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それから12年の月日が流れた。
「紫野! 紫野! どこにいるの?」
屋敷内に女性の声が響き渡った。
「はいっ! 伯母様! お呼びでしょうか?」
「用があるから呼んだんでしょう? まったくこの子は使えないわねぇ」
「申し訳ございません」
「もうすぐパーティーに出かける時間だから、蘭子(らんこ)のドレスを持ってきてちょうだい」
「えっ? パーティーは明日の夜に変更になったのでは?」
「何をねぼけたこと言ってるの、今日に決まってるでしょう! 早く用意して! 遅れちゃうわ! 」
「はいっ、ただいまっ!」
慌ててドレスを取りに向かったのは、二十歳になった紫野だった。
紫野の両親は三年前、東京で交通事故に遭い、帰らぬ人となってしまった。
紫野の父が経営していた大瀬崎蚕糸株式会社は、その後、伯父である大瀬崎源太(おおせざきげんた)が後を継いだ。
源太は、紫野の父・大瀬崎将太(おおせざきしょうた)の兄であり、若い頃、父親に逆らい東京へ出た人物だった。
彼は東京で一旗揚げるつもりだったが、お坊ちゃん育ちゆえに商才には恵まれず、失敗続きの人生を送っていた。
そんな折、弟である将太が事故で亡くなり、会社を継ぐために再びこの町へ戻ってきたのだった。
紫野は現在、そんな伯父夫婦の元で暮らしていた。
伯父夫婦には娘が一人おり、蘭子という名前だった。蘭子は紫野の従姉妹にあたり、紫野より一つ年上だ。
両親を亡くした当時、紫野は女学校に通っていたが、18歳で卒業後、この家で蘭子のお世話係として働くようになった。
「お待たせしました。ドレスをお持ちしました」
「そこに掛けておいて」
「はい。それでは失礼いたします」
紫野が部屋を出た瞬間、反対側のふすまが開き、蘭子が入ってきた。
「ねぇ、お母様~! 今日のパーティーには村上様はいらっしゃらないの?」
その言葉に、襖を閉めていた紫野の手が止まる。
(村上……?)
思わず紫野は聞き耳を立てた。
「あの方はいつもお忙しいから、パーティーにはあまり来られないのよねぇ。でも、どうにかしてあなたのことを紹介したいわ。村上様こそ、あなたにぴったりのお婿さんだもの!」
「まあ、お母様、嬉しい! でも早くしないと他の方に取られてしまいますわ。だから、お父様にお願いしてなんとかしてください」
「分かってるわ。ちゃんと考えているから心配しないで」
伯母の和子は微笑みながら答えた。
二人の会話を聞いていた紫野は、足音を忍ばせて台所へ向かった。
紫野が土間に降りると、千代(ちよ)が声をかけた。
「紫野様、大丈夫でしたか?」
「あら、聞こえちゃった?」
「はい。奥様の声が家中に響いておりましたから」
「ふふっ、大丈夫よ。それより、お米の件を八木さんのところへお願いに行かないと……」
紫野の言葉を聞き、千代は悔しそうに言った。
「なぜ紫野様が、こんなお手伝いみたいな仕事をしなくてはならないのでしょう……千代は悔しくて情けないです」
千代は悲しそうに、割烹着の裾で涙を拭った。
「泣かないで千代。私はどんなお仕事でも平気だから。それに、こうして食べさせてもらっているだけでもありがたいと思わないと」
「でも、本来なら紫野様が今の蘭子様のお立場にいらっしゃるはずなのに……」
「お父様とお母様はもういないんですもの、仕方ないわ。それに、済んだことを考えてもどうにもならないわ。さぁ、気分転換もかねて、八木のおば様のところへ行きましょうよ」
紫野は笑顔で割烹着を脱いで、勝手口へ向かった。
大瀬崎の屋敷から大規模農業を営む八木家までは、徒歩で30分ほどだった。
幼い頃はいつも車で向かっていたが、両親を亡くしてからは、いつも徒歩で通っている。
「千代、この坂道が辛かったら、私一人で行くから大丈夫よ」
「なんのこれしき! ばあは、まだまだ倒れるわけにはいきませんからねぇ。だから、この坂道は運動にちょうどいいんです」
「そう? それならいいけれど、無理はしないでね」
紫野は千代のために歩みを少し緩めた。
千代は、紫野が生まれたその日からずっと世話をしてくれている。
両親が亡くなり、伯父夫婦が大瀬崎の屋敷に移り住んだ際、伯母は千代を解雇しようとした。しかし、紫野が必死に止めたおかげで、今もこうしてそばにいてくれる。
(千代もそろそろ引退時ね……その後のことも考えてあげないと……)
紫野はそう考えつつ、何の権限もない自分に無力感を覚えながら悩んでいた。
ちょうどその時、坂の頂上にたどり着いた。
「はぁっ、やっと着きましたね!」
千代が「うーん」と腰を伸ばしながら一息をつくのを見て、紫野は微笑んだ。
目の前には、堂々とした豪農・八木家の立派な屋敷が建っていた。
「さ、行きましょう」
紫野が千代の腕を取り歩き出そうとした瞬間、元気な声が響いた。
「紫野ちゃーん!」
声の主は、紫野の女学校時代の同級生、八木幸子(やぎさちこ)だった。
コメント
31件
蘭子ね,名前からして蘭子意地悪そうだわ
ご両親が亡くなり紫野ちゃんの今の境遇が辛い😢 紫野ちゃんを使用人扱いしてる時点で叔父や叔母がどういう人かわかるね。。 紫野ちゃんは変わらず清らかで優しく育ったんだね。 思い人国雄さんと再会出来ると良いなぁ💗
優しくておおらかなご両親が事故で亡くなって紫野ちゃんが働かされているなんて😢でも健気で優しい紫野ちゃん シンデレラみたいに素敵な王子様が救い来てくれると良いのに😢マリコ様お願い紫野ちゃんに幸せが訪れるようにしてくださいね