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風宮 むぅまろ🦇🍀︎ 🍬🍚
#海辺の町
#澪彩文庫本💜🖌
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恋愛企画の初日は、玄関ホールに簡易舞台が組まれた。宿泊客たちが半円を描くように並び、ラウールが司会台の前で何度も咳払いをしている。花の匂い、潮の匂い、磨かれた床の匂い。全部が混ざって、胸のあたりだけ落ち着かなかった。
ベジラは光の当たる位置に立っていた。肩越しに振り返るだけで絵になるように、フレアが前夜遅くまで裾を直したらしい。対してディアビレの役目は、そこへ水を差す女だ。
「それでは、運命の出会いの場面から!」
ラウールの合図で始まる。ベジラがハンカチを落とし、宿泊客代表の青年が拾い、まわりが小さく拍手する。そこでディアビレは台本どおり、斜めから声を落とした。
「ずいぶん都合のいい出会いね」
ざわ、と空気が揺れた。たしかに少し感じが悪い。けれど次の瞬間、舞台の横で迷子になっていた幼い男の子が、泣き出しそうな顔でうろうろし始めた。
ディアビレの足が、また勝手に動く。
「お母さんはどこ?」
しゃがんで目線を合わせると、子どもは指を震わせて奥のロビーを示した。彼女は台本も何もかも一瞬忘れて、その子の手を取って歩き出す。少し先で青ざめていた母親が駆け寄り、何度も礼を言った。
戻ってきた時、ラウールはどうにか場を繋いでいたが、客席の視線はさっきとは少し違っていた。ベジラを見る目に混ざって、ディアビレを見る目がある。
上階の回廊から、その様子をセルマがじっと見下ろしていた。
終演後、裏方が片づけを始めた頃、給仕の一人がこそこそと携帯端末を見せてきた。宿泊客向けの匿名掲示板だ。
《悪女役の人、普通にいい人では?》
その一文を見た瞬間、ディアビレは変な顔になった。台本どおりにやっても、どこかで崩れてしまう。
すると背後から、ジナウタスの声が落ちた。
「だから惜しい」
「どっちの意味でですか」
「悪役としては失格。人としては満点」
そんなことを平然と言うから困る。胸の奥が、舞台の照明よりよほど明るくなってしまうからだ。