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#結婚
寧子さくら
536
パン
744
23
#事件
列車がホームを離れると、友香はようやく座席に背中を預けた。
窓の外では、見慣れた街並みが少しずつ遠ざかっていく。
鞄の中には着替えと、黒いノートと、婚姻届。
自分でも、ずいぶん重たい一人旅だと思う。
スマートフォンを取り出し、想一郎との画面を開いた。
何度か文章を打っては消す。
『今から星見線に行く』
それだけでは、追いかけているみたいで嫌だった。
少し考えて、打ち直す。
『追いかけてるんじゃない。話を聞く準備をしに行く。あなたが話さないなら、私は私で確かめる』
送信。
すぐに画面を伏せた。
返事を期待していないつもりだった。
それでも一分後、また画面を見る。
既読はついていなかった。
「腹立つ」
小さく呟く。
「誰に?」
頭の上から声が降ってきた。
友香が顔を上げる。
通路に、リュックを背負った男が立っていた。
短く切った髪。首から下げた小型カメラ。日に焼けた顔。
一秒。
二秒。
「……里樹?」
「やっぱ友香じゃん」
男――里樹が、昔と変わらない大きな笑顔を見せた。
「何年ぶり?」
「六年くらい?」
「そんな経つ? うわ、俺ちゃんと老けてる?」
「その質問、再会して最初にする?」
「大事だろ」
あまりに里樹らしくて、友香は思わず笑った。
笑ったあとで、自分が昨日からほとんど笑っていなかったことに気づく。
「ここ座っていい?」
「どうぞ」
里樹は向かいの席に腰を下ろし、カメラを膝へ置いた。
「仕事?」
「半分。旅の動画撮ってる。今はローカル線ばっかり回ってんの」
「旅の動画?」
「知らない? 俺、そこそこ有名人」
「知らない」
「即答すんなよ」
里樹が胸を押さえて大げさにうなだれる。
友香の口元がまた緩んだ。
「で、友香は?」
「一人旅」
「へえ。珍しい」
「私だって一人で旅行くらいするけど」
「学生の時、合宿の自由時間すら誰か誘ってたじゃん」
「人は変わるの」
「六年で?」
「一晩で変わることもある」
言ってから、自分で刺されたような気分になった。
里樹は何かを感じ取ったらしいが、すぐには聞かなかった。
代わりに、友香の左手を見た。
「あ」
「何?」
「指輪」
友香は反射的に左手を握った。
「結婚したんだ?」
「まだ」
「じゃあ婚約?」
「……まあ」
「おめでとう」
里樹の声は、拍子抜けするほどまっすぐだった。
「ありがとう」
言葉が喉に引っかかる。
一週間後に婚姻届を出す予定だった。
その説明まで口にしたら、昨夜のことも全部話してしまいそうだった。
里樹は友香の顔を少し見てから、窓へ視線を移した。
「まあ、めでたい顔には見えないけど」
「余計なお世話」
「結婚やめるなら、俺は止めないけどな」
「何それ」
「冗談」
里樹は笑った。
「はいはい」
追及しない。
そういう距離の取り方は、昔から上手かった。
しばらくすると列車は山あいへ入り、車窓から大きな川が見え始めた。
乗換駅で二人は同じホームに降りた。
「まさか」
友香が言う。
「そのまさか」
里樹は発車案内を指差した。
次の列車は星見線だった。
「俺、星見線を撮りに来たんだ」
「どうして?」
「廃線になるかもしれないって話、出てるから」
友香の足が止まった。
「廃線?」
「まだ正式発表じゃないみたいだけど。利用者減ってるし、設備も古い。地元じゃ結構噂になってる」
想一郎は鉄道会社の社員だ。
そして昨日、突然結婚を延期し、星見線へ向かった。
点と点が、細い線でつながった気がした。
「友香?」
「……私も星見線に行く」
「偶然だな」
「本当にね」
やって来た星見線の車両は二両編成だった。
昼過ぎなのに乗客は少ない。
里樹は窓の風景を撮り、友香は膝の上で黒いノートを開いた。
最初に書かれている駅名は、潮見。
次の停車駅だった。
「それ何?」
「借り物」
「ふうん」
里樹は深く聞かなかった。
潮見駅で降りたのは、友香と里樹を含めて四人だけだった。
改札機も駅員もいない、小さな無人駅。
海からの風がホームを抜ける。
「こういう駅、いいんだよな」
里樹は嬉しそうにカメラを回し始めた。
友香はノートを見ながら駅舎の周囲を歩く。
潮見。
その文字の横に、小さな星印。
何を示しているのかは書かれていない。
「星……」
顔を上げた時だった。
駅舎脇に立つ古い観光案内板の端に、同じ形が見えた。
「里樹」
「ん?」
「これ」
案内板の木枠。
そこに、小さな星が刻まれていた。
飾りにしては不自然な位置だ。
友香はノートを開き、見比べる。
「同じだ」
「マーク?」
「たぶん」
里樹が案内板の裏側へ回った。
「こっちにも何かある」
友香も覗き込む。
色あせた木の裏に、星印と、その下に古い手書きの一文が残っていた。
『この駅の声を残す』
友香は息を止めた。
「声……?」
ノートへ視線を戻す。
駅名。
人数。
店。
病院。
学校。
そして星印。
これは、ただの昔の鉄道記録ではないのかもしれない。
誰かが、ここで何かを聞き、残そうとしていた。
「ねえ、里樹」
「何?」
「私、この星印を追ってみる」
里樹は友香の顔を見て、それから案内板を見た。
「一人旅じゃなかったの?」
「一人で来た旅と、一人で全部やる旅は別でしょ」
「なるほど」
里樹が笑う。
「じゃあ俺も撮る。面白そうだし」
友香はもう一度、スマートフォンを確認した。
想一郎からのメッセージは、まだ既読になっていなかった。
けれど今は、さっきほど画面が気にならない。
黒いノートの星印。
無人駅に残された言葉。
想一郎が何を隠しているのか。
その答えへ続く道が、ほんの少しだけ見えた気がした。
コメント
1件
ちょっと待ってなにこの偶然!!😭💕 友香が重たい気持ちで一人旅スタートしたとこに、まさかの里樹再会でしょ!?「結婚やめるなら俺は止めないけどな」の冗談、めっちゃ気になるし、星印の謎追う展開が一気にミステリーっぽくなってきて熱い…!想一郎からの既読つかない通知、切なすぎるけど、今は画面気にならなくなったってとこでグッときた。次話、待ってます!!✨