テラーノベル
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ここ数日の遥は、どこかおかしかった。 教室でも、放課後でも、まるで何かを隠すように笑う。
笑っているのに、そこに“体温”がない。
日下部はそれを見て、胸の奥がざらつくのを止められなかった。
机の上に頬杖をついたまま、遥が窓の外を見ている。
その横顔には、あの夜の柔らかさが残っていない。
まるで、誰かに言葉を塗り替えられたような表情。
「……お前、最近寝てるか?」
放課後、昇降口で声をかけた。
遥は一瞬、眉を動かしたが、すぐに目をそらす。
「普通に」
答えになっていなかった。
けれどそれ以上、何も聞けなかった。
強く押せば、完全に壊れてしまいそうな気がしたから。
それでも、気づいてしまう。
袖口の下に隠された傷。
指先の細かな震え。
“普通”であるはずの言葉の奥に潜む沈黙。
――晃司の顔が脳裏に浮かぶ。
あの冷たい目。
自分の存在を、あざ笑うような視線。
“日下部、どこまで知ってるの?”
以前、怜央菜に言われた言葉が蘇る。
あのときの薄ら笑い。
まるで、何も知らない自分を楽しんでいるような顔。
遥の家にある“何か”を、日下部はずっと直視できずにいた。
それを見たら、もう戻れなくなる気がして。
けれど今、その境界が勝手に壊れていくのを感じる。
夕暮れ、校門を出たときだった。
前方を歩く遥の姿が見えた。
呼び止めようとしたが、声が喉の奥で止まる。
代わりに、晃司が彼の肩を軽く叩いた。
遥は振り返らない。
晃司は何かを耳元で囁く。
その瞬間、遥の肩がわずかに震えた。
それだけで、日下部の胸の奥に冷たいものが走った。
――あいつら、まだ……。
身体が勝手に動いていた。
だが数歩進んだところで、遥がこちらを見た。
その目に宿るのは、怯えでも怒りでもない。
“やめてくれ”という、無言の懇願だった。
足が止まる。
その視線だけで、何もかも理解してしまった気がした。
晃司が軽く笑いながら、遥の背中を押した。
二人の姿が曲がり角に消える。
日下部はその場に立ち尽くしたまま、手のひらを強く握り締めた。
――何もできねえ。
その言葉が、喉の奥で腐っていくようだった。
助けると言いながら、助ける方法を知らない。
心のどこかで、遥がまた壊れていく音を聞いていた。
夜になっても、その映像が頭から離れなかった。
机に突っ伏しても、目を閉じても、晃司の笑い声が耳の奥で反響する。
“お前の優しさなんて、あいつには届かねえよ”
そう囁かれたように思えた。
――だったら、どうすればいい。
拳を机に打ちつけた。
痛みも、答えもない。
ただ、自分の中の無力さだけが浮き彫りになる。
遥を壊しているのは、晃司たちだけじゃない。
何もできない自分も、同じ穴の中にいる。
それが、日下部にとっての一番の恐怖だった。
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