『もう本当に大丈夫なノ?カカ様』
シスさんが退出したのを合図としたみたいに、何処からともなくララが姿を現した。ベッドの上を優雅に歩き、私の膝辺りを陣取ってこちらを見上げてくる。心配する彼女の様子がさっきのシスさんの雰囲気とそっくりだ。猫にしか見えない姿をしたララと似ているだなんて、彼がルーナ族だからだろうか?
「うん、平気だよ。……路地裏での一件は本当にごめんね。知っている人と似ている気がする相手に声を掛けられたもんだから、あの人を『彼かも』と勘違いしちゃって……」
私があの神官の男性について行ってしまった時、小さな体で必死に相手を威嚇してくれていたララの姿を思い出す。その威嚇は相手には見えないから意味の無い行為だったとしても、緊急事態に一人で対応しなければいけないというわけでは無いというだけでとても嬉しかった。だから私は、素直に「ありがとう、あの時側に居てくれて」とも伝えておいた。
『あと数秒シス様達が助けに来るのが遅かったラ、あの路地はもっと大惨事になる所だったのヨ?アタシの傀儡達があの男を引き裂く為ニ、周辺でじっと待機していたんだかラ』
大惨事になる所だったと言う割には何処か誇らしげだ。そうか、ただ威嚇していただけじゃなくって、既にちゃんと臨戦体制だったのかと思うと、自分で対応出来て良かったと思うべきな気がしてきた。結果的には四日もの間倒れていたので自己解決したとは決して言えないけれども。
それにしても——
「……『達』って、シスさんの他にも、誰か来てくれていたの?」
そう訊くと、ララが一瞬黙った。軽く視線を右側にやりつつ、『……警備隊の人達ガ、来てくれていたのヨ』と教えてくれる。
「そうなの?じゃあ、無理に自力で逃げる機会を作ろうとしなくても、どうにかなっていたんだね」
先走った行動をしてしまった事を反省する。この体になってから魔法なんか使っていなかったが、結果を考えるに前以上に魔法との相性が良いみたいだから、この先は絶対慎重に扱わねばと重々心に留めた。
(呪文はもう口にしない。シスさんの言いつけを守るっ)
また達成すべき目標が一つ増えてしまった。だが、何もなく生きていた頃よりはこの方がずっと良いなと思えた。
『——ところデ、随分と長く眠っていたけド、どんな夢を見ていたノ?』
ララが私を見上げて軽く首を傾げた。体の割に大きな赤い瞳には|寂寥《せきりょう》感まで浮かんでいる。四日間も眠ったままだったとあれば心配して当然かとも思うが、夢を見ていたと確実視しているのはどうしてなのだろうか。そういうものだと言われたらもう私には何も言えないので、些細いな疑問はそっと呑み込んだ。
「……兄の夢を、ちょっとね」
唯一まともなやり取りをした日と言っても過言ではない兄との思い出は、家族との最後の記憶の中でも最も苦痛に満ちたものだったから正直思い出したくはなかった。だから記憶に蓋をしていた様な状態だったのに、“夢”という形であの日の記憶の中に落ちてしまったのは自分でも予想外の事だった。
確実に裏路地に私を引き込んだあの神官のせいだ。
『兄』というワードと共に恐怖心を味わったからだとしか思いえない。
「最初は……過去を追体験するみたいな感じだったの。最初から『此処は現実じゃない』ってわかっているのに、この先、苦しい思いをするとわかっていても、記憶のまま、同じ流れに任せた行動しか出来なかったんだけど……その、途中で何故か、当時は知り合いですらもなかったシスさんが助けに入ってくれて、それ以降はどうしてか全く知らない展開になっていったんだよね」
『後半は自在に動ける様になっていったって事?』
「そう、だね。確かに、自由に言葉を選ぶ事は出来た、かな」
『成る程。それはきっト、“明晰夢”ってやつネ』
「めいせき、む?」
『えェ。夢だと自覚しながら見る夢の事を言うノ。状況を自在に変化させられる事もあるらしいかラ、きっとそうヨ』
「へぇ、ララは本当に賢いのね」
長く生きてきたと言うだけあって本当に賢い子だ。肉体を持った経験が無いだけで、私よりも遥かに年上の相手に対してそう思うのも失礼かもだが、愛らしい姿のせいでどうしたってそう感じてしまう。
『ちなみにネ、夢は記憶を整理する為の時間とも言われているノ。だけどそれ以外にモ、夢で見た内容はその人の願望の表れだとも言われているのヨ』
「……現実で起きて欲しい事を、夢で見ているって事?」
『そういう事ネ』と言って、ララが頷く。
確かに、毒を飲んでしまった時には誰かに助けて貰いたかった気持ちが凄く強かったから納得出来たが、後半も自分の願望なのだとすると……
(……じゃあ、私はシスさんと、あんな事をしたいってことになるの?)
唇を重ね、まるで夫婦みたいに素肌に触れられていた夢を思い出したせいで、顔を真っ赤に染めながら無自覚のままへの字になった口元が震えてしまう。熱い顔を冷やそうと両手で覆ったのに、手まで熱くて意味が無い。彼の事が好きなのは確かだが、私達は結婚どころか交際すらもしていないのに色々とすっ飛ばして夫婦の営み的な行為を望んでいるとはどうしたって認められず、私は心の中で否定し続けた。
その後。シスさんが作ってくれた食事をベッドで休みながら頂いたが、ララとの会話からまだ気持ちを割り切る事が出来ず、料理の味がさっぱりわからなかっただけじゃなく、彼の顔をまともに見る事すら出来なかった。『量は多くないですか?』『足りないみたいなら、おかわりをお持ちしますよ』などと優しく声を掛けてくれたりもしたのに、きちんとした反応すら返せなかったせいで、しばらくの間自己嫌悪と羞恥心に苛まれたのだった。
まともに眠れぬまま翌日となった。『あんな“夢”を見てはしまったけど、自分はイヤラシイ行為をしたいだなんて思っていない!』と私は葛藤し続けたせいでなかなか寝付けず、結局そのまま朝を迎えてしまったのだ。
「……おはよう、ございます」
「おはようございます。……顔色が悪いですが、大丈夫ですか?」
二人が上半身を起こし、シスさんが私の顔色の悪さを心配する。
四日間も眠っていた後だからか体力も回復しているし、体調自体は悪くない。ただ、“夢”に関してだけは胸の奥に引っかかったままだった。ララの指摘通り、あれが“明晰夢”である事は納得出来ても、“願望”を夢に見たという事だけがどうしても腑に落ちないのだ。そのせいか今日もやっぱりシスさんの顔をまともに見られず、私は視線だけをそっと逸らした。
「大丈夫ですよ。今日からもう、働けそうなくらいですから」
体に問題ないのだと主張するみたいに、拳を握って小さくガッツポーズをしてみる。だがシスさんの表情は否定的なままだ。
「いいえ。暫くは休んでおいた方がいいですよ」
誘拐されかけた挙句に四日も眠っていたのだ。大事を取るべきだと説得され、結局追加で三日間も仕事を休む事を強要された。だが休暇も四日目になりそうになった日には『流石に寝過ぎは返って体にも宜しくないらしいですよ』と強めに言ったおかげで、私はやっと清掃の仕事を再開させてもらえたので本当に良かった。
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