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『もう、一生人形なんか造らない』
私はついこの間まで確かにそう決めていた。
ロイさん曰く『人間の欲情を惹き出す程の人形を作る』事などもう絶対にしたくはない。確かに そう……思っていたのに、不正な手段とはいえ『気になる人の内情を知る』という行為はとても新鮮であり、時には残酷な一面もあるのだという事を知ってしまった以上、私はもう昔の様な感覚には戻れないのだなと最近は毎日痛感している。
「——芙弓、そろそろ飲まないとお茶が冷めちゃうよ?」
ロイさんと瓜二つと言っても良い程、精巧に模写された姿をする『人形』がさっきから私の心配をしてくる。
「ん……あと少し」
「真剣だね、久しぶりだから余計に楽しいのかな?」
「感覚を取り戻したいだけ、かな」
「そうか。まだ『仕事』じゃないんだもんね。でも無理はしないで、『ロイ』が心配するよ」
「……う、うん」
ロイさんと私に『彼』と呼ばれるているこの『人形』は、仕事で忙しい本人の代わりに、奴とは九割近く強姦に近い形で結ばれてしまったあの日からずっと、私の隣に寄り添ってくれている。料理や掃除といった類をなにもかもを一人でこなし、甲斐甲斐しく私の周囲の世話をする姿は、家政婦か主夫に近いものがある。ロイさんの残留思念を頼りに動いている『彼』にそれらが出来るという事は、あの人もそれを出来るという事なので、改めてアイツの万能さを見せ付けられている様な肩身の狭い日々が数週間以上も続いているのだ。
ちらっと『彼』の方へ視線をやると、片目だけ開く事を私に許された蒼い瞳と目が合った。作成当時は絶対に『彼』の瞼を開ける気は無かったはずなのに、今の『彼』は右目を自由に開ける事ができ、左目があるはずの場所には眼帯をして目の切れ目が無い事を隠している。
家事をしてもらう為に開かせた訳じゃない。ただ私が、『彼』や『ロイさん』と今までよりも少しだけきちんと向き合ってみようという想いから行なった開眼だったのだが、その行為を彼等がどう捉えているのかは私には分からないままだ。
「紅茶、飲むよね?ケーキとかも食べるかい?苺も用意してあるんだけど、どうしようか?」
「い、いいよ食べ物はもう。朝からずっと何かしら食べ続けてる気がするんだけど……まさか本気で私を太らせようとか?」
「あ、うん!当然じゃないか、芙弓はもっと太った方がいい!」
「このままでいい、面倒臭い」
紅茶の入るカップに伸びかけていた手を、私は元に戻した。
「胸が欲しいのに……」
ボソッと小声で呟く『彼』に向かい「アンタにつけてやろうか?」と返す。『彼』は人形なのだから、私がやろうと思えば性転換だって自由自在だ。
「全力で遠慮します!」
こんなふうに意味の無い、よく分からない内容の会話ばかりをしながら、世話をされながら、ただすぎて行く日々を過ごしていると、ふとあの日の事が夢だったんじゃないかって思う事がある。
実はロイさんとの関係なんかただの行き過ぎた私の妄想で、彼に似た『彼』が動けているのは、私の想像から抜き取った『残留思念』のせいなんじゃないかって。
あの日からメールも電話もない。
この家に顔を出す事もなく、手紙も無ければ、アイツの予定すらも私は知らないとなると『妄想だった』というのがかなり濃厚な答えの様な気がしてくる。一人の時間は好きだし、とっても楽だと思っていたけど、あの時間はただの空想だったのかなって考えが頭を支配し出すと、私の人形を作る手は毎回無意識のうちに止まってしまっていた。そして『彼』に寄り添い、広くて男らしい胸の中で瞼を閉じる。
「……今日は早かったね。もういいのかい?」
「うん、もういい」
コクッと軽く頷くと、『彼』は私の細くて軽い体を軽々と持ち上げ、二人で一緒に仕事部屋を後にした。
「お風呂を用意してあるんだ。一緒には入れないのが残念だなぁ。ねぇ、僕の体は防水には出来ないのかい?」
(……貴方はちゃんと防水機能付きです)
でもお風呂に侵入されたくないので伝えてはいないのだが、意外にも信じてくれている。いつまで信じてくれるのかはなんとも言えないが。
「デキマセンネ」
対人スキルが皆無な為、嘘を言う声が片言になった。
「残念!」
ニコニコ笑いながらそう言い、『彼』は素直に私を風呂場まで連れて行ってくれた。
ここ最近。移動する時は、狭い家の中だというのに『彼』は私を歩かせてくれない。太らせたいというのが本気なのだと伝わってくる。これ以上脚の筋肉が落ちたらどうしてくれる!と思うのだが、つい甘えてしまう自分はダメ人間だな、うん。
