テラーノベル
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浜から戻ったあとも、啓介の頭の中では“君のためにできること”が何度も反響していた。
離れの机に紙片を並べ、芽生が乾燥の準備をしている。遼征は写真を撮り、蓮都は「朝飯前に大仕事した」と勝手に達成感の顔をしていた。
「で、啓介」
蓮都が味噌汁の椀を片手に言う。
「お前は誰のためにそんな顔してんの」
「どんな顔だよ」
「難しい顔」
義海なら勢いで流せたかもしれない質問だった。けれど蓮都はまっすぐ刺してくる。
啓介は少し黙った。
「離れを残したいのは、まあ……寺のためとか、町のためとか」
「“とか”が多い」
享佑が横から切る。
「一番最初は何だ」
一番最初。
その言葉に、啓介は答えを探した。母のことがある。子どもの頃の風景もある。ここで休んでいった誰かの背中を知っている気もする。でも、それだけじゃない。
芽生が乾燥紙を押さえながら言った。
「全部でいいんじゃないですか」
「全部?」
「家族のことでも、町のことでも、自分のことでも。きれいに一個にしなくても」
啓介は芽生を見る。芽生はいつものように整理しているのに、その言葉だけは妙にやわらかかった。
「人の気持ちって、そんなにきっちり分けられません」
芽生は続ける。
「誰かのために動いてるつもりで、結局自分が救われることもあるし、その逆もあるから」
遼征が小さくうなずく。
「港の仕事も似たようなもんだ。町のためって言ってるけど、結局、自分がここにいたいからやってる」
啓介は少し笑った。
「みんな案外、自分勝手だな」
「いい意味でね」
莉々夏が即座に乗る。
机の上には、“み”と“き”の破片が並んでいた。命に終わるまで――と、君のためにできること。まだ一つにはつながらない。でも、待つことと、動くことが、どこかで同じ線に乗っている気がする。
啓介はようやく、自分の中の言い訳を少しだけほどいた。
「俺、たぶん」
皆が顔を上げる。
「全部だ。町も、寺も、ここにいた人も。あと、自分が見て見ぬふりしたくないのも」
言った瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなる。
芽生は書きつけの手を止めずに、でもはっきり聞こえる声で言った。
「それで十分です」
その言い方に、啓介はまた少しだけ救われた。
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