テラーノベル
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宙
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空乃 美晴
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宙
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黄昏の映画館へ続く階段は、北庭園の管理棟の裏に隠されていた。
翌日の夕刻。
レーネが古い案内図と鍵束を持ち、シュエルとサンタナを先導する。
「ここ、昨日までただの物置だと思ってた」
サンタナが壁際の棚を見た。
レーネが棚の奥にある金属板へ鍵を差し込むと、重い音を立てて壁の一部が開いた。
「記録上は四十年前から封鎖区画。警備側にも用途までは引き継がれていないみたい」
地下へ降りるにつれ、空気が冷えていく。
シュエルは胸元の鞄を押さえた。
中には布で包んだ硝子片と、母から受け取った植物図鑑が入っている。
長い階段の先には、一枚の黒い扉があった。
その前に男が一人、椅子へ座っていた。
灰色の髪。飾り気のない服。
こんな地下で待ち構えていたというのに、驚くほど気負いがない。
「三人か」
男は立ち上がった。
「私はレーネ。城の記録官です。こちらは――」
「名前は後でいい」
男はシュエルを見た。
「硝子を拾ったのは、あなた?」
「はい」
「映像も見た?」
「一度だけ」
「見たくないものだった?」
問いが妙だった。
シュエルは少し考えてから答える。
「分かりません。母の声に似ていました。でも、だからこそ確認したいです」
「そう」
男は次にサンタナを見る。
「あなたも映像に関係がある?」
「たぶん」
「見たくないなら戻れる」
「……戻らない」
サンタナの返事を聞き、男はようやく鍵を取り出した。
「イアク。この場所の管理人」
彼は黒い扉を開ける。
「ここでは、誰かの記憶を勝手に見せない。それだけ守って」
*
扉の向こうには、シュエルが硝子片で見た劇場があった。
階段状の座席。
色褪せた赤い幕。
正面の白い投影壁。
「本当に……同じ」
シュエルは立ち止まった。
「黄昏の映画館は通称」
イアクは中央の卓へ向かいながら言った。
「昔の正式名は地下監査室。記憶硝子の内容を複数人で確認する場所だった」
「どうして夕方しか使えないんですか?」
「鍵が光だから」
イアクは壁の細い縦窓を指した。
地上から導かれた西日が、鏡を何枚も経由して地下へ落ちている。
「日が沈む直前の角度だけ、投影器に光が届く。古い仕組みだから、無理に動かすと硝子が割れる」
シュエルは布包みを取り出した。
「これを使えますか?」
「欠片だから、全部は無理」
「危険は?」
「記録を見るだけなら低い。でも、その硝子に封じられた本人の感情が強いと、見ている側も引っ張られることがある」
イアクは三人を順に見た。
「嫌になったら目を閉じて。途中で止める」
淡々としているが、急かす気配がない。
シュエルはサンタナを見る。
彼は投影壁を見つめたまま、小さくうなずいた。
「お願いします」
イアクが硝子片を受け取り、円形の投影器へ載せた。
ちょうど西日が細い光となって差し込む。
硝子の銀線が輝いた。
劇場の灯りが消える。
白い壁に、八年前の部屋が浮かび上がった。
*
円卓を囲んでいたのは六人だった。
その一人を見た瞬間、シュエルは息を忘れた。
「母さん……」
若いころの母だった。
髪型も服も記憶とは違う。
それでも、横顔は間違えようがない。
母の隣には警備服の男が座っている。
「父さん」
サンタナがかすれた声を漏らした。
映像の中で、彼の父は円卓へ両手をついていた。
『庭園側の数値は?』
シュエルの母が答える。
『規定値以下です。これで二度目』
『なら次で――』
そこで映像が黒く染まった。
音も消える。
「ここだけ欠けてる」
レーネが呟く。
数秒後、映像が戻った。
全員が立ち上がっている。
『記録は二重に残すべきです』
母の声だった。
『一つが消されても、もう一つが残るように』
誰かが何かを返す。
しかし、その言葉も途中から雑音に埋もれた。
映像が大きく揺れる。
『複製は北の封鎖通路から――』
母の声を最後に、投影壁が暗転した。
その言葉を聞いた瞬間、サンタナが座席の背へ手をついた。
「……思い出した」
額に汗がにじむ。
投影壁ではない。
サンタナ自身の中で、封じられていた場面が断片的に蘇っていた。
暗い廊下。
見習い制服を着た自分の腕。
閉じかけた警備扉。
扉の向こうを走る人影。
『待て! そこを通ったのは誰だ!』
何かが落ちる音。
続いて硝子の割れる鋭い音。
「この音だ。俺、追いかけた。でも、その前に……警報盤を見てて、扉の表示を見落とした」
シュエルは何も言わなかった。
責める言葉も、慰める言葉も、今は違う気がした。
ただ隣に立つ。
やがて投影壁に光が戻り、再び円卓の場面が浮かんだ。
シュエルの母が何かを胸へ抱えている。
西日が弱まり、映像が崩れ始めた。
「待って」
シュエルは前へ身を乗り出した。
母が持ち上げたもの。
厚い本。
その表紙を包む、焦げ茶色の革。
角の丸い縫い目。
右下に一つだけある、小さな葉の型押し。
毎日、自分が触れているものと同じだった。
シュエルは震える手で鞄から植物図鑑を取り出す。
映像の中の本と、手の中の本。
同じ革表紙だった。
コメント
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第3話、読み終えました。地下の映画館のひんやりとした空気感と、イアクさんの「嫌になったら目を閉じて」という距離の取り方が印象的でした。映像の中でお母さんの横顔を見つけた瞬間と、サンタナさんが記憶を思い出してしまうところ、どちらも胸が苦しくなりました。最後に植物図鑑が同じ革表紙だったと分かった瞬間は、ぞくっとしました。母と娘を繋ぐ、とても大事な手がかりですよね。続きが気になります。