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第十章 白霧山の彼方へ
第十六話 白霧に潜む影
日が傾く頃には、すっかり辺り一面を木々に囲まれ、深い森の様相を見せる場所へ辿り着いていた。
五人は野営ができそうな開けた場所を見つけ、近くの木へ馬を繋ぐ。
それぞれ慣れた手付き結界石を配置し、荷物を下ろし、焚き火の準備を進めていく。
木々の隙間から見える月は、日に日に丸みを帯びその光を強くしていた。
あと三日で満月。
ジントはぼんやりとその月を見上げていた。
前回の満月の夜。
帝都へ溢れていた瘴気。
頭の中へ響き続ける、負の感情の叫び。
狂ってしまいそうだった感覚。
そして、魔物化した神官。
救えなかった命。
それでも、黒髪黒眼の少女の夢を見たあの時から、何かが変わった。
魔物への恐怖が、不思議と綺麗に消えていた。
大量の闇を受け入れた時の、あの安らかな感覚。
「……また、来るのかな……」
ぽつりと呟く。
不安。
期待。
待ち遠しさ。
自分でも整理できない感情が、胸の奥で静かに揺れていた。
「もう少し範囲を広めて結界石を配置しよう」
ハヤトの声が響く。
普段より広めに四つの結界石を設置していく。
結界の強度は少し落ちる。
だが木々の多いこの場所では、魔物がどこから現れるか分からない。
少しでも早く気配を察知したかった。
辺りには薄く白霧が漂い始める。
「なんだか嫌な感じやな……」
シュンタが落ち着かない様子で辺りを見回す。
「まだ夜始まったばっかやで」
ダイチが苦笑いをしながら返した。
ハヤトとジュウタロウは黙ったまま森を見つめている。
その時だった。
ジントは霧へ混じる薄い瘴気を感じた。
霧の流れてくる方向。
まだ何も見えない。
けれど確かに、そこに“いる”。
「……こっち、魔物が、
…………来る!!」
結界石が反応するより早く、ジントが叫んだ。
次の瞬間。
バチッ!!
離れた場所の結界が激しく光る。
同時に木々の奥から低い唸り声が響いた。
「っ!!」
黒い影が飛び出す。
狼のような四足の魔物。
その身体は異様に痩せ細り、全身から黒い瘴気を滲ませていた。
その後ろからさらに二体。
「来るぞ!!」
ハヤトが剣を抜く。
金色の魔石が眩く輝いた。
最初の一体が、真っ直ぐジントへ飛び掛かる。
「ジント!!」
ダイチが前へ飛び出した。
水流を纏った青白い雷光。
その拳が魔物の横顔へ叩き込まれる。
ドォォン!!
吹き飛ばされた魔物が木へ激突した。
だが
「っ……!」
黒い瘴気が散り、再び形を保とうと蠢いている。
「瘴気が濃い……!」
ジュウタロウが眉を寄せた。
その瞬間、二体目が横から襲い掛かる。
ハヤトが一歩前へ出た。
「下がれ!」
黄金の光を纏った剣が夜の森を薙ぐ。
眩い閃光。
魔物の身体が大きく裂けた。
だが霧の奥から、さらに気配が増えていく。
「まだおるん!?」
シュンタが顔を引き攣らせる。
見ると、森の奥から複数の赤い瞳が浮かび上がった。
ざわりと空気が揺れる。
ジントは息を呑む。
瘴気が濃い。
しかもその流れが、自分へ向かって集まり始めている。
「……ジント?」
ダイチが異変に気付く。
ジントの周囲へ、黒い粒子のような瘴気が漂い始めていた。
胸が熱い。
苦しくない。
むしろ、引き寄せられる。
その感覚にジント自身が戸惑っていた。
その時だった。
霧の奥から、一際大きな魔物が姿を現す。
熊のような巨大な体躯。
黒く濁った瘴気が身体中から溢れている。
「……デカっ」
シュンタが息を呑む。
巨大な魔物は、真っ直ぐジントを見た。
そして、咆哮。
空気を震わせる轟音が森中へ響き渡った。
「散開しろ!!」
ハヤトの声が飛ぶ。
同時に四人が動く。
ジュウタロウが地面へ剣を突き立てた。
「凍てつけ!」
青白い氷が一気に広がる。
