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第十二章 ラディスへの帰還
第十二話 二人の秘密基地 前編
小さな石造りの薬屋の奥。
ジントは大きな鍋をぐるぐると掻き混ぜながら、慣れた手つきで薬の調合をしていた。
薬草の香り、湯気の温度、薬の色の変化。
いつもならその一つ一つへ集中し、些細な異変も見逃すことがなかった。
けれど今日は
「…………」
ぼんやりとした目で、立ち上る湯気を見つめている。
視界が曇っているのか。
それとも頭の中がぼやけているのか、自分でも分からなかった。
昨夜のことが何度も蘇る。
まるで夢みたいだった。
現実感がない。
けれど、抱き締めた時に伝わった体温。
わずかに聞こえた心臓の鼓動。
筋肉質な逞しい身体。
落ち着くダイチの匂い。
全部。
今もはっきりと残っている。
「……っ」
思い出した瞬間、ジントの顔が一気に赤くなる。
「うわぁ……!」
思わず頭を抱える。
「ムリムリムリ……っ」
小さく呟きながらぶんぶんと頭を振った。
すると
「ジント〜」
店の方から祖母の声が響く。
「鍋はしっかり混ざったかい?」
「っ!?」
ジントは慌てて鍋を見る。
「あ、う、うん!」
返事が完全に上擦っていた。
その時。
――カランカラン。
店の扉が開く音。
そして
「ジントのばあちゃん、おはよう!」
その声に、ジントの動きが止まる。
今、一番聞いてはいけないと思っていた声。
なのに、一番聞きたかった声。
「おや、ダイチ坊っちゃん」
祖母が嬉しそうに笑う。
「わざわざ来てくれたのかい?」
「うん!」
明るい声。
「ちょっとジント借りてもいい?」
「ああ、奥にいるよ」
その言葉と共に足音が近付いてくる。
「えっ」
どうしよう……!
ジントは慌てて辺りを見る。
そして。
近くにあった籠を掴むと、そのまま顔を隠した。
「ジント〜?」
ダイチが奥へ入ってくる。
そして
「……何しとんねん……」
呆れた声。
「………」
ジントは籠の向こうから小さく答える。
「……か…隠れてた……」
一瞬の沈黙。
そして
「……っふ」
ダイチが吹き出した。
「何それ……」
笑いを堪える声。
こちらへ歩み寄る。
そしてダイチは手を伸ばすと、そっと籠を下ろした。
現れたのは、真っ赤な顔のジント。
「…………」
目が合う。
それだけで、二人とも昨日の夜を思い出してしまった。
ジントは思わず俯く。
すると
「……っ」
今度はダイチが後ろを向いた。
片手で顔を覆う。
肩が少し震えている。
「ダイチ?」
ジントが不安そうに覗き込む。
「どうしたの?」
手で顔は見えない。
けれど、耳だけは真っ赤だった。
そして、小さな声。
「……やっぱ、あかんわ……」
その言葉に、ジントの顔も再び熱くなる。
何が、なんて聞けなかった。
二人とも、もう昨日までと同じではいられないことを、どこかで分かっていた。
「お、俺……荷物取ってくる!」
耐えられなくなったジントはそのまま階段を駆け上がった。
「ジント!?」
後ろからダイチの困った声。
二階の部屋へ飛び込む。
「はぁ……っ」
大きく息を吐く。
心臓がうるさい。
ダメだ。
全然いつも通りじゃない。
でも、嫌じゃなかった。
むしろ、胸が苦しくなるくらい嬉しい。
ジントは急いで荷物をまとめる。
そして階段を降りる。
すると、ダイチの姿はもう外に出ていた。
祖母がニコニコしながらこちらを見る。
「行ってくるね」
「はいはい」
祖母は優しく笑う。
「楽しんでおいで」
「っ……!」
ジントの顔がさらに赤くなる。
「そ、そんなんじゃないってば!」
慌てて否定する。
けれど祖母はただ笑っていた。
「はいはい」
ジントは誤魔化すように店を飛び出した。
外へ出た瞬間、秋のひんやりとした空気。
柔らかな朝の日差し。
薬屋の中とは違う、広い世界が広がっていた。
「ジント!」
名前を呼ばれて振り返る。
そこにはすでに馬へ跨がったダイチがいた。
差し出される手。
朝日に透ける群青色の髪。
青空によく映える瞳。
ダイチが笑う。
「じゃあ行こっか!」
その笑顔に、また胸が高鳴る。
「うん……!」
ジントはその手を取った。
ぐいっと軽々引き上げられる。
自然な動きで、ダイチの腰へ腕を回す。
昨日と同じ。
何度もしてきたこと。
なのに、もう同じではなかった。
温かい背中。
伝わる体温。
落ち着く匂い。
ダイチは手綱を引き、ゆっくり馬を走らせる。
ラディスの朝。
優しい日差し。
澄んだ空気。
ジントは眩しそうに目を細めた。
けれど、目の前にある背中の方が、もっと眩しく感じた。
でもそれがなぜなのか、ジント自身にはまだよく分からなかった。
コメント
3件
2人が可愛すぎる…!! 本当はこんなとこが可愛いとか、色んな感想を伝えたいのに、comiさんの世界観とか2人のやり取りとか全部好きすぎて、ただ可愛いしか言えないです。 ごめんなさい。
おお、第41話……!もうこんなに進んでたんだなあ。この話、冒頭からジントの動揺が伝わってきてめっちゃ良かったわ。調合中にダイチのこと思い出して赤面するところ、完全に恋する乙女じゃんって思わずニヤけた。それで籠で顔隠すの、可愛すぎるだろ……w ダイチも耳真っ赤にして「やっぱ、あかんわ」って、もうお互い完全に意識し合ってて最高。日常の動作がぜんぶ特別に変わる瞬間、すごく丁寧に描かれてて刺さった🔥