「脱衣場にはもう、着替えも用意してあるよ」
「ありがと」
毎日似たようなやり取りから始まり、私はササっと入浴を済ませる。
最初の頃は下着を勝手に用意されていた事にキーキー腹を立てていたのだが、『僕は人形だよ?気にしないで』と言われ続け、それもそうかと思うようになって今ではすっかり丸投げだ。
通常時ならば烏の行水女である私は、今日も今日とてサッと洗っておしまいだ。お風呂にしっかり浸かったのなんてロイさんが訪問して来た日くらいで、『彼』が用意してくれているお風呂にはあまり長く入っていない。始めのうちは『ココに奴も入ってくるかも!』と警戒しての行為だったのだが、今では元々そうだったからそうしている。シャワーだけしか浴びない生活を二十年近くすごしてきたのでそうなってしまうのは当然だろう。お風呂は好きだが、慣れない事はどうしたって続かないのだ。
びしょ濡れの髪をタオルで拭きながら私が脱衣場から出ると、『彼』がニコニコ顔でドライヤーを片手に廊下に立っていた。
「乾かすね、そっちに戻って!」
クルッと体を回転させられ、脱衣場に戻される。ドライヤーをコンセントにつなぐと『彼』は早速私の髪を乾かし始めた。
風の音で耳元が五月蝿い。たまに耳に触れる指がくすぐったくて、口元が勝手にへの字になってしまう。
「今度は髪を切ろうか。今まではどうしていたんだい?」
「自分で切ってる。だからこのままでいい」
「そっか。初めて触った時よりも髪質が綺麗になってるね。嬉しいな、『僕』の成果だ」
まともな食事をここ三ヶ月程、三食全て食べさせて貰えているので髪質や肌は『彼』の言う通り随分健康的になった気がする。骨に皮が付いているだけに近かった細い体は少し肉がついて、体重も随分増えてしまった。それでもやっと人並みよりはまだ細いと思う。
だが胸は……ほぼまな板のままだ。
今更もう私の体には胸の膨らみなんか期待するだけ無駄なんじゃないだろうか?
「自分が与えた物だけで好きな人の体を作れるって、よくよく考えたらメチャクチャエロいよね」
「……アンタは私の交際相手じゃないけどね」
気持ち悪い発言に、渋い顔で答える。
「僕は『僕』だ。だから彼氏面してもいいと思うなぁ。『僕』だってきっともう『あの時』程気にしてないよ。『僕』といちゃつこうが浮気じゃないしね。君を放置しちゃうよりも、『僕』に世話させた方が遥かにマシだ。僕が『僕』ならそう考える」
僕だ『僕』だと聞いていて、結局は『どっちだ?』と混乱してきた。
「待って、二十年家に篭ってる私がそもそも浮気なんて……。それ以前に、私達はそういった事をどうこう責められる様な関係じゃ無いのでは?」
(何を心配してんだか、馬鹿馬鹿しい)
私達みたいに不安定な間柄でも浮気だなんだと責められる様な関係性が存在しているのだとしても、むしろするなら向こうだろう。どうせアイツは仕事関係で綺麗な人に散々囲まれているに違いない。アレ以降此処には一度も顔を出さないのが何よりの証拠だろう。
そもそも、私達は交際してすらいない。
彼に会ってもいない。と言うことは、全ては私のくだらない『妄想』だ。
—— そんな考えに、私はまた戻ってしまった。
「それで思い出した。芙弓はどうしてあの屋敷を出て、この小さな一軒家で暮らしているんだい?」
言い難い事を急に訊かれて困った。もうたいして気にはしていないのだが、引き篭もりのキッカケの一つになった出来事でもあるので、話すのは躊躇してしまう。
「言い難いのかい?『僕』相手でも?」
(そうだ、『彼』は『人形』だ。私の『子供』みたいなモノなんだし……別にいいか)
「兄弟子達に……追い出されたの。私の処女作が気に入らなかったみたいでね、もっと手を抜けば良かったんだろうけど、雪乃にあげる物でソレはしたくなかったからなぁ」
まだ尻の青いガキが自分達よりも遥かに精度の高い人形を作った。
その事が気に入らず、自分達の腕前の酷さを棚に上げ、散々私を影で虐めている事に気が付いてくれた師匠の奥様が私にこの家を与えてくれたのだが、そんな事はもう遥か昔のことで、今ではあまり気にしてはいない。
「そうか、そんな理由だったのか……さて、出来たよ』
ドライヤーの五月蝿い音が消え、やっと普通の声量で話せる様になった。
「兄弟子達、全員気に入らないなぁ……」
ボソッと呟いた物騒な声と、暗い表情。何だか『彼』にすらも言っちゃいけない事を言ってしまったかなと今更後悔したが、ロイさん本人に話した訳じゃ無いからまぁいいか。