魔物の足元を凍らせ、動きを鈍らせた。
続けて剣が振るわれ、凍った地面ごと砕くように衝撃が走る。
「シュンタ!」
「任せぇ!」
シュンタが素早くリュートを掴む。
鋭い音色が夜の森へ響いた。
その瞬間、魔物達の動きが一瞬乱れる。
「今や!!」
ダイチが雷と水流を纏い一気に駆ける。
雷光が森を裂いた。
轟音と共に巨大な魔物の懐へ飛び込む。
その拳が叩き込まれた瞬間、激しい雷が炸裂した。
だが
「っ……硬っ!!」
魔物は完全には止まらない。
さらに咆哮を上げ、瘴気を撒き散らす。
黒い感情が一気にジントへ流れ込んだ。
『苦しい』
『痛い』
『助けて』
頭の中へ響く声。
けれど、ジントは逃げなかった。
ゆっくりと前へ出る。
黒い瞳が、月光を映して揺れた。
「……大丈夫」
それが誰への言葉なのか、自分でも分からなかった。
次の瞬間。
ジントの周囲へ漂っていた瘴気が、一気に引き寄せられる。
巨大な魔物の身体から、黒い粒子が溢れ出す。
「……っ!?」
ハヤトが目を見開く。
速い。
前回より明らかに。
瘴気がジントへ吸い込まれていく。
魔物は苦しむように暴れ、やがて、崩れ落ちた。
黒い瘴気が、ジントの中へ静かに溶けていった。
そして静寂が訪れる。
聞こえるのは、全員の荒い呼吸だけだった。
ジントはその場へ立ち尽くしていた。
胸の奥が熱い。
満月が近付いている。
その実感だけが、じわじわと全身へ広がっていた。
「……終わった、か?」
ダイチが肩で息をしながら呟く。
その時だった。
——パキッ。
離れた場所から乾いた音が響く。
全員の表情が変わる。
「っ!!」
結界石。
森の奥へ配置していた石の一つ、その周囲の光に亀裂が入る。
次の瞬間。
バキィッ!!
結界石が砕け散る。
「まだ来る!!」
ハヤトの声が飛んだ。
同時に霧の奥で、無数の赤い瞳が浮かび上がる。
さっきより多い。
「……嘘やろ」
シュンタの顔が引き攣る。
低い唸り声。
木々を踏み鳴らす音。
瘴気が一気に濃くなる。
「囲まれてる……!」
ジュウタロウが周囲を見回した。
右。
左。
後方。
森の闇が、じわじわとこちらへ迫ってきている。
「ジントを中央へ!」
ハヤトが即座に指示を飛ばす。
「ダイチ右!
ジュウタロウは左を止めろ!
シュンタ、後方攪乱!」
「了解!」
全員が即座に動く。
その瞬間、霧を突き破るように三体の魔物が飛び出した。
「っらぁ!!」
ダイチの拳へ雷が迸る。
真正面から飛び掛かってきた魔物へ、雷撃を纏った一撃を叩き込む。
轟音。
魔物が吹き飛ぶ。
だが休む間もなく、横から別の個体が牙を剥いた。
「うおっ!?」
ギリギリで避ける。
その背後から、鋭い剣閃が一直線に魔物の身体を貫く。
「助かった!」
「油断するな!」
ジュウタロウの声が飛ぶ。
そして剣を振り抜いたまま、次の動きへ即座に移る。
その額にはすでに汗が滲んでいた。
森の奥、さらに瘴気が蠢く。
「数多すぎやろ……!」
シュンタがリュートを掻き鳴らした。
鋭い音色が森へ響く。
空気が震える。
その瞬間、飛び掛かろうとしていた魔物達の動きが乱れた。
「今や!!」
ハヤトの剣が閃く。
黄金の光が夜を裂いた。
魔物の群れがまとめて吹き飛ぶ。
だが、倒しても倒しても、森の奥から新たな気配が現れる。
終わらない。
「っ……!」
ジントは息を呑む。
瘴気が濃い。
しかも、霧の中を漂う黒い粒子がじわじわと自分へ集まり始めていた。
その時。
巨大な影が霧の奥から飛び出した。
四足の巨体。
黒い瘴気が全身から溢れている。
「来るぞ!!」
ハヤトが前へ出る。
巨大な爪が飛び掛かる。
金属が激しくぶつかる音。
ハヤトが真正面から受け止める。
「ぐっ……!」
重い。
「ダイチ!!」
「おう!!」
ダイチは一気に踏み込み、雷を纏った拳で横合いから叩く。
水気を含んだ空気が弾け、雷光が走る。
ドォォォン!!!
