テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#海辺の町
紙片の発見で空気が上向いたせいか、その日の離れは朝から妙に賑やかだった。海花は札絵の下描きを広げ、義海は椅子を運び、莉々夏は年配者から聞いてきた汁物の記憶を嬉々として話している。
「汁物の話、強いなこの町」
絋規が感心したように言う。
「泣ける話の横に大根がいる」
「だって大事だもん」
莉々夏が胸を張る。
「お腹があったかいと人は話すの」
その横で、啓介と芽生は札の文面を相談していた。
「“孤独の温度”の次に置くなら」
芽生が紙へ線を引く。
「“君のためにできること”は重すぎるかもしれません」
「でも外したくはない」
「外しません。ただ、読み口を少しやわらかくして」
「たとえば」
「そこは啓介さんの仕事でしょう」
芽生が言い返すと、啓介もすぐ返す。
「そっちが整理してくれないと暴れる」
「人の文面を暴れ馬みたいに」
「だってそういう時ある」
「認めるんですね」
二人がほぼ同時に言葉を重ねた瞬間、絋規がにやりとした。
「あのさ」
「何」
啓介が振り向く。
「君たち、最近、夫婦漫才の精度上がってない?」
「は?」
「違います」
二人がまた同時に否定する。
その揃い方が面白かったのか、義海が腹を抱えた。
「ほら今の!」
「仲よ」
莉々夏まで笑い出す。
芽生は耳だけ少し赤くして、紙を持ち直した。
「話を戻します」
「戻せてない顔だぞ」
蓮都が余計なことを言う。
啓介も顔が熱くなるのを自覚していた。否定したいのに、否定の勢いが足りない。芽生と視線がぶつかると、向こうも同じように困った顔をしていた。
その瞬間、義海がぽろっと言った。
「もう好きじゃん」
空気が止まる。
享佑が呆れたように額を押さえ、絋規は声を殺して笑い、莉々夏は「言っちゃった」と口を押えた。言った本人の義海だけが、遅れて自分の失言に気づいた顔になる。
「……いや、その、今のは」
「椅子運んでこい」
享佑が即座に命じた。
「はい!」
義海が逃げるように飛び出したあとも、離れの中には妙な熱が残っていた。
啓介は紙に視線を落としたまま言う。
「仕事、続けよう」
「そうですね」
芽生も同じ姿勢で答える。
けれど二人とも、しばらく文字を一つも書けなかった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!