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ラマズドが首相府でリヴァンに報告をしている同じ刻 ――
王立科学アカデミー研究所 機密指定ランクFR6:大深部《仮想王宮室 ヴァーチャル・ロイヤル》
人工月が静かに“夜”を照らしていた。蒼白い光は天蓋のレースを透かし、無音の王宮室に現実とはどこかずれたような冷たい輝きを落としてゆく。書斎の中央では、イーサム王室女官長レイチェ・フィオレスタが、静かに腰を下ろしていた。
大理石のテーブルでは、イザリオ王子が本をめくり、エルファーナ王女は鍵盤に触れ、低い音階を一つずつ確かめるように奏でている。穏やかなはずの光景。だが、室内の静寂には、言いようのない“違和”が混じっていた。
風のない密閉空間なのに、カーテンの裾がほんのわずかに揺れた。幻かと思うほどの動き。だがレイチェの胸には、その揺らぎが刺さるように感じられた。
(……私は、なぜ、リヴァンの思想に染まってしまったのだろう)
胸の奥にかすかな痛みが走る。かつて母はカイザ家に仕える家政婦だった。幼いレイチェは帝都郊外の屋敷でリヴァンと共に遊び、彼の母や侍女たちの温かな声に囲まれて育った。
――あの戦火の夜までは。
炎に呑まれた屋敷。帰らなかった母。焼け落ちた跡地で、リヴァンが黙って一本の蝋燭を立てた日のことを、今も忘れない。
白い百合の花束。消えない小さな炎。風に揺れながらも、光は必死にそこに留まり続けていた。その灯を見ているうちに、胸の奥にしまいこんでいた痛みが、ゆっくりと浮かび上がってきた。悲しみも、憎しみも、消そうとして消えなかった感情たち。それを包み込むように、リヴァンは言った。
「人は、過去を許さねば未来を築けない。世界の子供たちが悲しみを知らぬ、平和で理想の未来を創るためには……」
その瞬間、レイチェの中で何かが静かに崩れた。
彼もまた戦争遺児。
帝国の血を引きながら、敵国イーサムでの復興を掲げた男。
赦しを語るその声が、彼女の痛みをやさしく包んでくれた。
その共鳴は、やがて忠誠へと変わっていった。
だが今、その忠誠の奥で、微かな亀裂が走り始めている。
レイチェの脳裏に、リヴァンの声がよみがえる。
「私たちは、王家のくだらない覇権争いと相続争いに、否応なく巻き込まれた存在だ」 リヴァンは淡々と告げた。
「ドラン帝王もまた、イーサム王に復讐する機会を虎視眈々と狙っている。そんな王家の下では、いずれ再び“名誉”という餌で、民は争いの駒として使い捨てられるだろう」
その声には、怒りも憎しみもない。まるで避けがたい真実を読み上げるかのようだった。
「ならば……」 リヴァンは静かに言葉を継ぐ。
「民が信じる“王家”そのものを、裏から操ればいい」
「イーサム王国に、私の意志で動く偽りの王子を据える。そうすれば王家は内側から崩壊し、人々はやがて“君主”という概念そのものを信じなくなる」 レイチェは思わず息を呑んだ。
「そしてその後だ」
リヴァンは白い百合の花束を見ながら、淡く目を細める。
「イーサム王国を繁栄させたエルフエナジーを用い、いずれドラン帝王も滅ぼす。そのためには、湖上の大聖堂に眠る“神の石”が必要になる」
「リヴァン……それは、間違っているのでは……?」
「誤解するな、レイチェ」
彼の声は柔らかく、諭すようだった。
「我々が体験した悲惨さを、民に与えようとしているわけじゃない。人々の“感情”を導き、王族という役割そのものを、この世界から外すのだ」
「王族とは、象徴という檻に囚われた存在だ。自由であるように見えて、決して自由ではない。我々には理解しきれない、王族としての苦しみも、確かに存在する」
リヴァンは、霧に覆われたグラムスリムの丘に立ち、一瞬、霧の切れ間から姿を現した湖を見下ろした。水面に浮かぶ王宮の白い輪郭と、その奥に広がる首都リュカ街。すぐに霧がそれらを飲み込み、また視界は灰色に閉ざされる。
