「引っ越しそばとクリスマスケーキ、独りじゃ食べきれなかったら連絡しろよ」
「なに……、その組み合わせ」と、茶化してスルーしようとしたが、声が震えた。
「チキン買い忘れたら、持ってくし」
「……」
ストレートに引っ越し先を聞いてこないのは、龍也なりの優しさ。そうでなければ、私を試しているのかもしれない。
「シャンパンが足りなくなったら、持ってくし」
「龍也……」
「新しい部屋で一人で眠れなかったら、添い寝しに行くし!」
力いっぱい抱き締められ、私も思わず彼のダウンを握り締める。
「なんでもいいから、何かあったら呼べよ」
「龍也」
「あきら!」
グイッと肩を掴まれて、私の身体が龍也から離された。
「メリークリスマス!」
再び身体が抱き寄せられ、唇がヒヤッとした。
いつ振りかの龍也の唇は冷え切っていて、温めてあげたいのに唇を開けない自分を呪った。
わずか数秒の、触れるだけのキス。
「外国じゃ、クリスマスにはキスしていいらしいし!」
キスなんて何度もしたのに、龍也の顔は真っ赤で、つられて私まで恥ずかしくなる。
「ここは……日本だし」
恥ずかし紛れに、可愛くないことを言ってしまう。
「クリスマスなんだから、細かいことは気にすんな」
そう言って笑うと、龍也は私を手放した。
「遅くに、ごめんな」
くるっと身体を回転させると、ドアノブに手をかける。
「――ちょっと待って!」
私は言い終わる前に踵を返し、先ほど段ボールに入れた包みの大きい方を取り出し、ビリビリと豪快に破った。箱を開け、中身を取り出すと、広げてみる。タグなんかがついていないかを確認する。
よしっ!
パタパタと玄関に戻ると、勢いよく龍也の首にそれをかけた。
「明日も仕事だし、風邪ひけないでしょ!」
黒のダウンにボルドーのマフラーは、急に男らしさと言うか大人っぽさを醸し出した。
「これ……」
私はマフラーの端を首の前でクロスさせて、ゆったりと結んだ。そして、ダウンの襟を整えて、マフラーを収めた。
「クリスマスプレゼント! 深い意味はないから! お返しは……大人としての礼儀でしょ」
「マジで……?」
龍也はマフラーに頬を摺り寄せると、嬉しそうに目を細めた。
「ありがとう。すっげぇ、嬉しい」
思った通り、よく似合っている。
そして、すごく格好いい。
「そ、それは良かった」
直視できなくて、またまた可愛くないことを言ってしまった。
「大事にする」
「……うん」
「じゃ、な」
この部屋のドアを出て行く彼を見送るのはこれが最後。
胸が締め付けられるような寂しさに耐えるのも、最後。
次があるとしたら、それは、私たちが友達にも戻れなくなった時。
それには、二つの意味がある。
どちらを選ぶかは私次第――。
未だに嬌声を伝える壁をドンッと叩くと、ソレは止み、代わりに笑い声が聞こえた。
*****
翌日。
私は十年近く暮らした木造アパートの二階の部屋を出て、一駅隣の五階建てマンションの三階に引っ越した。ひとつの階に部屋は四つあり、不動産屋に駆け込んだ前日に角部屋の住人が転居の申し出をしていたのは、幸運としか言いようがない。
毎夜、隣人のセックス事情を聞かされることを思えば、例え角部屋じゃなくても決めていたと思うが。
とにかく、オートロックとエレベーター付きで、職場からは一駅離れるにしても、駅から徒歩十二分が八分になったことを思えば、問題ではない。駅からマンションまでの道も、コンビニや居酒屋があるお陰で明るい。
間取りも、隣とは一枚の壁ではなく、一面収納になっていて、三分の一には給湯器、残りはクローゼットになっていて、騒音の心配もなさそうだ。
十畳だったリビングは十二畳になり、八畳だった寝室は十畳になった。
私にとってこの上ない好条件に、家賃が一万二千円増えるとしても、迷いはなかった。
こんなもんかな……。
人生で二度目の引っ越しは、引っ越し先が一駅隣、誰もこの日に引っ越そうとは思わないクリスマスイヴとあって、単身パック税込二万二千円という安さだった。
午前十時半から作業が始められ、新居で家電の破損や故障がないことを確認し、作業完了のサインをしたのは十二時十分。
男性作業員二人が基本の単身パックだが、女性の独り暮らしにはサービスで女性作業員が追加され、何ともスピーディーに作業が進んだ。
私は女性に代金を支払い、用意しておいたお礼の缶コーヒーを渡した。
私はマンションから百数メートルほどの場所にあるコンビニに行き、天ぷらそばを買って帰った。段ボールだらけの部屋のソファに座り、引っ越しそばをすする。
テレビをつけたら荷解きが進まなくなりそうだから、つけなかった。
朝からバッグに入れたまま忘れられたスマホを覗くと、着信が一件とメッセージ二件が表示された。
『引っ越しはこれから?』
龍也からだった。
時刻は十時五十三分。
『必要なら午後休取って手伝おうか?』
同じく龍也で、十一時二十八分。
十二時一分の着信も、龍也。
どれだけ心配性なのよ。
昨夜の、マフラーに頬擦りする龍也を思い出し、胸が熱くなる。
『引っ越しは終わって、おそばも食べました』
『ありがとう』と付け加えれば良かったと思うと同時に、指が送信のマークをタップしてしまった。
仕方なく、カラフルな丸文字の『ありがとう』のスタンプを送信した。
今のところ、龍也に|新居《ここ》を教えるつもりはない。
勇伸さんと別れたこともそうだが、独りになって考える時間が必要だから。
龍也のことが好きだ。
口に出すのは恥ずかしいけれど、愛している。
そう伝えれば、龍也はきっと、笑って抱き締めてくれる。
けど、五年後には……?
同じくらいの年の夫婦が子供を連れて笑っているのを、平気な顔で見過ごせるだろうか。
私を選んだことを後悔しないだろうか。
私じゃない女が欲しくならないだろうか。
そんな不安が拭えないうちは、龍也の胸に飛び込めない。
私は冷めたそばの汁を飲み干すと、段ボールとの戦いに挑んだ。
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