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#大人ロマンス
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「泣き虫だった妹にケツ蹴られて、更に目が覚めた。俺も死ぬ気で頑張って、一日でも早く神谷社長に認めてもらえるようになる。母さんが病気を治して帰って来るまでに、頑張って金も貯める。母さんの説得は俺に任せてくれ。……亜紀、ありがとう。来てくれて本当にありがとな」
兄の声が微かにくぐもって耳に届いた。
車内は暗くてよく見えないけれど、瞼に浮かぶのは昔と何一つ変わらない兄の顔。
本当に大切なものは、失って初めてその大切さに気づくものだと言うけれど。
貪欲な人間ほど、落ちるところまで落ちてみないと見えてこないものがある。気づけないものがある。
「……お兄ちゃん。私、漫画みたいなブラック・ジャックにはなれないけど、松本のお婆ちゃんのために……町の人達にとってのブラック・ジャックにはなれるかな?」
夜空いっぱいに輝く無数の光を眺め、静けさの中に囁きを落とした。
「亜紀? もしかしておまえ……」
その兄の声を遮るようにして鳴り響いたのは、携帯の着信音。
「なに?」
「……いや。今、亜紀の携帯が鳴っただろ?」
「大丈夫。メールの音だから。……えっ!?」
膝の横に置いていたバッグから携帯を取り出し、映し出された文字を目で追いながら声を跳ね上げた。
文字を二度読みしながら、無意識に口元が緩む。
「どうかしたか? ……誰からのメールだよ」
兄は黙り込んだ私をちらりと横目で見た。
「……昨夜、お兄ちゃんに話をした彼。今、駅で待ってるって」
「駅って、名古屋駅か?」
「ううん。名古屋じゃなくて、私達が向かってる駅。ど田舎だから、電車の本数が少ないと話したせいか……ここまで迎えに来てくれたみたい」
『東加茂ノ駅の駐車場に着いた。亜紀の故郷は、星が綺麗に見える静かな町だな。話に聞いてた通りの美しい町だ』
――彼から届いた温もりに満ちた言葉を見つめ、私は嬉しさに揺れるような微笑みを浮かべた。
「ええっ!? ここまで来た! 高速が通ってもいないのに、下道でここまで来たのか?」
「……うん、そうみたい。ビックリだよね。今夜は会う約束してなかったんだけど……私が帰省してる間、ずっと心配してくれてたから。
傍にいて欲しいと言葉にしなくても、彼には分かるみたい。……そういう人なの」
はにかむように言って、コートのポケットに携帯を入れる。
「言葉にしなくてもって……妻子のある男って言ったよな? 平日ならまだしも、日曜の夜だぞ? こんな時間に恋人を遠方まで迎えに来るって……家族は大丈夫なのか?」
兄は車のラジオに取り付けられた小さな時計を見つめ、不審そうに眉根を寄せる。
――午後6時20分。
二人の視線が、時計の示す数字を捉える。
兄が言いたいことは分かる。メールを見た瞬間、私の頭にも過ったことだ。
彼が迎えに来てくれたことに浮かれ、頭の片隅に追いやってしまっていた疑問……
――家族は大丈夫なのか?
確かにそうだ。
日曜の夜に彼と会ったことなど、今まで一度もなかった。
それに、私が家を抜け出したここ数日は頻繁に連絡をくれるばかりか、夜も遅くまで一緒に過ごしてくれていた。
もともと残業も出張も多い仕事だから大丈夫だと、彼の言葉に甘えていたけれど……
「休日でも、家族に疑われず自由に外出できる人なのか?」
「えっ……どうだろ。今までは私も遼と一緒にいたし、そんな状況になることがなかったから。デートも平日の夕方に数時間会うくらいで……」
「まあ、普通はそうだろうな。仕事は何やってる人?」
「詳しくは知らないけど、IT系コンサルティング企業の営業マン」
「へぇー。奥さんは何やってんの? 専業主婦? それとも、勤めに出てるの? 子供は何歳? ……ああ、年齢からして結構大きい子供だよな、大学生とか?」
兄は時計に目を向けたついでなのか、ラジオの電源を入れ、チャンネルを合わせながら問いを連ねる。
「子供は男の子が二人。上の子は社会人で、下の子は四月から山梨県にある大学に行くって。奥さんのことは……何も知らない。そういった会話はしないようにしてるから……」
兄の表情を窺いながら、気まずそうに語尾を濁らせる。
「……何だよそれ。向こうが聞くなって言うのか?」
兄は考え込むように少し間を置き、不満げに低い声を漏らす。
「別に聞くなとは言わないけど……最初からそういう約束で始めた関係だから。……自分を守ることが相手を守ることになる。必要のないことは深入りしないの」
流すように軽く言って、心の内で苦笑する。
「自分を守ることが相手を守る?
