その二日後、美月は仕事を終えて職場のビルの前で海斗を待っていた。
今日は海斗が美月の母に挨拶に行く日だった。
しばらくすると海斗の車が到着した。
「お待たせ」
「迎えに来てくれてありがとう」
「どういたしまして」
海斗はニッコリ微笑む。
今日の海斗は少しおしゃれをしていた。
もちろん一般の男性のように普通のスーツというわけではなかったが、白シャツに質の良い麻の黒のジャケットを着て、下はジーンズではなくてダークグレーの細身のパンツを履いていた。
そして首には美月の手作りネックレスをつけている。
シャワーを浴びて来たのだろう。海斗からは男らしいさわやかな香りがしていた。
そんな海斗に美月は少しドキドキしていた。
(こんな海斗さんを見たら惚れ直しちゃいそう。それに母もきっとすぐに魅了されるわね)
美月はそう思った。
車が美月の実家に到着すると、今は使われていないガレージに車を停めた。
そして車を降りた二人は玄関へ向かう。
「お母さん、ただいまー」
と美月が声を張り上げると、すぐに奥から母の佳代子が出て来た。
「まあまあようこそいらっしゃいました。さ、どうぞ」
そう言いながら海斗の顔を見た佳代子は、びっくりした様子で立ち止まる。
そして慌てた様子で言った。
「ちょ、ちょっと待っててね…」
そう言い残して二階に駆け上がった。
その場に残された二人は思わず顔を見合わせる。
するとすぐに佳代子が戻ってきて手に持っていたCDを二人に見せた。
「この方? もしかしてこのCDの方?」
佳代子が興奮して言ったので、美月は驚く。
「なんでお母さん『solid earth』のCDを持っているの?」
「だって前に素敵な曲ばかりよって生徒さんがプレゼントしてくれたんですもん。お母さん今ではすっかりファンなのよ」
佳代子は満面の笑みを浮かる。
すると海斗が初めて口を開いた。
「初めまして、沢田海斗と申します。CDを聴いていただいたようで嬉しいです。ありがとうございます」
「まあ、本物なのね!」
佳代子は感無量といった様子で感動していた。
そして改めて挨拶をする。
「美月の母の佳代子と申します。ようこそいらっしゃいました、さ、中へどうぞ」
そう言って海斗を招き入れた。
海斗は南青山で買って来た洋菓子の袋を佳代子に渡す。
「これ、つまらないものですが」
「あら、嬉しい! お気遣いありがとうございます」
佳代子はニコニコして受け取った。
そして二人はスリッパを履いてリビングへ移動した。
海斗はソファーに座り、美月は佳代子と一緒にお茶の準備をした。
「言ってくれたらよかったのに!」
佳代子は拗ねたふりをして言った。でもその瞳は嬉しさで輝いている。
「ごめんね。芸能人って言うと、お母さんが心配するかなと思って言えなかったの」
「冗談よ、素敵な人じゃないの」
母の佳代子はご機嫌な様子で言う。
その後、母がお茶を持ってリビングへ戻ってくると、海斗が改まって言った。
「今日は急な日程でお伺いして申し訳ありません。私は今、美月さんと結婚を前提にお付き合いさせていただいております。それをまずお母様にお許しいただければと思いまして……」
すると佳代子は一度背筋を伸ばしてから言った。
「もちろん問題ありませんよ。美月はあなたとお付き合いするようになってからいつも幸せそうでしたから。早くお会いしたくて楽しみにしておりました」
微笑んで言う佳代子を見て、海斗は心底ホッとした様子だった。そしてさらに続けた。
「ありがとうございます。そう言っていただけて嬉しいです。あともう一つお伝えしておかなければならないのですが、実は先日美月さんと一緒にいる所を週刊誌の記者に撮られてしまいまして、その事もお詫びしなければと……本当に申し訳ございません」
海斗が深々と頭を下げる。
「あら? そうなの? パパラッチされたって事? なんかドラマの世界みたいね」
佳代子はフフッと笑いながら言う。そして続けた。
「この子ももう大人ですから、私がどうこう言うあれでもありませんから、どうぞお気になさらずに」
佳代子は海斗を安心させるように言った。
「ありがとうございます」
海斗はもう一度頭を下げた。
そこで美月が口を挟む。
「なんか二人ともかしこまり過ぎ! もっとリラックスして。お父さんがいたらここで冗談の一つでも言ってくれたのになぁ」
「そう言えば、御仏壇はどちらに?」
「和室の方に……」
佳代子は和室とリビングの仕切りを開ける。
すると海斗は立ち上がってから、
「失礼いたします」
と言って和室へ入った。
そして仏壇の前にきちんと正座すると、しばらくの間美月の父の写真を見つめた後、線香をあげてお参りをした。
そんな海斗の様子を見ていた佳代子はとても嬉しそうだった。
御仏壇は美月の祖父母の代から佐藤家にあったものだ。
美月の前の夫・健太は、自主的にお参りをしてくれる事はなかった。
それ以前に、美月の実家にはほとんど顔を出さなかった。
だから海斗のように自ら進んでお参りをしてくれると、佐藤家の先祖まで大事に思っていてくれるようで母の佳代子は嬉しかったのだろう。
「ありがとうございます。きっと夫も喜んでいることと思います」
「お父様にはお会いしたかったです。残念です」
堅苦しい挨拶はそこまでとなり、その後は佳代子の手料理での楽しい食事会が始まった。
