テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
ニカットは入口から一歩入ったところで足を止めた。
机の上の書類、張りつめた空気、そしてアルヴェの姿を見て、ここへ来る途中に想像していたよりずっと遅かったと悟った顔をする。
「……先を越されました」
彼は小さく言った。
「何しに来たの」
モルリが問う。
ニカットは鞄から鍵束と数枚の書類を取り出した。市章の入った封筒ではない。個人で持ち出したと分かる紙の束だ。
「閲覧制限を外します」
その言葉に、皆の視線が一斉に集まる。
「資料室の追加台帳、設備保管庫の出入り記録、広報課の保存審査メモ。正規の手順ではありません。なので、僕の責任です」
ハルティナが目を丸くした。
「ほんとに?」
「ほんとです」
ニカットは真面目に返す。
「逃げないでと言われたので」
それが自分の言葉だと気づいたハルティナは、少しだけ背筋を伸ばした。
ニカットは書類を机へ並べる。文化広報課の保留印、再開発会社の照会、保存価値を低く見積もるための書き換え案。規則を守っているだけの顔で通してきた男の手が、今は規則の内側から歪みを引っ張り出している。
「僕は、規則に従っていれば間違えないと思ってました」
ニカットが静かに言う。
「でも、誰かが間違えた紙を正しい手順で回し続けたら、それはもう、ただの加担です」
デシアはその横顔を見つめた。
「今それを言えるの、勇気がいるよ」
「遅いですけど」
ニカットは苦く笑う。
「遅いまま終わるよりは、ましだと思いたい」
グルナラが書類の山を見て呟く。
「これだけ揃えば、保存審査の見え方も変わる」
「まだ勝ち確定じゃない」
サベリオが言う。
「はい」
ニカットはすぐ頷く。
「だからこそ、公平な場を作ります」
その言い方に、モルリが目を細める。
「何それ」
ニカットは、持ってきた別の紙を広げた。公開上演当日の進行表だった。司会進行欄に、すでに仮の記名がある。
「僕がやります」
全員が固まる。
「司会?」
ヌバーが聞く。
「進行管理と開票読み上げ」
ニカットは眼鏡を押し上げた。
「今までどちらかに寄って見えていたなら、それを最後にひっくり返す役目くらいは引き受けます」
モルリが腕を組む。
「かたい司会になりそう」
「自覚はあります」
「盛り上げ要員、要るね」
ヌバーが手を挙げる。
「あなたは余計に盛り上げそうだから結構です」
ニカットが即答したせいで、橋の下にやっと少し大きい笑いが生まれた。
その笑いのあと、空気が変わっていることをサベリオは感じた。
時計塔のひびも、消えた部品も、取り壊しの前倒しも、全部まだ目の前にある。だが、押し返す手が少しずつ増えていた。
ニカットは最後に、まっすぐサベリオを見る。
「僕は書類と進行で支えます。なので」
ほんの少しだけ言いにくそうに間を置く。
「あなたは、舞台で逃げないでください」
それは命令ではなく、願いに近かった。