桜城
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#恋愛
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#ファンタジー
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「私は、それを解放してあげたいのだよ。……わかるか、レイチェ」
沈黙ののち、リヴァンは静かに続けた。
「私には、“赤黒い眼”という強い味方がいる」
「叡智と力を与える……赤黒い眼。それは寓話だと思っていましたが……まさか、あなたが選ばれたなんて……」
レイチェがそう小さく呟くと、リヴァンは否定も誇示もせず、静かに頷いた。
「私の瞳を、見つめてくれないか。レイチェ」
一瞬のためらいののち、レイチェは恐る恐る視線を上げた。
その瞬間―― リヴァンの赤黒い眼が、微かに揺らいだ。
底知れぬ深淵を覗き込んだかのような感覚に、レイチェは思わず息を呑む。リヴァンは、ゆっくりと視線を外し、足元に並ぶ墓石へと目を向けた。墓石は霧に濡れ、名を読むことすらできなかった。
「赤黒い眼は、こう語る――最も甘美なのは、“裏切りに気づいた瞬間の心”だ、と」
「王に期待した民が、王を疑い、やがて失望する。その連鎖が国を満たしたとき、力は完成する。そして、王族そのものも呪縛から解放されるのだ」
「神の石が放つエルフ・バリアを崩壊させる計画も、すでに進行している。だが、あれはただの“引き金”にすぎない」
「本体は、人の感情だ」
レイチェに訴えかけるように、リヴァンはわずかに語気を強めた。
「だからこそ――王家の血を持つ“器”が必要になる」
「そこで私は考えた。……レプリカの王族を作ればいい、とな」
「クローン……」
レイチェは、喉を震わせるように、その言葉を絞り出した。
「ラマズドに指示し、すでに極秘裏に育成を進めている。王家の血統、AIによる感情層の制御、そして従順さ――完璧な器だ」
「これで我々は、“新しい秩序”を確立できる」
そう言って、リヴァンは穏やかに微笑んだ。
「レイチェ。一緒に、世界を創り直そう」
「そうすれば……少しは、
親の供養にもなるだろう。協力してくれるな?」
その声は、彼女の胸の奥に残る古傷にそっと触れるように、
あまりにも、優しかった。
「では……計画の後、
そのクローンの王子と王女は、どうなるのですか?」
「当然だろう」
リヴァンは、ためらいなく答えた。
「私の操り人形として、生きてもらう。レイチェ、君が導いてやればいい」
「あの子たちに“心”など背負わせる必要はない。AIチップが感情層を抑制する。苦しまない。迷わない。命令に従うだけでいい」
「……幸せなことだろう?」
「……」
レイチェは、すぐに答えられなかった。
霧の冷たさが、指先からゆっくりと体に染み込んでくる。それでも、寒さのせいだとは思えなかった。
操り人形。
心は不要。
感情は誤差。
リヴァンの言葉が、胸の奥で何度も反響する。
正しい。理屈としては、あまりにも正しい。
感情がなければ、憎しみも、恐怖も、生まれない。
裏切られることも、失う痛みも、ない。
苦しまない世界。
秩序だけが残る世界。
それは、彼女が何度も夢見た
「悲しみのない未来」に、よく似ていた。
だが、レイチェは、霧の向こうに並ぶ墓石を、もう一度見た。
名を失い、記憶だけが残された石。
心を奪われた存在は、供養すら必要とされないのか。
その考えが浮かんだ瞬間、胸の奥に、微かな拒絶が芽生えた。
レイチェは、唇を噛みしめ、それでも視線を逸らさずに、リヴァン を見つめ返す。
答えは、まだ出せなかった。
その夜、レイチェは自宅の窓辺に立ち、裏庭に広がるグラムスリムの森を眺めていた。闇の中で、無数の幻光虫が淡い光を明滅させていた。
彼女の脳裏にはリヴァンが語った言葉が蘇る。リヴァンが語った理屈は、どこかで正しいようにも思えた。