この日の為に、佳代子は腕を振るって沢山のご馳走を用意していた。
それを海斗は美味しい美味しいと言って沢山食べていたので、佳代子はとても嬉しそうだった。
海斗が車だったので、皆ノンアルコールビールで乾杯した。
家が近いのだから、今度は歩いて来て一緒に飲みましょうと母が誘うと、海斗は「はい是非!」と嬉しそうに答える。
そして話題は、美月と海斗が出逢った時の話になった。
二人の出逢いは美月の両親の出逢いとよく似ていたので、佳代子は「本当に不思議よねぇ」としきりに言う。
美月達が出逢ったばかりの頃、美月が好きな『Moon River』の曲をお互いに別の場所で何度も聞いたという話をすると、
佳代子が驚く。
「それ、私達もあったわよ!」
「お母さんの時はなんていう曲?」
「ほら! あれよ、えっと月が入ったあの曲……」
と言いながら曲名が出てこないようだ。
「フランク・シナトラの……」
その時海斗が言った。
「もしかして『Moon Love』ですか?」
「そうそうそれよ。その曲がやたらと流れたわ」
佳代子は当時を懐かしむように言った。
「美月が生まれる数年前だったかしら? 新婚の頃にフランク・シナトラが来日してね。武道館でのコンサートにお父さんと二人で行ったのよ」
「へぇー、お父さんとお母さんにもそんな時があったんだね」
すると海斗が驚いた様子で言った。
「私はロック専門でやっていますが、実はジャズも好きなんです。で、ジャズを好きになったきっかけが、チェット・ベイカーのトランペットの『Moon Love』を聴いたのがきっかけでした。忘れていたけれど今、急に思い出しました」
「あら、そこでも繋がったわね! なんだか不思議なご縁でいっぱいだこと」
佳代子は嬉しそうに笑う。
その後も、美月の子供の頃の話や海斗の実家の家族の事、海斗の仕事の話など、笑いに溢れた三人での楽しい会話は続いた。
会話が一段落した時、佳代子がデザートを持ってきた。
母手作りの桃のコンポートはとても美味しく、海斗はとても気に入った様子だった。
デザートが終わると、だいぶ夜遅くなっていた。
「そろそろ失礼します。今夜はごちそうさまでした。どれもすごく美味しかったです。美月が料理上手な理由がわかりました」
海斗の言葉に佳代子が微笑む。
「もしよろしければ今度、美月と一緒にうちへも遊びに来て下さい。近いですから」
思いがけず海斗からの誘いを受けて、佳代子は目頭が熱くなる。
美月の前の結婚では、健太が来客嫌いという事もあり一度も家には呼んでもらえなかった。だから今の海斗の言葉は佳代子にとってとても嬉しい言葉だった。
「ありがとう。今度是非遊びに行かせてもらうわ。うちもこんな家ですけれど、いつでも実家だと思って遊びに来て下さいね」
「ありがとうございます。またちょくちょく寄らせていただきます」
海斗は笑顔で言った。
美月は後片付けを手伝ってから帰るからと、海斗に先に帰ってもらう事にした。
海斗はガレージから車を出すと、最後に美月の母に向かって言った。
「では失礼します。おやすみなさい」
二人は海斗の車を見送った後家に戻った。
家に入って美月が母に聞く。
「どうだった?」
「最高だわ! あんな素敵な人が息子になるんでしょう? お母さん幸せ過ぎて早死にしそう」
「早死にはしないでよー!」
「冗談よ。まだまだ死なないわ! 孫の顔を見るまではね!」
佳代子はそう言って娘にウインクをすると、笑顔で片付けを始めた。美月もそれを手伝う。
佐藤家にこんなに笑顔が溢れたのはいつ以来だろうか?
佳代子は海斗の気遣いや優しさに感動していた。あんなに優しい人なら美月もきっと幸せになれる。そう確信した。
そしてちらっと仏壇の前にある夫の写真を見てから、
(あなた、孫の顔を見られる日も近いかも!)
そう心の中で語りかけると、再び笑顔で娘との会話に戻っていった。
コメント
4件
元夫の浮気による辛い離婚も、ひょっとしたら海斗さんとめぐり逢い幸せになるための1ステップにしかすぎなかっtのでは....⁉️と思わせられるくらいに 運命的で素敵な出会い....✨🌕️✨ お母さんが 海斗さんをとても気に入り、彼との婚約を 心から喜んでくれて良かったね✨💍✨😭♥️ この小説で登場する ”Moon River゛”Moon Love゛も素敵ですが....✨🌕️✨ その他にも月(や星)にちなんだお気に入りのスタンダードの楽曲が色々あり🎶 このお話を読んでいると ついつい口ずさんだり、久々に聴きたくなったりします💖🌙✨🌠
ほっんとにほっんとに幸せがいっぱいの食卓で✨ 佳代子お母さんは心の中で泣いてたはず。元夫の事なんかもう消えちゃったよね。今後思い出すことすらないと思う!だってそれだけ海斗さんと美月ちゃんからこれでもか〜っ!くらいの幸せオーラ˗ˏˋ 💗 ˎˊ˗が放出されっぱなしだったから🤭
美月ちゃんのお母さんにも気遣いがあって優しく声をかけてくれる芸能人なんていないよね〜🥰 出会いの時や思い出の音楽が同じなんて感動を覚えるよう〜🥹✨✨ お父さんの御仏壇にも進んで手を合わせてくれたり🙏お互いの家を行き来したいって言ってくれると前夫との差を感じるし美月ちゃんが幸せにならないはずがないね😘🩷