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#王子
すっこ
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#主人公最強
杯雪乃
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父は死ななかった。
代わりに、
篠宮恵美という女が死んだ。
六十一歳。
二十九年前、
母と相原奈緒が出産した夜。
同じ岸本総合病院にいた、
三人目の妊婦。
私は死亡確認室の前で、
彼女の写真を見ていた。
知らない顔。
なのに、
どこかで見た気がする。
「本当に、この人がひかりさんの祖母なんですか」
真壁刑事が資料を見る。
「戸籍上はそうなっています」
「戸籍上?」
その言葉に、
もう何の安心も感じない。
私の出生届。
ひかりの出生記録。
父の死亡情報。
認知届。
この事件では、
戸籍に書いてあるから本当だとは限らない。
「篠宮恵美さんには娘が一人います」
真壁が続けた。
「名前は?」
「篠宮沙耶」
知らない。
「その人が、ひかりさんの母親?」
「戸籍上は」
まただ。
「でも相原奈緒さんが母親だったんでしょう」
「そこが矛盾しています」
父が低い声で言った。
「沙耶なんて名前、聞いたことがない」
私は父を見る。
「恵美さんには会ったことがあるんでしょう」
「一度だけ」
「二十九年前?」
「ああ」
「どこで」
「病院の廊下」
父は記憶を辿るように話し始めた。
「千佳の出産が終わったあと、俺は病室の外にいた」
「母と会えなかった?」
「処置中だと言われた」
「そのとき恵美さんを見た?」
「泣いていた」
「何で?」
「分からない」
父は少し黙った。
「ただ、看護師に何度も言ってた」
「何を」
父の顔が強張った。
「赤ちゃんを返してって」
私は息を止めた。
「恵美さんも出産した?」
「そう思った」
でも病院記録には、
千佳と奈緒。
二人の出産。
新生児は一人。
そこへ、
記録に残らない三人目の妊婦。
「じゃあ、本当は赤ちゃんが三人いた?」
真壁が首を振る。
「まだ分かりません」
「でも恵美さんは返してって」
「出産したとは限らない」
「他に何があるんですか」
誰も答えられなかった。
私は柿崎先生の病室へ戻った。
*
「篠宮恵美さんが死にました」
柿崎先生は目を閉じた。
驚かなかった。
「知ってたんですね」
「……何を」
「彼女のこと」
返事はない。
「二十九年前、この病院にいた」
「いました」
「出産したんですか」
柿崎先生は黙った。
「先生」
「私は」
声が掠れる。
「三人の女性を見ました」
「母と、奈緒さんと、恵美さん?」
「はい」
「赤ちゃんは?」
長い沈黙。
「二人です」
私は動きを止めた。
「二人?」
「はい」
「さっきは、新生児室には二人いたって」
「いました」
「じゃあ三人の母親に、赤ちゃんは二人」
柿崎先生が頷く。
「誰の子だったんです」
「分かりません」
「そんなことあります?」
「その夜は混乱していました」
「何があったの」
柿崎先生の目が父へ向く。
「停電です」
「停電?」
「午後十一時三十二分から十一時四十六分まで」
また、
午後十一時四十分。
「病院全体?」
「一部だけ」
「どこが」
「産科と新生児室」
背中が冷たくなった。
「その十四分の間に?」
「新生児室から一人、赤ちゃんが消えた」
私は声を失った。
「誘拐?」
「当時はそう扱われませんでした」
「どうして!」
「戻ったからです」
「いつ」
「停電が復旧したあと」
「同じ赤ちゃんが?」
柿崎先生は答えなかった。
「先生?」
「確認できなかった」
「何で」
「名札が外されていた」
二人の赤ん坊。
停電。
一人が消え、
戻ってきた。
でも、
どちらの子か分からなくなった。
「だから名札が入れ替わった?」
「可能性はあります」
私は頭を抱えた。
「恵美さんは?」
「停電のあと、病院から消えました」
「赤ちゃんを連れて?」
「分かりません」
「じゃあどうして、赤ちゃんを返してって言ってたんです」
柿崎先生は目を閉じた。
「自分の子が盗まれたと言っていました」
「誰に?」
先生の唇が震える。
「千佳さんに」
私は何も言えなかった。
「母が、恵美さんの赤ちゃんを?」
「恵美さんはそう主張していました」
「母は?」
「否定した」
「奈緒さんは?」
「何も言わなかった」
三人の女性。
