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ドサリッ…
鈍い湿った音が骨肉に響く
鈍痛に目を覚まされた
後頭部の方が気持ち悪い
よろよろと関節を軋ませながら立ち上がる
しかし上手くいかず蹌踉き壁に縋る
掌に触れたコンクリートは粉を噴き、ぬめついた冷たさが皮膚にまとわりつく
額当たりが暗い靄に覆われて
平衡感覚が歪む
網膜の裏の血脈が妙に溌剌で頭蓋を締め付ける
吐き気が神経を逆撫でていく
どれほど経ったろうか
部屋の輪郭が滲み出てきた
打ちっぱなしのコンクリートに囲まれた正方形の箱
家具は寝台と
…姿見?
眼窩に入る景色は兎に角汚らしかった
埃は積もり纏わりつき全体的にドス黒い
重い湿度が喉の奥に張り付く
くぐもったオレンジ色に灯る傘電球が陰鬱さを際立てていた
窓はない
扉らしき錆びた鉄板は頑強に焼き付けられている
私は…
何も覚えていない
そもそも覚えているべきものがあったかも釈然としない
そんな見えぬ焦燥が胸の底に滞留する
現状を確かめようと
探るような足取りで
唯一異質な姿見へ近づく
何だこの生き物…
鏡に写ったその生き物は
全身痩せて骨張っているくせに下腹だけ異様に膨らんでいて
顔や体のあちこちに疣、痘痕、斑が散在してる
四肢の指先は腐色を帯びていて、ひび割れた土細工のようだ
まるで気色悪い餓鬼のような見た目
そもそも生き物なのか…こいつ
死に物ではなかろうか…
そんな浅慮がぐるぐると思考を空回りして、絡み合う
その姿見の写像の顔を覗き込んでみる
奴と目が合う
なにか得も言われぬ寒気に慄き
反射的に目を伏した
動悸が異様な速さで内を叩き
落ち着こうと努めるが徒労に終わり
肩が小刻みに揺れ、瞳孔は開ききる
目を逸らしているのに、視線を感じる…
探るような形容し難い感覚がこちらを覗いている
視界に鏡が入らぬよう姿見から距離をとる
どうも落ち着かない
堪らず姿見に寝台のシーツを引き剥がし、姿見に被せる
少し圧迫感は寛解したがハラワタから這うように登ってくる嫌悪感は後味悪く残っている
なんだか眩量がしてきて
そのままむき出しの寝具に身を臥した
寝台は冷たかった
だが冷たいと感じているはずなのに、皮膚がそれに応答しない
呼吸を整えようとして
そこで気づく
胸が上下していない
息を吸おうとした「意図」だけが空虚に空間を撫でて消える
耳鳴りのような静寂の中で、心臓の鼓動を探すが
ない…
鼓膜の裏に、血の流れる感覚だけが幻のように残滓を引いている
目を閉じる、が
瞼は降りなかった
眠りに落ちることも、意識を失うことも起こらない
「覚醒」が縫いとめられている
私は横たわったまま、永遠に「起きている」
ふと、腹部の重さが意識に浮かぶ
空腹でも満腹でもない、腐りかけた果実のような鈍重さ
それは生命の主張ではなく、死が残した形骸だった
理解が遅れて巡る
恐怖より先に、奇妙な納得があった
だから記憶がない
だから焦燥が輪郭を持たない
私は、何かが終わったあとの それでも途切れなかった部分だけでできている
姿見の下からかすかな軋みが聞こえた気がした
被せたはずのシーツが持ち上げられる
腫瘍のようにゆっくり膨らんでいく
見るな
と直感が異様に警鐘を打つ
それでも、目は開いたまま
眼球が固定されている
見ることだけは止められない
膨れ、捲れ落ちる
無いはずの臓腑が喉元まで競り上がってくる感覚がする
シーツの中には…
蝋人形が横たえられていた
関節の影は濃く、灰色の肌で
こちらを見ている
この陰圧室で腐敗も終わりも忘れた
嗚呼
私は“私”という残骸をこれからも観察し続けるのだろう