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徳兵衛が山を降り、かつて自分が苦しめた人々へ尽くそうと決意した矢先、村を襲ったのは、これまでに見たこともない「黒い霧」であった。 それは、石藤が自らの命を削り、どす黒い執念を凝縮させて放った「血呪」であった。
石藤は、もはや人間の言葉を捨てていた。彼女は村の入り口にある古びた地蔵の前に立ち、自らの腕を切り刻み、滴る鮮血を土に吸わせながら、天を仰いで
石藤: 「……あたいを捨てた世界なんて、みんな腐っちまえばいいんだよ!徳兵衛、お前の積んだ徳なんて、あたいの呪いで真っ黒に染めてやる! あははは、あはははは!」
石藤の髪は真っ白に逆立ち、その肌は亀裂から闇が噴き出すほどに崩れている。彼女は自らの「美」も「命」も、全てを呪いの燃料として燃やし尽くしていた。自分を犠牲にしてもなお、他人の幸せを許さない——その純粋な悪意が、目に見える霧となって村を包囲したのである。
その霧を吸った村人たちは、一人、また一人と倒れていった。肌にはどす黒い斑点が浮かび、息を吐くたびに命の灯火が消えかけていく。徳兵衛は必死だった。
徳兵衛:「……待ってくれ! 今、水を! 薬を持ってくるから!」
徳兵衛はかつて奪った金の何倍もの力を使い、村中を駆け巡った。だが、石藤の呪いはあまりに深く、いかなる薬草も、徳兵衛の祈りも届かない。
そんな中、奇跡のような光景が広がった。
死を覚悟した村人たちが、苦しい息の下で、徳兵衛の手を握りしめたのである。
「……徳兵衛さん、泣かないでおくれ。あんたのおかげで、私たちは最期に『人の温かさ』を知ることができたんだ……」
最初に救われた老婆が、穏やかな微笑みを浮かべて言った。
老婆:「……あんたが山から降りてきてくれて、私たちのために泥にまみれて働いてくれた。あの時間は、私たちの宝物だよ。……ありがとう。あんただけは、生き延びておくれ……」
徳兵衛を忌み嫌っていた若者も、子供も、皆が口々に「感謝」を述べた。呪いによって体は蝕まれても、徳兵衛が積み上げた「徳」は、彼らの心を汚すことはできなかったのだ。
徳兵衛:「……すまない、すまない……っ!」
徳兵衛は慟哭した。自分が守りたかった人々が、自分を呪うどころか、感謝しながら逝こうとしている。村人たちは、まるで安らかな眠りにつくように、一人ずつ静かに息を引き取っていった。霧が晴れた後、そこに立っていたのは、呪われずに済んだ、たった一人の徳兵衛だけであった。
徳兵衛:「……石藤ォォォッ!!」
徳兵衛の絶叫が山々にこだました。彼の瞳には、かつてない激しい怒りの炎が宿っていた。彼は村の出口に立ち、返り血で真っ赤に染まった石藤へと突進した。
徳兵衛の拳は、修行で鍛え上げられた鋼の重みを持っていた。だが、今の石藤はもはや肉体を持った人間ではない。怨念そのものが形を成した化け物である。
徳兵衛の拳が石藤の胸にめり込むが、彼女は痛みを感じるどころか、不気味に口角を上げた。
石藤:「……無駄だよ、徳兵衛。あたいはもう、地獄そのものなんだよ。お前さんのような『良い子ちゃん』の力じゃ、あたいの影一つつつけやしないのさ!」
石藤から放たれた闇の衝撃が、徳兵衛を吹き飛ばす。地面に叩きつけられた徳兵衛の体はボロボロになり、自慢の美貌も土にまみれた。石藤が止めを刺そうと、肥大化した闇の腕を振り上げたその時——。
背後の竹林から、柔らかく、それでいて太陽のように力強い「光」が差し込んだ。
与太郎:「……やめておくれよ、石藤。そんなに怖い顔をしてちゃ、せっかくの綺麗な心が見えなくなっちゃうじゃないか」
のんびりとした、聞き覚えのある声。
そこには、肩に真っ白な「福布」をかけ、一歩歩くごとに足元に花を咲かせる男——与太郎が立っていた。
与太郎の目には、恐ろしい化け物に変貌した石藤ではなく、かつて一緒に暮らした、どこか寂しげな「美女」の面影だけが見えているようだった。
与太郎は、震える徳兵衛をそっと背中に隠すと、石藤に向かって優しく微笑んだ。
与太郎:「……さあ、石藤。あたいと一緒に、おうちに帰ろう?」
与太郎の手にある布が、謎の女の意志に応えるように、眩いばかりの銀色の輝きを放ち始めた。