二人の赤ん坊。
そして、
一人になった記録。
「待って」
私は気づいた。
「もし恵美さんにも子どもがいたなら」
真壁を見る。
「三人の母親に、三人の子どもがいた可能性もありますよね」
真壁が頷く。
「理屈上は」
「そのうち一人が消えた」
「可能性はあります」
私。
ひかり。
そして、
もう一人。
知らない誰か。
私は恵美の戸籍資料を見る。
娘。
篠宮沙耶。
「この人」
私は指差した。
「沙耶さんは今どこですか」
真壁は無言で検索結果を見る。
表情が変わった。
「住所記録がありません」
「死亡?」
「違います」
「じゃあ」
「二十二年前から、住民票上の異動が確認できない」
ひかりが七歳だった頃。
そして、
赤いランドセルの写真が撮られた頃。
「二十二年前……」
偶然とは思えない。
私はさらに資料をめくった。
篠宮沙耶。
生年月日。
そこを見た瞬間、
指が止まった。
五月十七日。
「また……」
私と同じ誕生日。
「出生年は?」
真壁が確認する。
二十九年前。
私と同じ。
ひかりと同じ。
つまり、
二十九年前の五月十七日。
同じ病院で、
同じ日に、
三人の女児が生まれた記録が存在する。
水城澪。
篠宮ひかり。
篠宮沙耶。
でも、
病院で確認された赤ん坊は二人。
私は父を見る。
「三人いる」
父も資料を見ていた。
「私とひかりさんだけじゃない」
「……」
「もう一人いる」
篠宮沙耶。
父が小さく首を振った。
「違う」
「何が?」
「沙耶は赤ん坊じゃない」
意味が分からない。
「じゃあ何なの」
「恵美の妹だ」
私は固まった。
「妹?」
「俺が病院で会ったとき、恵美はそう言ってた」
「でも戸籍では娘」
「だからおかしいんだ」
誰かが、
家族関係を書き換えた。
妹を娘に。
母親を祖母に。
年齢まで。
まるで、
誰が誰の家族なのかを意図的に分からなくするように。
そのとき、
真壁の電話が鳴った。
「はい」
数秒後、
こちらを見る。
「篠宮恵美さんの所持品を確認したそうです」
「何かあった?」
「鍵が一つ」
「どこの?」
「貸金庫です」
*
午前二時十五分。
警察の手続きを経て、
篠宮恵美の貸金庫が開けられた。
中身は少なかった。
古い母子手帳。
写真。
そして、
黒い封筒。
私は息を呑む。
死亡通知と同じ封筒。
真壁が開く。
中には通知ではなく、
一枚の便箋。
恵美の字らしい。
千佳が死んだら、次は私です。
その下。
三人目になったら、私は逃げません。
私は読み返す。
「三人目になることを知ってた?」
さらに続く。
私が死ねば、雅彦さんは助かる。
父の顔色が変わった。
「恵美さんは、自分から代わりになった?」
真壁が便箋を裏返す。
まだ文字がある。
二十九年前、私が奪ったものを返します。
私は息を止めた。
奪ったもの。
赤ちゃん?
名前?
家族?
最後の一行。
四人目には、美佐子を選ばないでください。
榊原美佐子。
母の元上司。
真壁が顔を上げる。
「榊原さんへ連絡します」
私もスマートフォンを取り出した。
その瞬間、
榊原から着信。
「もしもし!」
返事がない。
雑音だけ。
「榊原さん?」
やがて、
女の声が聞こえた。
榊原ではない。
若い女。
前にも聞いた声。
『三人目、終わりましたね』
「あなた、ひかりさん?」
笑う気配。
『次へ進みます』
「待って!」
『四人目は――』
一度、
声が途切れた。
私は息を止める。
『千佳さんが、一番信じていた人です』
通話が切れた。
同時に、
真壁のスマートフォンへ画像が届いた。
新しい死亡通知。
四枚目。
氏名。
私はその名前を見る。
榊原美佐子ではなかった。
そこには、
母の古い写真の中に何度も写っていた、
別の女性の名前が書かれていた。
父が呟いた。
「この人……」
「知ってるの?」
父が頷く。
「千佳の親友だ」
コメント
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わあ、これは…重いですね。第30話、一気に過去の謎が深まってきました。29年前の停電と新生児の入れ替わり、それに三人目の女・篠宮恵美の存在。父が「赤ちゃんを返して」と泣く恵美を見た、という描写がすごく生々しくて、読んでて背筋が冷えました。そして恵美の手紙の最後、「四人目には美佐子を選ばないでください」の一文が効いてますね。この「選ぶ」という言葉の重みが怖い。母の親友が新たな標的になったのも、もう息が詰まる…。次が気になって仕方ないです。