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きょうふ
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comi
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#可愛い
トド村
37
「ひどい熱……。天国美、病院には行けそう……?」
私が恐る恐る額に手を当てると、手のひらが焼け付くほどの熱気が伝わってくる。私は反射的に手を引っ込めた。
天国美は力なく、ただ小さく首を振ることしかできない。
どうしよう……救急車を呼ぶべきか?
私がパニックに陥りかけた、その時だった。
「魔力……が……」
天国美が、ぐったりと視線を彷徨わせながら、途切れ途切れに声を絞り出す。
「……おねぇ、ちゃん……にげて……」
「え……?」
言った瞬間、天国美の身体が内側から爆発するかのように、眩い白色の光を放ち始めた。
部屋の空気がパチパチと悲鳴を上げ、凄まじい密度の魔力が膨れ上がっていく。
___死。
最悪の二文字が脳裏をよぎり、私は抗うこともできずにギュッと目を瞑った。
ドゴォォォォン!!!
激しい爆音とともに、部屋の窓ガラスが震える。
恐る恐るゆっくりと目を開ける。立ち込める白煙の向こうから、ゆっくりと人影が姿を現した。
「遅くなってすまない」
煙が晴れていく。そこに立っていたのは、いつものトレンチコートではなく、夜の闇をそのまま切り取ったかのような、重厚でどこか妖艶な黒い魔女のドレスを身に纏った楓子さんだった。
いつもの涼やかな、すべてを見透かしたような余裕の笑みはどこにもない。ただただ険しい表情で、私たちの前に立ちはだかっていた。
「……結界が間に合ってよかった」
「楓子……さん……楓子、さん……」
譫言(うわごと)のように自分の名を呼ぶ天国美を、楓子さんは迷わず床に膝をついて抱きしめる。
「すまなかった。私は君の恋人なのに。君がこれほどの魔力を、ずっと一人で抑え込んでいたことにもっと早く気づくべきだった……」
「楓子さん、どういうことですか……? 天国美の魔力って……」
私が困惑して問いかけると、背後から重々しい声が返ってくる。
「そいつは今まで、ずっととんでもねぇ量の魔力を、抑えながら暮らしてたんだよ」
いつの間にか部屋にいた小守が、腕を組んでじっと布団の中の天国美を見つめていた。
「お前と同じ、疑似的なブラックホールを作れるぐれーの、桁外れの魔力をだ。なんらかのきっかけでコントロールが効かなくなっちまったんだろうなぁ」
いつもなら天国美に対して悪態をつく小守が、一切の茶化しを封印している。
それが、天国美が今どれほど危険な状態にあるかを、どんな言葉よりも雄弁に物語っていた。
「そんな……。じゃあ、天国美は大丈夫なんですか……!?」
「……しばらくは、ここで安静にしておいた方がいい」
楓子さんが黒い魔女ドレスの裾を揺らしながら天国美をそっと布団に寝かせ、私を振り返る。
「この部屋は地獄子ちゃんが貼った結界で守られている。外の魔力を遮断しているから、どんな核シェルターよりも安全だ。……天国美、これを飲んで」
楓子さんが懐から取り出した、透明な小瓶の中で青く輝く魔法薬を天国美の唇に流し込む。
コクン、と喉が鳴り、天国美の荒い呼吸が少しだけ落ち着きを取り戻した。
「あ……。少し、楽に、なったかも……」
「一時的に魔力の暴走を抑える薬だ。でも、これじゃあ根本的な解決にはならない。天国美を完全に治すには、さらに強力な魔法薬が必要だ」
