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十二月二十四日
法廷。
裁判官の声だけが響く。
傍聴席には、数人の記者と弁護士たち。
「被告人・黒川育代に対し、懲役十年を言い渡す。」
静寂。
誰も息をしない。
育代はゆっくりと顔を上げ、
裁判官の背後にある窓の光を見つめる。
まるで、それが最後の「月光」かのように。
育代の頭に、音は無い。
ただ、焼酎が飲みたい……そう思う。
児童相談所の面談室。
担当職員が淡々と書類をめくる。
「黒川理恵さんは、今後、児童養護施設『あすなろの家』に入所となります。」
理恵は頷くだけ。
言葉はない。
机の上に、母の持ち物である古びた「鍵」が置かれる。
あのマンションのものだ。
理恵は、それをゴミ箱に捨てる。
もう……何もない。誰もいない。
季節は巡り、春。
桜が咲く坂道。
面会日に施設を訪れたのは、あの山嵜夫婦だった。
「私たちね……もし理恵ちゃんが嫌じゃなければ、
一緒に暮らしたいの。」
おばあさんの声は、涙で震えていた。
理恵はしばらく黙っていたが、
やがて小さく頷く。
「……はい。」
数年後。
山嵜家のリビング。
窓辺には、あのときおでんを炊いた鍋と、
古びたアップライトピアノ。
理恵はピアノの前に座った。
朝の光が、薄いカーテンを透かして床を照らす。
あの日と同じピアノ。けれど、音は違う。
鍵盤の上で指が震える。
でも……私は……弾きたい
最初の一音が、部屋の空気をやわらかく揺らした。
「戦場のメリークリスマス」
静かに、淡く、すべてを包み込むような旋律。
母の声も、涙も、雨も、
すべてがひとつに溶けていく。
窓の外で、小鳥が鳴いた。
それはまるで、音が「生まれ直す」瞬間のようだった。
理恵は、弾きながら小さく笑った。
もう誰に弾かされるわけでもない。
この音は、彼女自身のものだ。
最後の音が消える。
静寂。
けれど、それは「終わり」ではなかった。
音は、慰めのように残っていた。
ピアノの上には、一通の封筒。
刑務所から届いた手紙。
まだ封は開けられていない。
手紙の上に、理恵の影だけが落ちていた。
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「悲しみのあとに訪れる静けさこそ、
音楽が目指す場所だと思う。」
— 坂本龍一(出典不明)
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完