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宙
133
宙
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きゆう
39
え ー た ん !
5,148
黄昏の映画館を出たあとも、シュエルは植物図鑑を抱えたままだった。
母が八年前の映像で掲げていた本。
今、自分の腕の中にある本。
偶然ではない。
「中身じゃなくて、表紙だったのかもしれない」
記録室へ戻るなり、シュエルは机へ図鑑を置いた。
レーネが向かい側に座る。
「どういうこと?」
「母は植物のことなら、私がこの本を手放さないと知っていました。もし何かを残すなら、紙のページより、こっちのほうが消されにくい」
シュエルは焦げ茶色の革カバーを指でなぞった。
母の手作りだ。
子どものころから何度も見ている。
右下の小さな葉の型押し。
角を丸く包む革。
端を一周する細かな縫い目。
見慣れすぎて、疑ったことさえなかった。
「糸を切るのか?」
サンタナが横から覗き込んだ。
「切りません」
「即答だな」
「壊してから違ったと分かったら取り返せません」
シュエルは紙と鉛筆を出した。
まず縫い目を一針ずつ数える。
長い。
短い。
二針分飛ばす。
また長い。
「装飾にしては、間隔が不規則ね」
レーネが気づいた。
「でも雑に縫った感じではない」
「母は裁縫も丁寧でした」
シュエルは一辺目を写し終え、反対側へ回った。
同じ間隔が何度か繰り返されている。
「これ、文章かもしれない」
「縫い目が?」
「植物標本の分類で、長短の印を数字へ置き換える方法があります。母が昔、私に遊びで教えてくれたことがあるんです」
シュエルは紙に長い縫い目を一本線、短い縫い目を点として置き換えた。
だが並べても意味のある文章にはならない。
「違った……」
思わず肩を落とす。
サンタナが口を開きかけたが、シュエルはもう一度紙を見た。
「待って。長短だけじゃない」
失敗したなら、条件を見直す。
縫い目には、間隔が広い場所と狭い場所がある。
革の角では、針が表から入る場所と裏から入る場所まで変わっていた。
「三種類ある」
レーネが帳簿を引き寄せた。
「それなら文字への置換表が必要ね。八年前の庭園技師が使っていた略号表を探す」
彼女は書架から資料を次々に出した。
一時間ほどして、一枚の古い作業規則が見つかった。
庭園の生命反応を記録するための符号一覧。
三種類の印を組み合わせ、短い文章を残す方式だった。
「一致する」
レーネが低く言った。
三人で縫い目を最初から読み直す。
やがて紙の上に言葉が現れた。
《庭園ノ生命反応ガ三度――》
そこで符号は途切れていた。
「三度」
シュエルは北庭園で硝子片に触れた夜、聞いた声を思い出した。
『三度目なら、城を止めて』
「同じです」
「後半がないな」
サンタナが革の裏まで確認する。
「縫い目はここで終わってる」
「母は、全部を一か所に残さなかったんだと思います」
映画館の映像でも言っていた。
――一つが消されても、もう一つが残るように。
レーネもうなずく。
「前半を本に、後半を別の記録に分けた可能性がある」
シュエルは革カバーを外さず、内側をそっと押した。
指先に、わずかな厚みが触れる。
「ここ、何か入ってます」
縫い合わせを傷つけないよう隙間を広げると、薄い紙片が出てきた。
紙ではなかった。
乾燥した植物の葉。
「月白草……」
八年前の押し花だった。
色はほとんど抜けている。
それでも特徴的な細長い葉脈は残っていた。
シュエルが持ち上げると、葉脈に淡い銀色が走った。
「光った?」
サンタナが身を寄せる。
「でも、ここには魔法灯しか――」
シュエルは押し花を机から離した。
光が弱くなる。
もう一度、城の北側へ向ける。
銀色がわずかに強くなった。
「光源じゃない」
「何かに反応してる?」
レーネが立ち上がった。
三人は記録室を出て、廊下をゆっくり歩いた。
北へ進むほど、押し花の葉脈は明るくなる。
地下階へ続く階段の前では、銀色の線がはっきり見えた。
「生きている月白草だけじゃなく、押し花でも魔力に反応する……」
シュエルは息を呑んだ。
「母はこれで城の中を測っていたんだ」
庭園の植物は飾りではない。
城のどこかから流れる魔力を受け、その異常を知らせていた。
「なら、研究記録があるはずです」
レーネはすぐ記録室へ戻り、庭園技師の保管目録を開いた。
八年前の欄を追っていた指が止まる。
「見つけた」
《月白草による魔力監視記録》
《停止条件に関する研究日誌》
保管場所の欄には、城内ではない地名が記されていた。
「風哭きの旧温室」
サンタナが眉を寄せる。
「城外だ。今は廃道になってる」
「研究日誌は?」
「移管後の返却記録がないわ」
レーネが目録を閉じた。
「革表紙の文の続きが残っているとしたら、そこが一番可能性が高い」
シュエルは銀色に光る押し花を見つめた。
母は答えを一つにまとめなかった。
硝子に記憶を。
革の縫い目に言葉を。
植物に異常を読む方法を。
そして残りは、城の外。
「行きます」
サンタナがため息をついた。
「そう言うと思った」
「止めますか?」
彼は少し黙ってから首を振った。
「今回は、先に道を調べる」
シュエルは一瞬だけ目を見開いた。
それから、うなずいた。
「お願いします」
机の上には、旧温室へ続く廃道の地図が広げられていた。
コメント
1件
第4話、読み終えました。革の縫い目に隠されたメッセージ、めっちゃ痺れました……! 長短の間隔を符号として読み解く発想、シュエルが勘じゃなくてちゃんと母の教えを手がかりにしてるところが好きです。それに「一つが消されても、もう一つが残るように」って、完全に母の覚悟が滲んでて泣けます。押し花が光る展開も、すごく美しくて不気味で、この世界観にぴったりでした。次、旧温室ですね……楽しみにしてます🌙