そう言って、楓子さんは私に向き直り、一枚の古びたお札を手渡してきた。触れるだけで、楓子さんの圧倒的な魔力の波動が指先から伝わってくる。
「私の魔力が込められた札だ。いざという時は、これが地獄子ちゃんをあらゆる脅威から守ってくれる。……私と小守は、今からその魔法薬の材料をかき集めてくる。その間、地獄子ちゃんはここで、天国美のことを見ていておくれ」
手渡されたお札を両手で強く握りしめ、私は真っ直ぐに楓子さんの目を見つめた。
「……はいっ!!」
「……行くよ、小守」
楓子さんが立ち上がる。小守はアパートの窓枠に飛び乗ると、最後にちらりと布団の中の天国美に視線を落とした。
「……死ぬんじゃねーぞ天国美。オレはお前のことなんざプランクトンと同じくれーどうでもいいけど、お前が死んだら、ママと地獄子が悲しむんだからな」
「……いまさら、ツンデレキャラを確立させようなんて……そうはいきませんよ」
天国美が弱々しくそう答える。
「うっせぇ、寝てろ病人」
小守がそっぽを向くと、次の瞬間、黒い魔女ドレスを翻した楓子さんと共に黒い霧となって、夜の闇へと消え去っていった。
◇
楓子さんと小守が夜の闇へと消え去り、部屋には私と天国美の二人だけ。天国美は相も変わらず布団の上で苦しそうに呼吸をしている。
「……っ、まずは熱を下げなきゃ」
私は急いで自分のクローゼットから、ネイビーのノースリーブパジャマを引っ張り出して天国美に着替えさせる。
それから冷凍庫にある保冷剤をありったけかき集め、タオルに包んで天国美の首元と脇の下に当てる。
けれど、カチコチに凍っていたはずの保冷剤は、天国美の身体が発する高熱によって、みるみるうちにただの水へと変わっていく。
信じられない。いつだって元気だったこの子が、ずっとこんな途方もない魔力を体内で必死に抑え込みながら、苦しんで生きていたなんて。
「ごめん……なさい……おねぇ……ちゃん……」
「私……ドッペルゲンガーなのに……おねえちゃん達に、こんな、迷惑かけて……っ」
天国美の瞳に、じわりと涙が滲む。
「……バカ。あんたが謝ることなんか何もないわよ」
私の声が、ほんの少し震えた。
思えば、私はずっと天国美に無茶をさせていたのかもしれない。
私の代わりに週六で仕事に行かせ、休みの日ですら黒魔術の修行に付き合わせてしまった。
ドッペルゲンガーだから疲れないなんて、そんなわけがないのに。
天国美の身体からは、暴走する魔力に伴って、滝のような汗がとめどなく流れ落ちている。
「……ひどい汗。待ってて、すぐ拭くから」
私は洗面所に走り、冷たい水で濡らして固く絞ったタオルを用意した。
まずは天国美の額に優しく当て、滲む汗をそっと拭っていく。
「……気持ち、いい」
ふぅ、ふぅ、と苦しげに肩で息をしながら、天国美が力なく目を細める。
「身体も拭いたげる。パジャマ、脱がせるわよ」
「……えっち」
「うっさいわね、ゴートゥーへルするわよ」
私はノースリーブのパジャマをそっと脱がせ、天国美の白い身体を露わにする。
熱を帯びてほんのりと赤みを帯びた彼女の首筋から、鎖骨、そして汗で濡れた細い腕へと、ひんやりとした冷たいタオルを滑らせていった。
汗を吸ったタオルを何度も裏返し、熱を奪うように丁寧に背中やお腹を拭いていく。
なんとなく、数日前の楓子さんのプライベートビーチでのオイルマッサージを思い出す。
マッサージ。手のひらから、相手に力を流し込む行為――。
……そうか、これならっ!!
