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空乃 美晴
219
紫倉 紫
457
パン
1,204
列車がホームを離れると、友香はようやく座席に背中を預けた。
窓の外では、見慣れた街並みが少しずつ遠ざかっていく。
鞄の中には着替えと、黒いノートと、婚姻届。
自分でも、ずいぶん重たい一人旅だと思う。
スマートフォンを取り出し、想一郎との画面を開いた。
何度か文章を打っては消す。
『今から星見線に行く』
それだけでは、追いかけているみたいで嫌だった。
少し考えて、打ち直す。
『追いかけてるんじゃない。話を聞く準備をしに行く。あなたが話さないなら、私は私で確かめる』
送信。
すぐに画面を伏せた。
返事を期待していないつもりだった。
それでも一分後、また画面を見る。
既読はついていなかった。
「腹立つ」
小さく呟く。
「誰に?」
頭の上から声が降ってきた。
友香が顔を上げる。
通路に、リュックを背負った男が立っていた。
短く切った髪。首から下げた小型カメラ。日に焼けた顔。
一秒。
二秒。
「……里樹?」
「やっぱ友香じゃん」
男――里樹が、昔と変わらない大きな笑顔を見せた。
「何年ぶり?」
「六年くらい?」
「そんな経つ? うわ、俺ちゃんと老けてる?」
「その質問、再会して最初にする?」
「大事だろ」
あまりに里樹らしくて、友香は思わず笑った。
笑ったあとで、自分が昨日からほとんど笑っていなかったことに気づく。
「ここ座っていい?」
「どうぞ」
里樹は向かいの席に腰を下ろし、カメラを膝へ置いた。
「仕事?」
「半分。旅の動画撮ってる。今はローカル線ばっかり回ってんの」
「旅の動画?」
「知らない? 俺、そこそこ有名人」
「知らない」
「即答すんなよ」
里樹が胸を押さえて大げさにうなだれる。
友香の口元がまた緩んだ。
「で、友香は?」
「一人旅」
「へえ。珍しい」
「私だって一人で旅行くらいするけど」
「学生の時、合宿の自由時間すら誰か誘ってたじゃん」
「人は変わるの」
「六年で?」
「一晩で変わることもある」
言ってから、自分で刺されたような気分になった。
里樹は何かを感じ取ったらしいが、すぐには聞かなかった。
代わりに、友香の左手を見た。
「あ」
「何?」
「指輪」
友香は反射的に左手を握った。
「結婚したんだ?」
「まだ」
「じゃあ婚約?」
「……まあ」
「おめでとう」
里樹の声は、拍子抜けするほどまっすぐだった。
「ありがとう」
言葉が喉に引っかかる。
一週間後に婚姻届を出す予定だった。
その説明まで口にしたら、昨夜のことも全部話してしまいそうだった。
里樹は友香の顔を少し見てから、窓へ視線を移した。
「まあ、めでたい顔には見えないけど」
「余計なお世話」
「結婚やめるなら、俺は止めないけどな」
「何それ」
「冗談」
里樹は笑った。
「はいはい」
追及しない。
そういう距離の取り方は、昔から上手かった。
しばらくすると列車は山あいへ入り、車窓から大きな川が見え始めた。
乗換駅で二人は同じホームに降りた。
「まさか」
友香が言う。
「そのまさか」
里樹は発車案内を指差した。
次の列車は星見線だった。
「俺、星見線を撮りに来たんだ」
「どうして?」
「廃線になるかもしれないって話、出てるから」
友香の足が止まった。
「廃線?」
「まだ正式発表じゃないみたいだけど。利用者減ってるし、設備も古い。地元じゃ結構噂になってる」
想一郎は鉄道会社の社員だ。
そして昨日、突然結婚を延期し、星見線へ向かった。
点と点が、細い線でつながった気がした。
「友香?」
「……私も星見線に行く」
「偶然だな」
「本当にね」
やって来た星見線の車両は二両編成だった。
昼過ぎなのに乗客は少ない。
里樹は窓の風景を撮り、友香は膝の上で黒いノートを開いた。
最初に書かれている駅名は、潮見。
次の停車駅だった。
「それ何?」
「借り物」
「ふうん」
里樹は深く聞かなかった。
潮見駅で降りたのは、友香と里樹を含めて四人だけだった。
改札機も駅員もいない、小さな無人駅。
海からの風がホームを抜ける。
「こういう駅、いいんだよな」
里樹は嬉しそうにカメラを回し始めた。
友香はノートを見ながら駅舎の周囲を歩く。
潮見。
その文字の横に、小さな星印。
何を示しているのかは書かれていない。
「星……」
顔を上げた時だった。
駅舎脇に立つ古い観光案内板の端に、同じ形が見えた。
「里樹」
「ん?」
「これ」
案内板の木枠。
そこに、小さな星が刻まれていた。
飾りにしては不自然な位置だ。
友香はノートを開き、見比べる。
「同じだ」
「マーク?」
「たぶん」
里樹が案内板の裏側へ回った。
「こっちにも何かある」
友香も覗き込む。
色あせた木の裏に、星印と、その下に古い手書きの一文が残っていた。
『この駅の声を残す』
友香は息を止めた。
「声……?」
ノートへ視線を戻す。
駅名。
人数。
店。
病院。
学校。
そして星印。
これは、ただの昔の鉄道記録ではないのかもしれない。
誰かが、ここで何かを聞き、残そうとしていた。
「ねえ、里樹」
「何?」
「私、この星印を追ってみる」
里樹は友香の顔を見て、それから案内板を見た。
「一人旅じゃなかったの?」
「一人で来た旅と、一人で全部やる旅は別でしょ」
「なるほど」
里樹が笑う。
「じゃあ俺も撮る。面白そうだし」
友香はもう一度、スマートフォンを確認した。
想一郎からのメッセージは、まだ既読になっていなかった。
けれど今は、さっきほど画面が気にならない。
黒いノートの星印。
無人駅に残された言葉。
想一郎が何を隠しているのか。
その答えへ続く道が、ほんの少しだけ見えた気がした。
コメント
1件
ちょっと待ってなにこの偶然!!😭💕 友香が重たい気持ちで一人旅スタートしたとこに、まさかの里樹再会でしょ!?「結婚やめるなら俺は止めないけどな」の冗談、めっちゃ気になるし、星印の謎追う展開が一気にミステリーっぽくなってきて熱い…!想一郎からの既読つかない通知、切なすぎるけど、今は画面気にならなくなったってとこでグッときた。次話、待ってます!!✨