「詩帆ちゃんは休日は何をしているの? やっぱり絵を描いたりとか?」
「実は絵は最近ずっと描いていなかったんです。でもこんなんじゃ駄目だって思って、だからあえて毎朝海へスケッチに行く事
にしたんです」
「へぇ…あえて自分に課題を課したわけか、偉いね。絵を描いている時以外は?」
「特には…普通に本を読んだり家の事をしたり…あ、なんか私ってつまらに人間みたいですね…」
「いや、そんな事はないよ…」
そこで今度は詩帆が質問をした。
「夏樹さんはどんなお仕事をされているのですか?」
「俺は設計事務所で働いています。建物の設計をする建築士ね」
「へぇー、凄い!」
詩帆は驚いた。設計士と言えば国家資格だ。
中でも一級建築士の試験は難しいと聞いた事がある。
すると今度は涼平が聞く。
「なんでここに住もうと思ったの?」
「海の傍に住むのが憧れで…あと辻堂は昔兄がよく来ていたので…」
詩帆はそう言った後急に口ごもる。
「もしかしてお兄さんもサーファー?」
「はい。あ、いえ、昔ちょっとやっていて…でも今は……」
「今はやめちゃったのか」
「いえ、やめたんじゃなくて…あの…兄はもう亡くなっていて……」
それを聞いた涼平は驚いた。
「そうだったんだ…ごめん」
「ううん、全然。もうだいぶ昔の事ですから」
その時詩帆は兄・航太の言葉を思い出していた。
当時まだ中学生だった詩帆は、その頃から絵を描く事が好きでよく海の絵を描いていた。
詩帆が描いた絵を見た航太は、こう言った。
「詩帆、海にはね、いろんな青色があるんだよ。その青は一つの絵の具では到底表せないんだ。海は瞬時に様々な青に変化する
んだよ…だからその何種類もの青の中から詩帆が好きなたった一つの『青』がいつか見つかるかもしれないね。詩帆にとっての
特別な『青色』が…」
兄の言葉を思い出しながら、詩帆は窓の外の暗闇をじっと見つめる。
その時涼平は詩帆の心の中には自分と同じ種類の傷があるのではないだろうか? ふとそんな風に思った。
食後のコーヒーが運ばれてくると涼平が言った。
「カフェで働いているとコーヒーの味には厳しいの?」
「はい。かなり」
詩帆はそう言ってこの店のコーヒーを一口飲む。
すると「とっても美味しいです」と言って微笑んだ。
その時詩帆は、以前から気になっている事を涼平に聞く。
「カフェではいつも同じマフィンばかり食べていらっしゃいますが、好きなのですか?」
「ハハッ、バレたか。うん、あれ好きなんだよね」
「やっぱり! でもうちのドーナツやパンも美味しいですよ。今度是非食べてみて下さい」
「パンは食べた事あるけれど、ドーナツは食べた事ないなぁ…」
「だったら是非。シンプルですが美味しいので…」
「うん、わかった。じゃあ今度是非!」
詩帆は笑顔で頷く。
どうやら涼平は甘党男子のようだ。
その後二人は地元辻堂の町の話や詩帆のカフェでの仕事中の話、
そして涼平の職場の話で盛り上がった。
二人は時折声を出して笑いながら楽しい会話を続けた。
コーヒーを飲み終えると、そろそろ帰る事にする。
詩帆が自分の代金を払おうとすると、涼平がそれを制止して二人分払ってくれた。
詩帆が申し訳なさそうにごちそうさまと言う。
すると涼平は爽やかな笑顔で「どういたしまして」と言った。
それから二人は菊田夫妻に挨拶をしてから店を出た。
別れ際、優子が詩帆に言った。
「詩帆ちゃんまた金曜日にね! 良かったら絵も見せてね!」
「はい」
詩帆は微笑んで答えた。
二人は自転車を押しながら、緩い坂道を上って行く。
「お料理とても美味しかったです。菊田さんご夫妻も素敵な方だったし、いいお店ですね」
「それは良かった。あの二人は本当にいい人なんだ…」
涼平は微笑みながら言う。
詩帆は頷きながらふと空を見上げた。
すると二人の上にはいくつもの星が輝いていた。
「今日は空が澄んでいますね。星がいっぱい」
すると涼平も空を見上げる。
「本当だ、凄いな……。きっとあの星の中に詩帆ちゃんのお兄さんがいるんだろうな。そして君の事をずっと見守ってるん
だ…」
涼平がふいにそんな事を言ったので、詩帆は思わず涼平の顔を見る。
しかし涼平は何も言わずにただ空をじっと見つめていた。
その時詩帆は、涼平の中に何か寂しさのようなものを感じた。
この人も自分と同じように何かを心に抱えている。詩帆の鋭い直感がそう知らせていた。
二人は夜空を見上げながら歩き続けた。
ほんのり潮の香りがする優しい秋風が二人の頬をくすぐる。
二人の間に会話は存在しなかったが、なぜか詩帆には心地良く感じられた。
やがて詩帆のアパートへ着いた。
ミントグリーンの可愛らしいアパートの前で、詩帆が言った。
「うちはこのアパートです。今日はどうもご馳走様でした」
詩帆は涼平にもう一度礼を言った。
「うん、楽しかったね」
そこで涼平が続ける。
「誕生日パーティーの日はここまで迎えに来るよ。詳細は後で連絡するので、連絡先を教えてもらってもいいかな?」
詩帆は頷いてから携帯を出して涼平と連絡先を交換した。
涼平は「サンキュー」と言った後、
「じゃあおやすみ! 今度カフェに行ったらドーナツにしてみるかな?」
涼平はそう言って笑うと、軽く手を挙げてから自分のマンションへと帰って行った。
詩帆は涼平を見送った後、アパートの階段を上がりドアを開けて玄関へ入る。
ドアを閉めると詩帆はそのままドアにもたれかかり目を瞑った。
そしてこんな風に思った。
(こんなに楽しい夜を過ごしたのはいつ以来だろう?)
…..と。
一方、涼平は自転車を停めるとマンションのエレベーターに乗り込む。
そしてしばし物思いに耽った。
今日は思い切って詩帆を誘って良かった。
女性と食事をしてこんなに楽しかったのは久しぶりだった。
こんな夜はいつ以来だっただろうか?
涼平が過去の記憶を手繰り寄せていくと、それは遠い昔に菜々子と過ごした夜以来だと気付く。
その時涼平は愕然とした。
そんなにも長い間い、自分は孤独だったのかと…。
そして涼平はもう一つ気付く。
詩帆と過ごす時間は、菜々子と過ごしていた時と同じように楽しくリラックスした時間だったのだ。
(俺は彼女に対して特別な感情を抱いているのか?)
エレベーターを5階で降りると、涼平は部屋の前まで行く。
そしてドアの鍵を開けて中へ入ると、リビングのソファーに座って目を閉じた。
その時涼平の脳裏に浮かんできたのは、先ほど詩帆と一緒に見上げた星のきらめきだった。
コメント
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同じ悲しみを心に秘め、お互いの気持ちを感じ合える二人.... 美しい自然や 仲間たちに囲まれ、心の傷を癒しながらゆっくり ゆっくり....愛を深めていけたら良いですね🌊🌠✨
詩帆ちゃんの兄が亡くなってた事を聞いて涼平さんは同じ痛みを持つ者と感じた⁉️2人が沈黙の時間も気負うことなくお互いに自然にいれるんだね♪2人重なる部分があって 楽しい時間を過ごせるのは波長があってる証拠だね🤭💕