人が悲しむのは、心があるから。母を失ったあの日、胸を焼いたあの痛みも――誤差だったのだろうか。
それでも……。
今思えば、あの時の悲しみは、私が“人として成長するため”に必要だったはずだ。そうでなければ……あの痛みは、ただ残酷だっただけになってしまう。
胸の奥に、小さな熱が灯る。だがレイチェは、その違和感を、そっと押し込めた。押し込めなければ、信じてきた理想が崩れてしまう気がしたからだ。
彼の言う“新しい秩序”は、世界の子どもたちが悲しみに沈まずに済む未来。そう、信じたかった。信じなければ、自分の中に残った傷が、行き場を失ってしまうから。
そして、彼の瞳に燃えていた赤黒い“理想”の炎を思い出した瞬間、その違和感は、胸の奥深くで鍵を掛けられ、レイチェは、静かに頷いた。
――選んだのだ。答えではなく、進む方向を。
そして、第一期リヴァン政権下。レイチェは、イザリオ王子とエルファーナ王女の教育係に任命された。忠実な女官としてイーサム王室に仕え、王室の信頼を得ながら、《ヴァーチャル・ロイヤル》へ
二人の人格データを持ち帰る。
イザリオ王子とエルファーナ王女の癖。
口調。
所作。
反応速度。
感情の揺らぎ。
それらを一つずつ、クローン体のAIへ入力していった。
そして、ある日。
《ヴァーチャル・ロイヤル》から放たれる、人工の朝の光が、
高い天井の窓から静かに差し込んでいた。白を基調とした広間には、
無駄な装飾が一切ない。整然と並べられた机と椅子。
壁に掛けられた王家の紋章でさえ、そこでは、どこか無機質な記号のように見えた。その中央に、二人の子どもが座っている。
イザリオ王子。
エルファーナ王女。
年齢相応の面差し。姿勢は正しく、背筋はまっすぐ。視線は前を向き、瞬きの間隔すら揃っている。
「では、次の問いです」
レイチェが穏やかな声で言うと、二人は、ほぼ同時に顔を上げた。
「王族の務めとは何でしょうか」
一瞬の間もなく、イザリオが答える。
「秩序を維持し、民を導くことです」
続いて、エルファーナが補足する。
「感情に流されず、合理的判断を下すことです」
声の調子も、抑揚も、教科書通りだった。
「よくできました」
レイチェは微笑み、軽く頷く。その所作は、完璧な教育係のそれだった。二人の子どもは、ほっとした様子を見せない。喜びも、誇らしさもない。ただ、次の指示を待つだけの静けさ。
レイチェは、胸の奥にかすかな違和を覚えた。
(子どもは、本来、こんなにも静かだっただろうか……)
だが、その疑問はすぐに打ち消される。
感情の起伏がなければ、争いは生まれない。恐怖も、悲しみも、いずれは消える。彼女自身が、そう信じたはずだった。
「次に進みましょう」
レイチェが言うと、二人は、同時に頷いた。
音が重なり合うほど、正確に。
その瞬間、レイチェは悟ってしまう。
自分は、“教育している”のではなく、“調律している”のだと。
表情を一つも変えず、静かに座る二人の姿を見つめ、レイチェの胸が、きゅっと詰まった。
「ねえ、レイチェ」
突然、エルファーナが振り向いた。
その瞳に、ほんの一瞬、説明のつかない“揺らぎ”が宿る。
「――“好き”って、なんですか?」
レイチェは、思わず息を呑んだ。AIの学習データには存在しない問い。命令でも、模範解答でもない。それは、確かに“心”から生まれた疑問だった。
(私は……本当に、正しい道を歩んでいるの? 心とは、“誤差”なんかじゃなかったのでは……)
一瞬の沈黙ののち、レイチェは、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「好き……それはね。心が、ほっと温かくなること」
「相手を、もっと知りたいと思ったり、守りたいと思ったりする……そんな気持ち、かもしれないわ」
そう言って、レイチェはエルファーナの手を包み込んだ。