巨体が大きく揺らぐ。
さらに
「はぁっ!」
ジュウタロウの剣が振るわれる。
氷が足元を走り、魔物の動きを縛る。
刃は氷の隙間を縫うように、確実に本体へ届いていく。
「ジント!!」
ハヤトが叫ぶ。
その声に、ジントは前へ出た。
黒い瞳が月光を映して揺れる。
巨大な魔物と、視線が交わった。
その瞬間、魔物の動きが止まる。
そして周囲の魔物たちの赤い瞳が、一斉にジントへ向く。
ざわり。
空気が揺れた。
「……っ」
ダイチが息を呑む。
次の瞬間だった。
魔物達が、我先にとジントへ向かって走り出す。
「なっ!?」
「来るぞ!!」
ハヤトが叫ぶ。
ダイチが前へ出る。
水飛沫を上げながら雷光が走る。
一体。
また一体。
飛び掛かる魔物を叩き落としていく。
ジュウタロウの剣が横薙ぎに走り、
空いた間を埋めるように次の刃が閃く。
シュンタの音が魔物達の動きを乱す。
それでも魔物達は止まらない。
まるで縋りつくように、ジントへ向かってくる。
『苦しい』
『助けて』
『帰りたい』
頭の中へ無数の声が流れ込む。
ジントは目を閉じた。
怖くない。
苦しくない。
……いや、本当は少し苦しい。
けれど、受け入れたい。
そう思ってしまう。
「……大丈夫」
静かな声だった。
次の瞬間、ジントの周囲へ漂っていた瘴気が一気に渦を巻いた。
魔物達の身体から黒い粒子が溢れ出す。
それが。次々とジントへ吸い込まれていく。
速い。
先ほどよりよりさらに。
「っ……!」
ダイチが顔を強張らせる。
ジントの周囲へ黒い瘴気が集中していく。
魔物達は苦しむように暴れながら、それでもなおジントへ近付こうとしていた。
やがて。
一体、また一体と力を失い崩れ落ちていく。
それは黒い瘴気となり、ジントの中へ静かに溶けるように吸い込まれていった。
再び訪れる静寂。
ようやく、森から気配が消える。
「……終わった……?」
シュンタが呟く。
誰もすぐには答えられなかった。
その時
「っ……ぁ……」
ジントがふらつく。
「ジント!!」
ダイチが慌てて駆け寄った。
ジントは胸元を押さえ、苦しそうに呼吸を乱している。
頭の中へ大量の感情が流れ込んでいた。
悲しみ。
苦痛。
孤独。
絶望。
ぐちゃぐちゃになった感情の濁流が、一気に身体を満たしていく。
「……だい、じょうぶ……」
そう言う声は震えていた。
けれどジントの表情には、僅かな安堵も浮かんでいた。
救えた。
ちゃんと、還せた。
そんな感覚だけが、胸の奥へ静かに残っていた。
ハヤトは月を見上げる。
満月まで、あと三日。
白い月は、以前より遥かに大きく五人を見下ろしていた。
コメント
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「むしろ」が「むりろ」になってるかも…
おお、また一気に読んじゃいましたよ…。今回の戦闘シーン、本当に息詰まる迫力でしたね! 特にジントの変化がすごく印象的で。瘴気を吸い込む速度が前回より明らかに速くなってて、しかも魔物たちが自ら引き寄せられてくる感じが、なんだか不気味でありながらも美しくて。ジントの「大丈夫」っていう呟き、誰に言ってるんだろうって考えさせられました。 そして結界石が割れてからの終盤の盛り上がり!あと三日で満月っていうカウントダウンも効いてますね。続きが気になりすぎます!