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風宮 むぅまろ🦇🍀︎ 🍬🍚
#海辺の町
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その夜のルナ・マグは、いつもより静かだった。客足が引いたあと、ディアビレは一人でカップを伏せ、ミルクピッチャーを磨き、最後に窓の鍵を確かめる。沖の灯台がゆっくり瞬き、そのたび店のガラスに淡い光が走った。
もう閉めようとした時だ。
こん、こん、こん。
扉が三回だけ叩かれた。
閉店後の時刻にしては妙に控えめで、けれど聞き逃せない音だった。ディアビレは身構えたまま扉を開ける。冷たい潮風が足元へ流れ込み、岬の階段の先まで目を凝らしても、人影は見えない。
「……誰?」
返事はない。ただ、真鍮の取っ手のすぐ下に、ひとつの封筒が置かれていた。厚みがある。古い紙の匂いがした。
店へ戻って口を開くと、なかから小さなフィルムケースが転がり出た。透明の筒は少し傷んでいて、長いこと誰かの手元にあったのだと分かる。添えられていた紙には、一行だけ。
――現像しなさい。
背筋がひやりとした。いたずらにしては、文字が真面目すぎる。
そこへ裏口の方から足音がして、ジナウタスが顔を出した。
「どうした」
「今、誰か来たんです。でも、開けたらもういなくて」
彼は封筒と紙を見て、表情を少しだけ硬くした。フィルムケースを持ち上げる手つきが、妙に慎重だった。
「捨てるな」
「捨てませんけど」
「よかった」
低い声でそう言うと、彼はすぐに外へ出て周囲を確かめに行く。ディアビレはカウンターに残されたフィルムを見つめた。中に何が眠っているのか分からない。なのに、不思議と目をそらせなかった。
やがて戻ってきたジナウタスが、海の方を見たまま小さく言う。
「誰かが、おまえに取り戻させたいものがあるらしい」
ディアビレはフィルムケースを握った。冷たいのに、その奥だけがひどく熱い気がした。