰かの名前を断定せずに進む。橋の上で見た叫び。拍手の起き方。昔の事故について、確かな記録より早く、都合のいい話だけが町を歩いたこと。誰かを悪者にして片づけた方が、大人は安心できたのではないかという問い。
ロヴィーサらしい書き方だった。決めつけない代わりに、読む側の足元をじわりと揺らす。
ミゲロが紙面をのぞきこむ。
「名前、出てないな」
「そこがいいんでしょ」
デシアが言う。
「読んだ人が、自分で思い出すようになってる」
ハルティナは記事の端を指さした。
「ここ。『守る側だった人は、たいてい自分のことを語るのが下手だ』って」
その一文に、シェルターの空気が少しだけ静かになる。
サベリオは荷物を整理するふりをしながら、耳だけを向けていた。
ロヴィーサの記事は、擁護のために大声を出さない。その代わり、今まで見ようとしなかったものを、見えなくなるまで追わせる。だから厄介で、ありがたい。
商店街でも反応は出ていた。
ダニエロの店へ寄った客が「あの事故って、そんな単純じゃなかったのか」と言い、駅前の花屋では「橋の下の連中、思ったよりちゃんとやってるね」と声が落ちる。大きくは変わらない。ただ、鼻で笑うだけだった空気に、考える間が混じり始めた。
ニカットは昼休みにその記事を二回読んだ。
文化広報課の机には、再開発会社との打ち合わせ資料が積まれている。数字。日程。安全管理。苦情対策。紙の上では、片づける順番まできれいに決まっている。
けれど、ロヴィーサの記事の方がよほど現場を知っている気がした。
午後、ロヴィーサ本人がシェルターへ現れたのは、雨の匂いがし始めた頃だった。
「記事、読んだ?」
彼女は入口で靴の泥を落としながら言った。
「十回読んだ!」
ヌバーが元気よく手を挙げる。
「三回で十分」
ロヴィーサは呆れた顔をしつつ、いつもの小さな手帳を開く。
「反応を見に来たのもあるけど、もう一つ確認したいことがあって」
その視線が、ふとサベリオの工具箱の横へ落ちた。
そこには、古びた大学ノートが置いてある。昨日の稽古中、モルリが勝手に小道具入れから引っ張り出してきた一冊。表紙には何も書いていないが、中には細かな字で誰かを励ます文章が積み上がっている。
ロヴィーサはページをめくらなかった。ただ、表紙の角についた癖と、以前取材中に見た走り書きの文字を、頭の中でそっと重ねた。
「……へえ」
「何ですか、その『へえ』」
モルリが身を乗り出す。
ロヴィーサは手帳を閉じた。
「まだ記事にはしない」
「記事にできる何か見つけた顔!」
「見つけてない。確認したいだけ」
そう言いながらも、彼女の目は少しだけ面白がっていた。
サベリオは嫌な予感がして、さりげなくノートへ手を伸ばす。
その動きを、デシアが見ていた。
「ロヴィーサさん」
デシアが静かに言う。
「何に気づいたの」
ロヴィーサは少し考え、笑わずに答える。
「誰かを支える文章って、声に出さなくても、その人の息づかいが残るんだなって」
それだけ言って、彼女は帰っていった。
残されたシェルターで、モルリがきらりと目を光らせる。
「今の、絶対なんか掴んだよね」
サベリオは、ノートを抱えるように持ち直した。
胸の奥で、だいぶ前に埋めたはずの恥ずかしさが、じわじわ熱を持ち始めていた。