……そんなの、ただの綺麗事じゃないか。要するに、危なくなったら逃げられるようにするためだろ?
おまえ、そんな言葉で言いくるめられてんのか? おまえが離婚したら、自分の家庭を壊されるのを恐れて、音信不通にするつもりじゃないだろうな……」
眉間に亀裂を刻みながら兄が言う。
兄が漂わせる空気と視線には、今泉さんに対する不信感が滲み出ていた。
「言い包められてなんてない! 奥さんがどうとか、仕事がどうとか、そんな情報を知ったからって関係の妨げになるだけで、何のメリットもないからよっ。今まで彼と私の立場は同じだった。彼だけの都合で言ってるんじゃない。危険を伴っているのはお互い様よ。だからこそ、必要な距離があるの!」
兄の横顔に貼られているのは、不服の二文字。
一方的に彼との関係を非難されて腹が立ち、まるで自分に言い聞かせるように声を走らせる。
「……それに、今、危険な立場にいるのは彼の方よ。それでも彼は私の手を離さない。守ろうとしてくれてる。狂った旦那とその愛人に付き纏われてる私を心配して、こんな田舎町まで迎えに来てくれる。面倒に巻き込まれる前に逃げ出すなら、今がその機会なのに……」
私は兄から外した視線を膝に落とし、次の言葉を飲み込むように口を引き結んだ。
ラジオからは異国の女性が歌う聞き覚えのない曲が、所々音声を途切れさせながら流れてくる。
「……そうか、そうだな。ムキになって悪かったよ。不倫だろうが恋愛なんだろ? おまえの口からそんな割り切った言葉が出てくるとは思えなくて……嫌な言い方して悪かった」
頭に上った熱を冷まそうとしているのだろう。兄は大きく深呼吸をして、静かな声を漏らした。
口を閉ざしたまま、兄の横顔を見る。
「勿論、不倫だって恋愛よ。だけど……」
心が醜い嫉妬心で蝕まれぬように、聞きたい言葉も、喉まで上がった言葉も飲み込まなきゃならない時がある。
どんなに気持ちが通じ合っていても、どんなに肌を重ねても決して手に入らない……
「……片想いと同じよ。淋しくて、泣いて孤独に耐える夜もある。……割り切ってるんじゃない。そうならないと、その人を失ってしまうからよ」
自分の心に染み込ませるように言って、弱々しく目尻を下げた。
「……俺は男だし、不倫の経験なんてない。正直、おまえのその女心を聞かされても頷けないところがある。それに、おまえは妹だ……都合の良いように弄ばれるのが許せないだけだ」
兄は正面に向けた目を細め、苦々しく言葉を置いた。
私を心配する兄の気持ちが痛いほど心に染みる。
「昨日も言ったでしょ? 彼の存在があったからこそ、私はお兄ちゃんに会いに来れたの。自分を変える強さを貰ったの」
絶望という闇の中に差し込む、一筋の希望の光。
「……お兄ちゃん、彼に会って。彼はお兄ちゃんが来ることを知っていて、ここまで来てくれた。倫理観をかざせば、確かに私たちは不純な関係。でも、彼が私を支えてくれる心に偽りはないの。彼はどこにも逃げたりしない」
兄の横顔を見て、断言するように一語一語に湧き上がる感情と力を込める。
コメント
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うわっ…このエピソード、胸がぎゅっとなった😭💕 兄の心配と亜紀の想いがぶつかるの、リアルすぎて読んでるこっちまで苦しくなったよ… 特に「片想いと同じよ」ってセリフ、不倫の切なさを一言で表現しててすごくエモい…! 最後に「彼に会って」って言い切る亜紀の強さ、めっちゃ推せる…!次の展開が気になりすぎる🌸✨