俊と一緒にいる女性はゆりあだった。
カウンターで俊が2人分のコーヒーを買っている。
ゆりあは不機嫌な様子で、俊の腕を掴みもたれかかっていた。
(喧嘩でもしたのかな?)
二人の雰囲気はそんな風に見えた。
その時会計を済ませた俊が、コーヒーを手にしてこちらへ向かって来る。
雪子は慌てて正面を向くと気付かれないように気配を消す。
幸い雪子はカウンターにいたので、窓の方を向いてしまえば顔は見られずに済む。
なるべく遠くの席に座りますようにと祈っていると、二人はなんと雪子のすぐ後ろのテーブルへ座った。
(どうしよう、なんか気まずいわ)
雪子が身体をこわばらせてじっとしていると、二人の会話が聞こえてきた。
「だからカフェなんかじゃなくて一ノ瀬さんのおうちに連れて行って!」
「ダメだ」
「なんでダメなの? せっかく鎌倉まで来たのよ」
「いや、来てくれとは一言も言っていないよ」
「でもわざわざ来たのに駅で追い返すなんて酷いわ!」
「酷いも何も、俺は君と一度しか会っていないんだぞ。それも飲みの席で1~2時間だ」
「あの時も凄く冷たくて意地悪だったわ」
ゆりあの言葉を聞いた俊は、ハァーッとため息をついた。
「だからどうして俺が君に優しくしなくちゃいけないんだ?」
「それは私があなたと付き合いたいからよ」
そこまで聞いていた雪子は、
(ドラマみたい…….)
と、背後で繰り広げられるドラマのようなやり取りに耳をそばだてる。
「俺は君に対してそういった感情は全くない」
「今はでしょう?」
「今も未来もだ」
「そんなにきっぱり言い切るっていう事は、本当に隠し妻がいるのね!」
(隠し妻?)
雪子はきょとんとした。
『隠し妻』などという言葉は久しぶりに聞いたので思わず笑いそうになる。
そして冷静に今の2人の関係を判断した。
俊は20歳ほど年の離れたお嬢さんにつき合って欲しいと迫られている。
しかし、俊には『隠し妻』がいる……らしい。
(思った通り、本当にモテる人なんだわ)
雪子は思わず感心したように頷いた。
その時、俊は目の前のカウンターに座る女性に目を向けた。
見覚えのあるその後ろ姿をじっと見つめている。
こちらに背を向け気配を消す様に微動だにしないその女性が雪子だと気づくのに、
それほど時間はかからなかった。
なぜなら、綺麗に磨かれた窓ガラスには雪子の顔がしっかりと映っていたからだ。
俊はゆっくりと口角を上げると、ゆりあに向かって言った。
「ああ、隠し妻ならいるよ」
そう言って立ち上がると、
「雪子!」
と、カウンターにいる雪子へ声を掛けた。
「えっ……?」
雪子がびっくりした顔で振り向くと、俊は雪子の腕を取り優しく抱きかかえるようにして雪子を椅子から下ろした。
気づくと雪子は俊に寄り添うように立たされていた。
俊は雪子の腰に手を回し、自分の方へぴったりと引き寄せてから言った。
「彼女が妻の雪子だ。これでわかっただろう? 俺は妻を愛しているからいくら追いかけて来ても無駄なんだよ、わかった?」
俊はそう言ってニヤッと笑った。
一方雪子は、頭が真っ白でただじっと立っているだけだ。
俊の言葉を聞いたゆりあは引きつった顔をしながら、
「なによっ、ただの年増のオバサンじゃないっ、ダッサ!」
そう吐き捨てるように言って、怒りに任せて椅子から立ち上がるとヒールの音をカツカツと響かせて店を出て行った。
「…….」
その後ろ姿を、雪子はただ呆然と見つめていた。
そしてゆりあが見えなくなると、やっと雪子が言葉を発した。
「えっと……」
「ごめん、突然巻き込んで悪かった」
「いっいえ、あの…….?」
「でも助かったよ。偶然とはいえ君を見つけた時、女神に見えた」
俊はそう言って笑った。
そして、カウンターにあった雪子のカップをテーブルへと移動させると、雪子に前に座るよう促した。
雪子は何がなんだかわからないまま、とりあえず俊の前の席へ座った。
「彼女が君に失礼な事を言って申し訳ない。お詫びします」
俊はそう言って頭を下げた。
「いえ……本当の事ですからお気になさらずに」
雪子は穏やかに言った。
あの女性の言った事は事実だ。彼女を前にしたら自分はただの年増のオバサンだ。
彼女の言葉を否定するほど、自分は若くもないし美しくもない。
「いや、あれは彼女が驚いて咄嗟に口をついて出た言葉です。だから本気にしないで。まさか俺に本当に隠し妻がいるとは思っ
ていなかったんでしょう。雪子さんに余計なとばっちりが行ってしまい本当に申し訳ない。君は大きな息子さんがいるようには
見えないしとても可愛らしい女性ですから」
『可愛らしい』と言われて雪子は思わず頬を染める。
お世辞だと分かっているのについ反応してしまう。
「いえ、そんな事ないです……私ももういい歳ですから」
「失礼ですが、年齢をお聞きしてもよろしいですか?」
「今年50になりました。一ノ瀬さんは?」
「私は58です」
「私よりも8つも上だったのですね。そんな風には見えないです」
「いや、もうすぐ還暦ですよ……」
俊はそう言って笑った。
雪子はデパート時代の同僚や上司の中で、俊と同年代の男性を思い浮かべてみた。
彼らと俊を比べると、どう見ても俊の方が若く見える。
雪子の元夫は、俊より一つ年下の57歳だ。
今はどうか知らないが、結婚当初は元夫もかなり若く見える方だった。
しかしもし元夫が今も若々しく見えたとしても、きっと俊にはかなわないだろう。
そんな事を考えているうちに、雪子は徐々に気持ちが落ち着いてきた。
そしてカップに残るコーヒーを一口飲むと言った。
「先ほどの方は、一ノ瀬さんの恋人ですか?」
「違います。彼女とは飲み会で一度お会いしただけです。何か勘違いをされたようで、ここまで来てしまって」
「そうでしたか。かなりお若い方でしたよね」
「彼女は年の離れた男性が好きみたいです。包容力のようなものに憧れる年代なのでしょう」
俊は穏やかに言うともう一口コーヒーを飲んだ。
「隠し妻が……いらっしゃるのですか?」
雪子はそう聞いた後ハッとする。
部外者なのに立ち入った事を聞き過ぎて後悔する。
「すみませんっ……」
顔を真っ赤にして戸惑う雪子を見て、俊は頬を緩めた。
「全部聞かれちゃったかな。『隠し妻』はいませんよ。『嘘も方便』っていうやつです」
「…….と言う事は、あのお嬢さんの好意を断る為の口実?」
「ですね」
俊は微笑みながらカップを口に運んだ。
コメント
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いやいやいや(( 'ω' 三 'ω' ))若者から見たらあなたも充分年増のおばさんやで、ゆりあ((( *艸))クスクス そういう私も年増のおばさんが通ります┗=͟͟͞͞( ˙∀˙)=͟͟͞͞┛ドスドスドス
隠し妻じゃなくていつかは…って今は気付いてないけど雪子さんにそんな感情を持つ日が来るのかな。