「理由なんて、はっきりしない。でも、それは誰かに植えつけられるものじゃなくて……自分の中に、自然と生まれてくるものよ」
隣で、イザリオ王子が静かに本を伏せた。
「僕は……エルファーナが笑うと、胸がふわっとする。それも、“好き”ですか?」
その言葉に、レイチェの胸が軋んだ。恐怖と、かすかな安堵が、同時に胸を打つ。
――あの時、リヴァンは言った。
「クローンなど、形こそ同じでも“心”は生まれぬ。AIで感情層を封じ、私の意志で動く完全な操り人形を作る。それが、国家改革の礎だ」
だが、今ここにあるのは、予期せぬ“自律”だった。命令と忠誠の狭間で、静かに、しかし確かに、レイチェの心は揺れていた。
(……違う。リヴァンの語る“力”だけでは、世界は統一できない)
(命を縛れば、秩序は生まれるかもしれない。けれど、その先に残るのは……きっと、“悲しみ”と“憎しみ”だけ)
その心の囁きは、否定でも反論でもなく、レイチェの奥底に、静かに宿っていった。
「ええ……それは、きっと、“好き”だわ。今日は、これでおしまい。
二人とも、カプセルでお休みなさい」
レイチェはタブレット端末を操作した。
室内を満たしていた人工の昼光が、少しずつ色を失っていく。やがて、天井に浮かぶ人工月の光が静かに翳り、王宮の一室に、穏やかな夜が降りてきた。二人は言葉を交わすことなく立ち上がり、セイラン城を模した《ヴァーチャル・ロイヤル》の玉座の間へと向かった。
歩調は、寸分の狂いもない。呼吸の間さえ揃え、あまりにも整いすぎた動きで、静かに歩いていく。その奥に並ぶ、白いカプセル。イザリオ王子とエルファーナ王女は、ためらいも、振り返りもなく、それぞれの中へと身を横たえた。蓋が閉じられる音は、驚くほど小さかった。
やがて、カプセル内部に、無色の催眠ガスが静かに満ちていく。二つの呼吸が、同時に、ゆっくりと緩やかになり、意識は、抵抗することなく沈んでいった。続いて、脳波計のモジュールが起動し、二人の頭部を、機械的に覆う。数値が安定し、波形は、規定範囲へと収束した。
――そして。
二人は、眠りについた。
横たわる王子達をレイチェは静かに見つめた。
この子たちの瞳に宿る、かすかな温度。それは、確かに“心”の証だった。レイチェは再びタブレット端末を取り出した。
――ピッ。
壁一面に展開された光の層が、わずかに色を変え、レイチェは目をはしたらせた。数値は安定している。
感情抑制率、許容範囲内。
忠誠パラメータ、正常。
応答速度、規定値。
「ログ不整合、確認……」
自動音声が、淡々と告げた。
画面の一角に、赤ではなく、“黄色”の警告枠が浮かび上がる。
【SUBJECT(対象個体):IZARIO(イザリオ)】
【EMOTIONAL RESPONSE (情動反応パラメータ): 微弱変動】
(微弱。誤差未満。ノイズとして処理可能な値……)
続いて、もう一つ。
【SUBJECT(対象個体):ELFARNA(エルファーナ)】
【EMOTIONAL RESPONSE (情動反応パラメータ): 非学習語彙反応あり】
「非学習語彙……?」
システムは即座に、該当ログを抽出し、一つの単語を表示した。
――“好き”。
辞書データベースには存在する。
だが、教育プログラムには未登録。
命令でも、応答例でもない。
純粋な、問い。
「感情層、再抑制を検討が必要」 自動音声が警告を発する。
だが次の瞬間、別のログが重なった。
【SYNC RATE(情動同期率) : 上昇】
【EMOTIONAL CORRELATION COEFFICIENT (感情相関値): 0.21】
(0.27か…… 僅かに心の発芽が認められるわ)
これは、想定外だった。二体のクローンは、独立した思考回路を持たない。感情は遮断され、共有も、影響も起こらないはずだった。
「異常分類を再定義」
警告色が、静かに変わる。黄色から、橙へ。
【ANOMALY TYPE : 自律的感情生成】
【発生要因 : 教育ログ】
原因か遺跡が、即座に結論を出す。
