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朝から雨は降り続いていた。細く、絶え間なく。
教室の窓を叩く雨音が、いつもよりも近く感じる。
朔は席に着くなり、どこか落ち着かない空気に気づいた。
視線。ひそひそ声。机に腕を置いたまま、横目でこちらを覗き見る数人。
「ねぇ、聞いた? 昨日さ――」
「黒い傘の人と、一緒だったんだって」
「傘、半分……?そういうこと?」
雨音に紛れる囁き声は、妙に耳に刺さる。
――傘を忘れた朔に、晴弥がそっと差し出してくれた傘。
ただそれだけのことなのに。
朔はうつむき、机の端を指でなぞる。
爪の先に、雨の冷たさみたいな不安が溜まっていく。
「……気にすんな」
不意に背後から声が落ちてきて、朔は肩を跳ねさせた。
振り向くと晴弥が立っている。
その表情はいつも通り無愛想で、だけど、彼の視線は鋭く教室を一巡した。
「……晴弥」
名前を呼ぶ声が、思った以上に弱かった。
晴弥は視線だけで「黙れ」と伝えるように近づいてくる。
その手が、朔の机の端に軽く触れた。
ほんの一瞬。傘の柄を握るときとは違う、ためらいを纏った指先。
すぐに手を引っ込め、ポケットに隠した。
「席、着けよ」
そのまま、そっけなく離れていく。
朔は追う言葉をなくして、ただ俯いた。
守ってくれようとする優しさ。
でも、あの距離は――苦しい。
昼休み。
雨脚はさらに強まり、廊下は薄暗く湿気を含む。
「天野ってさ」
耳に落ちてきた声に、朔の心臓が跳ねる。
「神崎くんのこと、好きなんじゃないの?」
「神崎くんもほんとは優しいし?」
笑い混じりの声が、肌に貼りつくように重い。
「違っ――」
否定しようとした瞬間、後ろから椅子が引かれる音。
晴弥だった。
彼は何も言わず、ただ机を軽く蹴って、囁いていた生徒たちを散らす。
睨みつけるでもなく、静かに。
けれど誰も逆らわない。
威圧ではなく、存在感。その沈黙が強い。
「……余計なこと言うな」
低い声でひとこと。
そこには朔を守る意図がはっきりありすぎて、朔の胸は逆に締めつけられた。
「ありがとう。でも……そうやって庇われると」
視線を落とした朔の手が震える。
晴弥はその震えに気づき、手を伸ばしかけて――
また、指を引っ込めた。
触れたいのに。触れられない。
その躊躇が、余計に痛かった。
「……ごめん」
朔が小さく呟くと、晴弥は眉を寄せる。
「なんでお前が謝るんだよ」
「だって、俺のせいで……」
言い切る前に、窓を叩く雨音が強くなる。
雨に紛れて、晴弥の声が震えた。
「俺は……雨の日くらいしか、お前のそばに居られねぇのかよ」
その言葉は、朔の胸に深く突き刺さった。
クラスの空気が、二人を隔てる壁みたいに立ちはだかる。
「晴弥」
名前を呼ぶ声が滲む。
曇った窓に映る二人の影が、少しだけ離れて揺れている。
「……俺、どうしたらいい?」
問いかけは、雨の音に掻き消された。
晴弥は何も答えずただ朔を見た。
その指先がポケットの中でぎゅっと握られる。
触れられない。
だから余計に、触れたくなる。
噂という雨は、きっとしばらく止まない。
それでも二人は、同じ雨音の中にいる。