華子は、その後も順調に仕事をこなしていた。
一緒に仕事をする同僚が優しいので全くストレスがない。
今までの職場環境は一体なんだったのか? と思えるほど快適過ぎて時間が穏やかに過ぎていく。
次の混雑のピークはやはり正午前後だ。
その時間帯は集中して会社員やOLが一気に押し寄せる。
中澤と野村は忙しそうだったが、華子が雑用を全て引き受けていたので少しは助けになっているようだ。
そして華子はだいぶ声が出せるようになっていた。
「いらっしゃいませ」
「ありがとうございました」
「恐れ入ります」
デパートで化粧品販売員をしていた時の感覚が徐々に蘇り、自然と口から言葉が出ていた。
昼の混雑が一段落すると、カフェは再びまったりタイムへ突入する。
午後はだいぶ手の空く時間も増え、その合間に華子は野村に色々と教わった。
夕方の六時からはバータイムになるので、カフェは四時半で閉店だ。
その事を常連客は十分知っているようで、四時を過ぎる頃には段々と客が帰り始めた。
閉店前の四時前後から、スタッフはカフェのクローズ作業を始める。
五時にはバータイムの店長へ店を明け渡さなくてはならないからだ。
パートの野村は四時までの勤務なので、華子よりも一足先に帰った。
野村がいなくなってからは、華子と中澤で閉店業務を続けた。
五時少し前になると、バーの料理人が出勤して来た。
料理人は本間という62歳の男性で、白髪交じりの落ち着いた感じの男性だった。
中澤の話によると、以前は一流ホテルの料理長をしていたらしい。
ホテルを定年退職した後、この店で夜だけのんびりと働いているそうだ。
バーで出す料理と言えば簡単なつまみ程度の物だが、
本間が作るつまみは洒落た盛り付けや絶妙な味付けで、このバーの人気メニューだ。
それを目当てにこの店に飲みに来る客も多い。
さすが一流ホテルにいただけの事はある。
そして五時を過ぎると、
昨夜バーにいた店長の塩村卓也も出勤して来た。
塩村はエプロンをつけて働いている華子を見つけると、一瞬驚いた顔をする。
昨夜は派手な装いをしていた華子がカジュアルな格好でカフェに馴染んでいたのでそのギャップに驚いたのだろう
塩村は華子の傍へ来ると言った。
「昨夜はちゃんとご挨拶もせずに失礼しました。バーの店長の塩村です。これからよろしくお願いします」
昨夜の華子と野崎のやり取りをこの塩村も聞いていたはずだ。
しかしその事に関しては全く気にしていない様子の塩村を見て、華子はホッとする。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
そう言ってペコリとお辞儀をした。
塩村はニッコリ微笑んで頷くと、奥の厨房へ入って行った。
カフェタイムの片付けがほぼ終わると、中澤が言った。
「三船さんもう上がって下さい。初日お疲れ様でした。今日はゆっくり休んで、また明日からよろしくお願いしますね」
「あ、はい。ではお先に失礼します」
華子は中澤に挨拶をすると、エプロンを外しながらロッカーへ向かった。
そしてコートと荷物を取って来ると陸のマンションへ向かった。
マンションは車で5分ほどの距離なので、歩いても15分前後だろう。
西の方角にはビルの合間に太陽が沈もうとしている。
少し肌寒い夕暮れ時の歩道を、華子はのんびりと歩き始めた。
(久しぶりにちゃんと働いたけれど足が疲れたー! でもなかなか楽しかったわ。あ、そうだ、何かお夕飯を買って帰らなくち
ゃ!)
実は華子は料理が出来る。
子供の頃、厳しい祖母に育てられたので中学生の頃には一通りの料理を作れるようになっていた。
しかし、ほとんど強制的にやらされていたので料理はあまり好きではない。
それでも、重森と付き合っていた頃は頻繁に美味しい料理を作っていた。
もちろんそれは、重森の胃袋を掴む事が目的だったが。
(フフッ、あの頃は重森も美味しい美味しいって食べてくれていたのにね。一体あれはなんだったんだろう。マジで無駄な時間
を過ごしたわ…勿体ない)
華子はそう思いながらフーッとため息をついた。
その時、どこからか美味しそうな香りが漂ってきた。
(この香りはガーリック?)
華子はその匂いがする方向を振り返る。
するとそこには小さな店があった。
弁当屋と言うには洒落過ぎた店だ。
ペパーミントに塗られた店の入口にはイタリアの国旗が掲げられている。
どうやらイタリアン料理のテイクアウトの店のようだ。
ドアの前には黒板式の看板があり、チョークで本日のメニューが書かれていた。
【本日のメニュー】
●鶏もも肉とキノコ、ポテトの蒸し焼き ガーリック風味
●にんじんサラダ
●イタリア風卵焼き(フリッタータ)
●ガーリックライス
(うわっ、美味しそう!)
値段を見ると1000円だった。
(アルバイト生活の私にはちょっとお高めかしら? でも今日は頑張ったんだもん! このくらいの贅沢はいいわよね)
華子はそう思いながらその小さな店へ入ってみる事にした。
コメント
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華子のギャップがでかい‼️お料理はできるし薄化粧が映えて仕事の挨拶も丁寧で…勤務初日お疲れ様😊👏美味しいお弁当🍱頑張った自分へのご褒美だね😉✨