――教育係:レイチェ。
入力された言葉。
声の揺らぎ。
手の接触。
沈黙の“間”。
それらが、“感情”として分類され始めている。数値は静かに更新され、ログは淡々と保存された。レイチェは、長く息を吐き出す。それが溜息だと自覚したのは、少し遅れてからだった。
タイマー通りに、人工太陽が《ヴァーチャル・ロイヤル》の朝を告げる。レイチェは、カプセルの前に立ち、二人の起床動作を確認していた。
イザリオ王子とエルファーナ王女は、同時にカプセルを出て、
無言のまま身支度を整える。続いて、プログラムが切り替わる。
二人は、セイラン城の中庭を模した空間へと移動した。
エルファーナは、薬草籠を手に、定められた区画でハーブを摘む。
イザリオは、木刀を構え、決められた回数だけ、素振りを繰り返した。すべては、予定通り。一切の迷いも、逸脱もない。
朝は正しく、始まっていた。その光景を見守っていたレイチェの通信端末が、低く、起動音を鳴らす。
発信者名は、ラマズド長官。
「長官……」
レイチェは、ゆっくりと通話開始ボタンを押した。空間にホログラムが展開され、冷ややかな笑みを浮かべたラマズドの背後に、黒いスーツの男が、無言で立っていた。
「レイチェ君」 ラマズドは、感情を交えない声で告げる。
「クローン体の状況報告を、リヴァン閣下にご覧いただこう」
「……承知しました。王子様、王女様、こちらへ」
レイチェが静かに促すと、画面の向こうで、リヴァンがゆっくりと振り返った。彼は、映像越しに二人の前へと進み出る。その視線は、まるで検品官が完成品の仕上がりを確かめるかのように、冷酷だった。
「イザリオ、エルファーナ。よく育ったな」
「王として、王女として、まもなくお前たちは表舞台に立つ」
イザリオ王子が一歩前に出て、正確無比な口調で応える。
「国民の信頼に応えられるよう、我が身を律し、王家の威光を守ることを誓います」
続いて、エルファーナ王女が柔らかな微笑みを浮かべ、丁寧に一礼した。
「すべては、王国の未来のために。首相閣下、そして――国父リヴァン様のご指導に、心より感謝いたします」
その言葉に、リヴァンの眉が、ほんのわずかに動いた。
「……国父、か」 低く、静かな声が響いた。
「エルファーナ! 君の父は、イーサム国王だ! それすら曖昧では、民を欺く資格はない!」
叱責の言葉に、エルファーナの表情は、微塵も変わらなかった。だが、レイチェはその瞳の奥に、ほんの一瞬だけ揺らいだ涙を見た。
(リヴァン。それは、あなたが視察のたびに、意図的に仕組んできた呼び名では……)
リヴァンは、視線をレイチェへと移す。
「レイチェ。まだ仕上がりに甘さがあるようだ。進捗を報告しろ」
「心の発露には、なお課題が残ります。ですが、動作、礼儀、政治教育のすべてにおいて高水準です」
「AIの自己学習も順調で、まもなく“王たる人格”は、完成域に到達します」
「以前にも言ったはずだ。クローンに“心”の発露は不要だ」
「だが、泣き、笑い、怒る。そうした表情づくりは、必要になる」
(泣き、笑い、怒る……それができるのは、心があるからこそ、なのに……)
(リヴァン。あなたは、何もわかっていない)
レイチェは、俯いたまま、強く唇を噛みしめた。
「私が叱っても表情を変えないのでは、欺けない。
彼らは、所詮、人形だ!」
「この王国を崩壊させるための、舞台装置に過ぎん」
リヴァンの声は、冷たかった。
だがその奥底には、拭いきれない悲哀が、わずかに滲んでいる。
「王も民も、やがて狂い堕ちてゆく。その様を、私は見届けるのだ。
それが、私に対する償いだ!」
その瞳は赤黒く染まり、声には、かつて地獄を背負った者だけが持つ、深く、歪んだ響きが宿っていた。
「私は神になる。人の感情を支配する。
新たな世界の、創造主としてな」
「彼らの役目が終われば、静かに、舞台から消えてもらう」
(リヴァン。
あなたの理想は、いつから、こんなにも歪んでしまったの!!)
