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宙
133
宙
62
きゆう
39
え ー た ん !
5,148
黄昏の映画館へ続く階段は、北庭園の管理棟の裏に隠されていた。
翌日の夕刻。
レーネが古い案内図と鍵束を持ち、シュエルとサンタナを先導する。
「ここ、昨日までただの物置だと思ってた」
サンタナが壁際の棚を見た。
レーネが棚の奥にある金属板へ鍵を差し込むと、重い音を立てて壁の一部が開いた。
「記録上は四十年前から封鎖区画。警備側にも用途までは引き継がれていないみたい」
地下へ降りるにつれ、空気が冷えていく。
シュエルは胸元の鞄を押さえた。
中には布で包んだ硝子片と、母から受け取った植物図鑑が入っている。
長い階段の先には、一枚の黒い扉があった。
その前に男が一人、椅子へ座っていた。
灰色の髪。飾り気のない服。
こんな地下で待ち構えていたというのに、驚くほど気負いがない。
「三人か」
男は立ち上がった。
「私はレーネ。城の記録官です。こちらは――」
「名前は後でいい」
男はシュエルを見た。
「硝子を拾ったのは、あなた?」
「はい」
「映像も見た?」
「一度だけ」
「見たくないものだった?」
問いが妙だった。
シュエルは少し考えてから答える。
「分かりません。母の声に似ていました。でも、だからこそ確認したいです」
「そう」
男は次にサンタナを見る。
「あなたも映像に関係がある?」
「たぶん」
「見たくないなら戻れる」
「……戻らない」
サンタナの返事を聞き、男はようやく鍵を取り出した。
「イアク。この場所の管理人」
彼は黒い扉を開ける。
「ここでは、誰かの記憶を勝手に見せない。それだけ守って」
*
扉の向こうには、シュエルが硝子片で見た劇場があった。
階段状の座席。
色褪せた赤い幕。
正面の白い投影壁。
「本当に……同じ」
シュエルは立ち止まった。
「黄昏の映画館は通称」
イアクは中央の卓へ向かいながら言った。
「昔の正式名は地下監査室。記憶硝子の内容を複数人で確認する場所だった」
「どうして夕方しか使えないんですか?」
「鍵が光だから」
イアクは壁の細い縦窓を指した。
地上から導かれた西日が、鏡を何枚も経由して地下へ落ちている。
「日が沈む直前の角度だけ、投影器に光が届く。古い仕組みだから、無理に動かすと硝子が割れる」
シュエルは布包みを取り出した。
「これを使えますか?」
「欠片だから、全部は無理」
「危険は?」
「記録を見るだけなら低い。でも、その硝子に封じられた本人の感情が強いと、見ている側も引っ張られることがある」
イアクは三人を順に見た。
「嫌になったら目を閉じて。途中で止める」
淡々としているが、急かす気配がない。
シュエルはサンタナを見る。
彼は投影壁を見つめたまま、小さくうなずいた。
「お願いします」
イアクが硝子片を受け取り、円形の投影器へ載せた。
ちょうど西日が細い光となって差し込む。
硝子の銀線が輝いた。
劇場の灯りが消える。
白い壁に、八年前の部屋が浮かび上がった。
*
円卓を囲んでいたのは六人だった。
その一人を見た瞬間、シュエルは息を忘れた。
「母さん……」
若いころの母だった。
髪型も服も記憶とは違う。
それでも、横顔は間違えようがない。
母の隣には警備服の男が座っている。
「父さん」
サンタナがかすれた声を漏らした。
映像の中で、彼の父は円卓へ両手をついていた。
『庭園側の数値は?』
シュエルの母が答える。
『規定値以下です。これで二度目』
『なら次で――』
そこで映像が黒く染まった。
音も消える。
「ここだけ欠けてる」
レーネが呟く。
数秒後、映像が戻った。
全員が立ち上がっている。
『記録は二重に残すべきです』
母の声だった。
『一つが消されても、もう一つが残るように』
誰かが何かを返す。
しかし、その言葉も途中から雑音に埋もれた。
映像が大きく揺れる。
『複製は北の封鎖通路から――』
母の声を最後に、投影壁が暗転した。
その言葉を聞いた瞬間、サンタナが座席の背へ手をついた。
「……思い出した」
額に汗がにじむ。
投影壁ではない。
サンタナ自身の中で、封じられていた場面が断片的に蘇っていた。
暗い廊下。
見習い制服を着た自分の腕。
閉じかけた警備扉。
扉の向こうを走る人影。
『待て! そこを通ったのは誰だ!』
何かが落ちる音。
続いて硝子の割れる鋭い音。
「この音だ。俺、追いかけた。でも、その前に……警報盤を見てて、扉の表示を見落とした」
シュエルは何も言わなかった。
責める言葉も、慰める言葉も、今は違う気がした。
ただ隣に立つ。
やがて投影壁に光が戻り、再び円卓の場面が浮かんだ。
シュエルの母が何かを胸へ抱えている。
西日が弱まり、映像が崩れ始めた。
「待って」
シュエルは前へ身を乗り出した。
母が持ち上げたもの。
厚い本。
その表紙を包む、焦げ茶色の革。
角の丸い縫い目。
右下に一つだけある、小さな葉の型押し。
毎日、自分が触れているものと同じだった。
シュエルは震える手で鞄から植物図鑑を取り出す。
映像の中の本と、手の中の本。
同じ革表紙だった。
コメント
1件
第3話、読み終えました。地下の映画館のひんやりとした空気感と、イアクさんの「嫌になったら目を閉じて」という距離の取り方が印象的でした。映像の中でお母さんの横顔を見つけた瞬間と、サンタナさんが記憶を思い出してしまうところ、どちらも胸が苦しくなりました。最後に植物図鑑が同じ革表紙だったと分かった瞬間は、ぞくっとしました。母と娘を繋ぐ、とても大事な手がかりですよね。続きが気になります。