「天国美、私にありったけ魔力を注ぎ込みなさい」
「……え……?」
「この高熱の原因が魔力の暴走なら、その魔力を外に放出すれば熱は収まる……と思う」
「でも……そんなことしたら…….」
「あんただけに苦しい思いはさせない。これはおねえちゃん命令よ」
天国美は熱に浮かされた瞳で私を見つめる。
「……おねぇちゃん、ずるいです……」
そう言って、天国美が私の右手をぎゅっと握り締める。
その瞬間、天国美の手のひらから、決壊したダムのようにとめどない魔力の奔流が私の身体へと流れ込んできた。
「ぐっ……ぅ、あ……!」
体中の血液が一気に逆流するような、内側から細胞を焼き焦がされるような、おぞましい嫌悪感。
私は歯を食いしばり、深く深呼吸を繰り返しながら、流れ込んでくる桁外れの魔力に耐え続ける。
だが、流れ込んできたのは魔力だけではなかった。
黒魔術の燃料となる、天国美のドス黒い『負の感情』の塊。その根元は「恐怖」だった。
「おねぇちゃん……いなくなっちゃいやです……」
「おねぇちゃん……消えないで……」
ずっと抑えていた天国美の本心が、大粒の涙とともに溢れ出してくる。
一般人に見えなくなり、世界から少しずつ消えかけている私を見て、この子は誰よりも恐怖していたのだ。
私を失うのが怖くて、その強すぎる負の感情が、彼女の持つ魔力を限界まで膨れ上がらせてしまっていた。
流れ込んでくる天国美の恐怖と魔力に、私自身の身体も焼かれそうになりながら、私は妹の手をさらに強く握り返した。
「大丈夫……大丈夫だから」
自分自身、何が大丈夫なのかも分からない。
だけど私は、その根拠のない台詞を、うわごとのように何度も言い聞かせ続けることしかできなかった。
◇
「おなか……すきました」
魔力を私に吸い取られて、少しは楽になったのだろうか。
着替えさせた薄手のパジャマの胸元を少しはだけさせたまま、天国美が甘えるようにそう言った。
「玉子がゆとうどん、どっちがいい?」
「おかゆがいいです……」
「はいはい、ちょっと待ってて」
私は、冷蔵庫の玉子とタッパーにいれてたネギ、それからパック出汁といくつかの調味料で、手早く温かいおかゆを作った。
出来上がったおかゆをお椀に盛り、ベッドに戻る。天国美は布団の上に上体を起こし、ふらふらとした様子で口を小さく開けて待っている。
まるで餌を待つ雛鳥みたい。
「ちょっと待って、冷ますから」
そういって私はスプーンで掬ったおかゆをふーふーと息を吹きかけて冷ました後、天国美の口元へと運んで食べさせた。
「……おいしい」
天国美が、今日初めて見るような穏やかな表情で頬を緩めた後、気だるそうに私の肩へと頭を寄りかかる。
「やっぱりおねえちゃんはいなくなっちゃだめです……。おねえちゃんがいなくなったら、このお粥の味も、世界から消えてしまうんだもの」
「……こんなの、クックパッドで調べれば誰でも作れるわよ」
そう言いながら、私は次のひと口を妹に食べさせる。
「……早く元気になりなさい。元気になったらハンバーグでもカレーでも、あんたの好きなものなんでも作ったげるから」
「そしたら、シフォンケーキがいいです……」
「シフォンケーキ?」
「はじめておねぇちゃんから食べさせてもらった時、すごくおいしかったから」
「……分かった。今日は、もう安静にしときなさい」
「おねえちゃん」
「何?」
「眠れるまで……ずっと手を握っててもらってもいいですか……?」
私は何も言わず、ただ天国美の小さくて、まだ少し汗ばんだ手を強く握りしめた。
楓子さんが帰ってきたのは、天国美がすっかり深い眠りについた深夜のことだった。
あの黒い魔女のドレス姿のまま、静かに部屋へと現れた。
「……天国美の様子はどうだい?」
「今は、容態が落ち着いて、眠っています」
そう言って、私はベッドですーすーと規則正しい寝息を立てる天国美を見つめた。
「……よかった。魔法薬が完成したんだ。起きたら飲ませてあげてほしい」
「ありがとうございます。……そう言えば、小守は?」
「あちこち飛び回って疲れたんだろう。今は事務所でコウモリ形態になって眠っているよ」
「そうですか……」
口は悪いメスガキだけど、私たちのために必死に飛び回ってくれたんだ。
「楓子さん。天国美が元気になったら、お祝いにシフォンケーキを焼こうと思うんです。楓子さん達も、よかったらどうですか?」
「いいのかい?」
「もちろん」
「……そうか。そしたら天国美には、一刻も早く良くなってもらわないとね。小守にも伝えておくよ」
そう言って、楓子さんはいつものような涼やかな笑みを浮かべ、闇へと溶けるように去っていった。
ふと窓の外に目を向けると、夜の静寂が少しずつ明けていき、紫がかった美しい空の向こうから、眩しい朝日が昇り始めていた。
タイムリミットまで、あと35日。
コメント
3件
読み終えました……。天国美がああも苦しんでいたなんて。ずっと一人で抑え込んでいた魔力と恐怖を、地獄子ちゃんが真正面から受け止めて「代わりに流し込め」って手を差し出すシーン、すごく好きです。姉としての決意と優しさがにじみ出てる。それに「お粥の味が世界から消える」って台詞、切なくて温かくて胸にくるものがありました。次、きっとシフォンケーキの約束が果たされますように。良い話でした。