テラーノベル
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「亜紀ちゃん……?」
彼の柔らかな声が、広い胸に顔を埋める私の髪を擽る。
「今泉さん……お願い。このまま私の話を聞いて……何も言わずに聞いて欲しいの……」
私は頬を温かな彼の胸につけ、竦む足が崩れてしまわぬよう、両手を彼の背中へそっと回した。
「……うん、分かった」
彼は私の気持ちに応えるように、差し伸べていた手を私の肩へ優しく置いた。
私は彼の温もりを全身で感じながら、一度大きく息を吸い、ゆっくりと口を開く。
「私……自分がどうしたいのか、やっとわかりました。
今泉さん、私に言ってくれましたよね?
私を変えてくれるって……。
私の中で眠る、本当の私を目覚めさせてくれるって……」
「……」
彼は何も言わず、静かに頷いた。
私は頬を胸から離し、彼の澄んだ瞳を真っ直ぐに見つめる。
「今泉さん……
私を抱いてください……」
冷たくなった唇が、小さく震えながらその言葉を告げた。
穏やかだった彼の表情が、一瞬にして驚きの色に染まる。
臆病な自分を必死に隠す私の表情を見つめ、
「亜紀ちゃん、それは……」
言いかけた言葉を飲み込むように、そっと口を結んだ。
「……今泉さんの言いたいことは分かります。
でも、今が私のタイミングなんです。このタイミングを逃してしまったら、それも運命だなんて諦められません。
……きっと私は後悔します。
流されるんじゃない。私は自分を知るために、覚悟をした上で飛び込むんです」
「……」
私を真っ直ぐに見つめる今泉さんの瞳が揺れた。
私はもう一度息を整え、言葉を紡ぐ。
「夫は私を必要だと言いました。妻として必要だと。その言葉に偽りはないと思います。
でも、それは私が夫を必要としている愛情とは違う。
悔しいけど、夫は私を女として見ていない。夫にとっての『女』はいつも、別の場所にいる。
今泉さん……以前、私に教えてくれましたよね?
男は狩人。手に入れてしまった獲物には魅力を感じなくなるのが、雄の本能だって」
私は大きく息を吸い込み、今泉さんの瞳の奥を見つめる。
「ああ……言ったよ」
今泉さんは短く答え、小さく頷いた。
「私は恋愛に逃げるんじゃない。
これは妻の……女の意地なんです」
言葉に覚悟を込め、凛とした眼差しで言い切った。
「……女の意地?」
私の言葉に、今泉さんは片眉を上げて問い返した。
本心を見透かそうとするような、彼の真っ直ぐな視線が私を捕らえる。
「勿論、今泉さんの家庭を壊そうだとか、そんなことは考えてません。迷惑は掛けません。必要なルールも守ります。
……ただ、私に力を貸してください。私を変えてください。
私の知らない世界を……感覚を、感情を教えてください。
別の男性の手で、私は女として開花したいんです。
これは……私に目を向けなくなった夫への復讐です!」
強気な言葉を連ねる舌が、緊張のあまり縺れそうになる。
静寂に包まれた闇へ響いてしまいそうなほど、心臓が大きな拍動を打ち続けている。
私は不安に駆られる胸の痛みを抑え、縋る思いで再び彼の胸に顔を埋めた。
たどたどしく並べた言葉は、きっと子供じみた戯言にしか聞こえないだろう。
そんなことは、自分でも分かってる。
不誠実な言い訳だということも、十分に分かってる。
それでも抑えられない、初めて知ったこの感情……。
せめて溺れぬよう……
自分を見失わぬよう……
精一杯並べた、不器用で未熟な言葉たち。
今泉さん……お願い。
私の気持ちを悟らないで……
気づかないふりをしていて……
……どうか、私を受け止めて。
彼の大きな胸の中で溢れ出しそうになる涙を堪え、ぎゅっと瞼を閉じた。
トクトクトク……
頬に伝わる温かな鼓動に、怯えた身体を預ける。
ただ、彼の言葉を待った。
強い夜風が枯れ葉を舞い上げた直後、今泉さんは私の乱れた髪をそっと撫で始めた。
「女の意地、復讐か。
まさか亜紀ちゃんの口からそんな言葉が出るなんて驚いたよ。
……なるほど。やっぱり女は怖い生き物だな」
彼はそう言って、くくっと喉を鳴らし低く笑った。
「浮気など有り得ないほど献身的だった妻が、他の男の腕の中で自分の知らない姿をさらけ出し、快感に声を漏らしている……男にとって、これほどの屈辱はない。
浮気現場を押さえられるより、よほど痛いよ。
身勝手な男への最高の復讐劇か……」
今泉さんは淡々と言葉を続けると、私の顔を覗き込むように静かに目を細めた。
#せつない恋
Jasmine
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コメント
1件
えっ……亜紀ちゃん、ついに口にしたんだね……「私を抱いて」って。震える唇から絞り出したその覚悟、すごく重かった。自分を変えたい気持ちと、夫への静かな復讐と、それでも今泉さんの優しさに縋りたい弱さと……全部混ざり合ってる感じがして、胸がぎゅっとなった。「女の意地」って言葉、響いたよ。 今泉さんがどう受け止めるのか、続きが気になる……!