(……人の感情を支配する? 平和を装った歪みだわ!)
レイチェは、目を大きく見開き、拳を、強く握りしめた。
「新国王就任式までに、完璧に仕上げろ。人格も、振る舞いも、
王としての重厚さも、骨の髄まで、染み込ませるのだ」
そう言って、リヴァンは、わずかに口角を上げた。
「レイチェ。君が引き続き、二人を導け。現国王への疑念は、微塵も与えるな」
「ホンモノの王子と王女は、後日、王令によって西の島へ向かうようにすでに根回しはできている。王もその気だ。明日の緊急御前会議で正式に決定するだろう。全て計画通りだ。
ホンモノは西の島で――“消えてもらう”」
「その後は、我らのユートピアだ」
それは、まるで死の神が宣告するかのような、冷たく、感情のない声だった。レイチェは、胸に湧き上がるものを押し殺し、ただ冷静さだけを保つ。
「畏まりました。リヴァン様のご命令通り、二人の“完成”に向け、尽力いたします……」
「よろしい。頼んだぞ、レイチェ」
レイチェは、静かに頭を垂れた。
そのとき、ふと視線を落とすと、エルファーナが無表情のまま、
そっと、レイチェの袖をつまんでいた。
(この子たちは……操り人形なんかじゃない)
震えるレイチェの手に、今度は、隣のイザリオが、そっと触れる。
その微かな温もりを確かめながら、彼女は、静かに心に誓った。
(ここにいる子たちも、本物”の王子様、王女様も……)
(誰にも、壊させはしない。私が――必ず、護るわ!)
「レイチェ。これより王宮へ戻れ。国王に怪しまれるな」
「ホンモノの王子と王女が、消えゆく姿を見届けよ」
ラマズドがそう言い残し、通信は、無慈悲に途切れた。
首相官邸 執務室
リヴァンは満足げに口元を歪め、小窓の向こうに広がる、朱色に染まったエルフバリアを見つめた。
「順調だ。あとは、エルフバリアが消えれば、それでいい」
「ザルガンからの最新通信を共有します」
ラマズドが淡々と続ける。
「ライト・イエロー・エナジーストーンの共鳴作業は順調。
光圧は低下し、バリア抑制範囲は、さらに縮小しています」
「ただし、神石のエネルギー波動に、微弱な自律反応が検知されました。塔の躯体には、相当なストレス反応が生じています」
「構わん。塔が崩れても、エルフバリアさえ消えればよい」
「……はい」 と、ラマズド長官は顔をしかめながら返事を返した。
「本日の御前会議も、もはや形式に過ぎん。王の権限など、もはや時間の問題だ」
そのとき、首相執務室の扉が開いた。
マラー首相補佐官とゼム秘書官が入室する。
「エルグライド(政府専用車)の準備が整いました。
ご登城のご準備を」 ゼムが、仰々しく首を垂れた。
「行くぞ、マラー、ラマズド。
これが、最後の御前会議となるだろう」
王宮正門へと続く水道橋を、エルグライドが、音もなく走っていた。車窓の向こうでは、朱色を濃く帯びた虹色のバリアが、湖面に反射しながら、ゆっくりと、たなびいている。
その光は、まるで王国が吐く、最後の呼吸のように。静かに、脈打っていた。
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第35話、読みました……。 リヴァンの“心は誤差”って台詞、すごく刺さった。正しそうに見えて、でも絶対間違ってるってわかる感じ。レイチェが昔の優しさに縋ってあの計画を受け入れた瞬間、胸がギュッてなった。人工月の幻想的な光と、静寂に潜む“違和”がこの話の空気を完璧に醸してて、もう引き込まれっぱなしでした。重いけど、ちゃんと向き合いたくなる話です🌙