午後10時になったので、楓は家に帰る事にした。
帰り際に一樹が言った。
「楓、こんな事になってクリスマスも何も出来なくてごめんな……」
「ううん、いいの。あなたが助かったからもうそれで充分よ」
その言葉に一樹の頬が緩む。
「明日は土曜だから楓もゆっくりしろよ。それと……すっかり言うのを忘れてたけど、明日の午前中楓へのクリスマスプレゼントが届く。だから午前中は家にいてくれないか?」
「私へのプレゼント?」
楓はびっくりする。
あんなに忙しそうだったのに、いつの間にプレゼントなど用意をしたのだろうか?
「中身は明日のお楽しみって事で」
「フフッ、わかった、ありがとう。あ、でもごめんなさい、私は何も用意していなくて……」
「気にするな。昨日の美空愛育園での楽しいひと時が素敵なプレゼントになったよ。あんなに楽しいクリスマスはいつ以来だったかな?」
一樹の気遣いに楓の胸がじんわりあたたかくなる。
「うん……そう言ってもらえると嬉しい。じゃあ明日の朝、しっかり受け取るね」
「頼んだよ」
一樹が手を振ってくれたので、楓はニッコリ微笑んで病室を後にした。
翌朝、楓はいつもよりも遅めに目覚めた。昨日一日色々とあり過ぎてさすがに身体が疲れていたようだ。
目覚めた時、一樹のいないベッドはなんだかガランとして少し物足りなかった。
今日の午後はまた病院へ面会に行く予定なので、楓はベッドから起き上がる。
そして10時頃少し遅めの朝食を食べていると、インターホンが鳴った。
(あ、荷物が来たのかな?)
楓がインターフォン越しに応答すると、配送業者の姿が見えた。
「毎度ありがとうございます、島崎楽器です! ピアノをお届けに参りましたっ」
「え? ピ、ピアノですか?」
楓はびっくりして思わず聞き返す。
「はい。長谷部楓様宛に東条一樹様からピアノのお届け物です。こちらでお間違いないですよね?」
「…………あ、はい」
「ではこれから設置に伺いますので、ドアを開けていただいてもよろしいでしょうか?」
「あっ、はいっ、すみませんっ、今開けますね」
そして30分後、楓は真新しい真白なピアノを見つめていた。
目の前に置かれたピアノは、電子ピアノの中でも最高ランクのもので楓がずっと憧れていたピアノだ。
そのピアノが奏でる音色は、コンサート用グランドピアノにも引けを取らないと絶賛されている。
(信じられない……これがクリスマスプレゼントなの?)
楓は嬉しくて涙が滲んできた。
夢にまで見たピアノが目の前にあるのだ。そしてそのピアノはこれからいつでも自由に弾く事が出来るのだ。
楓は泣きながら、昨日から一樹に泣かされっぱなしな事に気付く。
ひとしきり泣いた後、楓は涙を拭うと椅子を引き出しピアノの前に座った。
そして早速電源を入れると鍵盤を一つ叩いてみる。
ポーーーーンッ♪
澄んだ美しい音色が室内に響いた。
(なんて美しい音なの……)
楓はうっとりしながら一度深呼吸をすると、今度は両手を鍵盤の上に置く。
そして独学で覚えた『カノン』を弾き始めた。
流れるような美しいメロディーは、見事な指さばきにより一樹と楓の愛の巣である室内に響き渡る。
その澄んだ音色にうっとりとしながら、楓は心ゆくまでピアノを弾いた。
その日の午後、楓が病院へ行くと一樹は目を覚ましていた。
昨日よりだいぶ顔色がいい。
ガラス越しのナースステーションには医師と看護師の姿が見えたが、楓は気にする事なくすぐに一樹の首元に抱きついた。
「おっ? どうしたっ? 今日はまた熱烈大歓迎だな…」
一樹は笑いながら言った。そしてすぐに楓の頭を優しく撫でる。
「ありがとう……ピアノ、凄く嬉しかった……」
楓は嬉しさがこみ上げて再び泣きそうになる。そんな楓の頭をポンポンと撫でながら一樹が言った。
「気に入ってもらえて良かったよ。それにしてもピアノっていうのはいろんな種類があるんだなぁ。選ぶのに散々悩んだよ」
「そうなの? でもね、あのピアノは私がずっと憧れていたピアノだったの……だから運ばれて来た時夢かと思ったわ!」
「ハハッ、それなら良かった。俺が退院したらあのピアノで楓の演奏を聴かせてくれよな?」
「うんっ、いっぱい練習しておくね」
そこで二人は微笑んで見つめ合う。
「でもこの分じゃしばらくは病院だろうなぁ。正月も監獄のような病院の中で決定らしい」
「監獄は言い過ぎ! 病院は一樹の身体を治してくれる場所なの、だから我慢しなくちゃ」
「ハハッ、楓に説教されちゃったな」
そこでまた二人は笑う。
「食事は明日から通常食に戻れるみたいだから、私お正月におせちを作って持って来るね」
「楓はおせち作れるのか?」
「一人だと自信ないけど、大晦日にお母さんの所へ手伝いに行くから少しおすそ分けをもらってくる」
「なるほど……それなら安心だ!」
「ひどーーーいっ!!!」
そこで楓は思わず一樹を軽く叩く。
すると一樹が一瞬顔を歪めた。
「あ、ごめんなさいっ、私ったら調子に乗っちゃって……」
「ハハッ、さすがにまだ痛むな……」
「本当にごめんなさい」
「大丈夫だよ。でもこんな状態なら当分楓に優しくしてもらえそうだな」
「あら? 治ってからも優しくするわよ」
「本当に? そりゃ楽しみだな……」
その時楓は心の中でこう呟く。
(あなたがくれた優しさを、私はこれから何倍にもしてあなたに返していくつもりよ……)
楓は揺るぎない決意を胸に秘めながら、穏やかな眼差しで一樹を見つめた。
コメント
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幸せですね。
ピアノ欲しくても買えなかったものね。 良かったね😊 一樹さんに感謝だね🩷
おぉねすてぃ~、さっちゃろんりわぁ~(Billy Joel`HONESTY´より)ビリーはんの曲で、『ピアノ・マン』てあったと思うけど、頭に浮かぶんがこっちばっかり。しかも、ここしか知らん。確か『ピアノ・マン』は、「ニィちゃん、ちょっとピアノ弾いてぇな。」みたいなやつやったと思うんやけど。 しかしそれにしても、「正直もんはバカを見る」は万国共通なんやろか。息するように嘘を吐く奴もおるしなぁ。良、もう嘘と見栄は止めとけよ。